最近コレ↑の編集作業をしてました。
99年6月からこれまでの娘1号の習い事の軌跡です。
初めての発表会は「バッタ」役でした。
まともに踊りも覚えてないし、シューズのリボンが飛び出てるし(汗)
今見たら「なんだこれ!?今いる小さい子達のほうが上手だねー」と
思えるしろものです。
それでも、12年続けてきて。
転換期だったり、のび期だったりが手に取るように分かります。
「ああ、この時こんなことあったね」とかね。
○○先生のレッスン(外から招待した先生)厳しかったよね。でも
その分上手になってるね、とか。
小学5年の頃なんて、大きい子クラスで一番小さくて。
小さい子達と組まされることにストレスを感じたり。
イライラしたりしてたなぁとかね。
いろんなことのあった12年だったな。
たぶん、今取り巻く状態を周りの人が見たら「恵まれている」と思われる
だろうなと思う。
先生との関係も良好だし。
だけど、ここまで辿り着くのに何もなかったわけじゃない。
イヤなこともたくさんあったし、もうやめようよ、って言ったこともある。
だけど絶対に首を縦に振らなかった。
その分、娘は「楽しいこと」「嬉しいこと」に目を向けていたんだと思う。
それは彼女の長所であり、この習い事で培ったものだと思う。
なんて言ってたら、やめちゃうみたいだな(笑)
まだね、やめないんだって。
今は、膝の怪我を抱えてて。
だいぶんよくなってはきてて。
やっと歩いて登校していいって許可がでたし。
だけど、まだ運動はおあずけ。
私も言わないし、本人も言わないけど。
たぶん怪我前みたいには自由に動けないだろうなと思う。
あ、日常生活には差し障らないけれど。
2度も同じところをやってるし、またいつ同じようになるか
分からないけど、再度やっちゃう可能性は高いのです。
だって内股でいなきゃいけないところを外股で動かなきゃいけないから。
どうしても痛めた膝に負担がかかる。
こういう時、プロとか目指してなくてよかったなと思う。
そうだったら、ハンパない挫折だもの。
再発させないために、膝の筋肉をつけることと痩せることだと言われた。
実はここんとこ娘のオヤツを食べてる姿を見ていない。
ああ、頑張るんだ。闘う気なんだなって思った。
だから「大好きなことを自由に楽しくできるよう」に。
そうやって踊っていた時期をひとまとめにしてみた。
こんな風にまた踊れるように・・・。
母からのエール。
こんなことしかできないもんね。
これは第1章のまとめ。
痛みを知って、自分にとってバレエってなんなのか分かっての
第2章。
2枚目をこうやってまとめる時、たくさんの笑顔で踊る姿が
納められますように。
ちょっとしめっぽくなってしまった(汗)
でも学校から帰ってこれを見せたら
「頑張るよ、またこうやって踊りたいもん」って。
伝わってよかった。
もち子のもまとめようと思ったらどうしても見つからないテープがあって(汗)
しかも、もち子にとっては最後の発表会での踊りだったので
それなしではまとめられないんだよー。
こないだから家捜し中。
せめてピアノのを。。。と思ったら音が割れてる(泣)
早くまとめときゃよかった・・・。