今月もいろいろありまして早6日?(;゜∀゜)
実家の父の祥月命日がもうすぐだなぁ。
きちんと予定表には記入はしてあるんですよ(言い訳(笑))
父は認知症で施設に入っておりました。
あの頃は母からもう危ないから来てくれ、と言われて何度か駆けつけたこともありまして。
その度に駆けつけるのですが、着いた頃には元気にピンクのほっぺたをして食事などしていたものです。
初期の頃には母が自宅で世話をしていたのですが、夜も歩きまわるため母が不眠となり限界、という様子となりました。
母は施設に入れることを反対していましたが、私たちは専門のところに入れた方が良いと言っていたのです。
その頃は私も旭川にいましたし、子どももまだ小学生なので何かあってもすぐには行けない状況でした。
春になり、ふと隣町の比布町の比布神社に参拝に行きました。
そこには夫婦円満の道祖神さんがいらっしゃいました。
父母もこのような道祖神さんのように笑顔になれないものか、と参拝して帰ってきたその日の夕方に千葉にいる弟のお嫁さんから電話がありました。
お嫁さんは父のケアマネージャーさんと、このままだと介護している母の方が倒れてしまうと相談しあっていたのです。
ケアマネージャーさんから施設に空きが出たのだけど母が納得しないという連絡が来たと言います。
母は施設に空きが出るということは誰かが、ということでそれを待っているなんて嫌だ、という分かるけど、分かるけれども( ̄∇ ̄;)
という理由で施設には入れない、と突っぱねていた人なのですが、空きのできた事情を聞いていくと確かに最初の空きはそのようなご事情だったのらしいのですが、事情を知っていたケアマネージャーさんが、その施設は実家から距離がありすぎるので、系列の施設である実家に近い施設の方でそちらの施設に移っても大丈夫な方に移っていただき、その移動してくださった方の後に父を入居させたらいかがでしょうか?と母に伝えたと(;゜∀゜)
そんなに都合の良い話、ありますか?
何故断る!?(;゜∀゜)
お嫁さんが、「 弟にも連絡つかないし、私には決められなくて 」と、確かにそうでしょう( ̄ー ̄)
「 6時までに入るかどうか決めて連絡が欲しいと・・・。」
(;゜∇゜)時計見た。
5時55分(;゜∇゜)(;゜∇゜)
昼間、道祖神さんにお願いしたね(;゜∇゜)
何故断る?( 心の声(笑))(;゜∀゜)
すぐに電話して!ととりあえずお嫁さんとの電話を切りました。
母はその時の記憶はまったくないと今は言います。
父は数年その施設にお世話になり、おとなしいので皆さんに可愛がられていた様子でしたが、最後は医療行為をしなくてはならないほどの状態となり、母が病院に移すことを決めたので入院することになりました。
父が施設を出る時には、もういろいろ分からなくなっているはずなのに涙を流していたと聞きました。
そして病院に入院した次の日のお昼に、まるで病院は嫌だと言うかのようにもっと遠くに行ってしまいました。
3月はいろいろ忙しい月で、受験生やら卒業式やらあれやこれや準備やら、忙しいでしょう?
そんな中、受験も終わり発表も過ぎ、卒業式修了式もちょうど終わり新学期の準備も終わってのんびりした春休みの頃のおじいちゃんの訃報。
大好きだった孫たちが、一人だけは来られなかったですけどほぼ全員参列できておじいちゃんを見送ったという(*´ω`*)
遠く離れている孫たちは葬儀会場の一部屋を占領してなにやらワイワイ騒いでおりました。
おじいちゃんも一緒にワイワイしていたことでしょう(妄想(笑))
ちょっと日にちがずれていたら参加できなかった孫もいたのでは?と思ったときに、父は自分で【 この日にち 】って選んだんだね、と私たち家族はそういまだに信じています。
実家の父の祥月命日がもうすぐだなぁ。
きちんと予定表には記入はしてあるんですよ(言い訳(笑))
父は認知症で施設に入っておりました。
あの頃は母からもう危ないから来てくれ、と言われて何度か駆けつけたこともありまして。
その度に駆けつけるのですが、着いた頃には元気にピンクのほっぺたをして食事などしていたものです。
初期の頃には母が自宅で世話をしていたのですが、夜も歩きまわるため母が不眠となり限界、という様子となりました。
母は施設に入れることを反対していましたが、私たちは専門のところに入れた方が良いと言っていたのです。
その頃は私も旭川にいましたし、子どももまだ小学生なので何かあってもすぐには行けない状況でした。
春になり、ふと隣町の比布町の比布神社に参拝に行きました。
そこには夫婦円満の道祖神さんがいらっしゃいました。
父母もこのような道祖神さんのように笑顔になれないものか、と参拝して帰ってきたその日の夕方に千葉にいる弟のお嫁さんから電話がありました。
お嫁さんは父のケアマネージャーさんと、このままだと介護している母の方が倒れてしまうと相談しあっていたのです。
ケアマネージャーさんから施設に空きが出たのだけど母が納得しないという連絡が来たと言います。
母は施設に空きが出るということは誰かが、ということでそれを待っているなんて嫌だ、という分かるけど、分かるけれども( ̄∇ ̄;)
という理由で施設には入れない、と突っぱねていた人なのですが、空きのできた事情を聞いていくと確かに最初の空きはそのようなご事情だったのらしいのですが、事情を知っていたケアマネージャーさんが、その施設は実家から距離がありすぎるので、系列の施設である実家に近い施設の方でそちらの施設に移っても大丈夫な方に移っていただき、その移動してくださった方の後に父を入居させたらいかがでしょうか?と母に伝えたと(;゜∀゜)
そんなに都合の良い話、ありますか?
何故断る!?(;゜∀゜)
お嫁さんが、「 弟にも連絡つかないし、私には決められなくて 」と、確かにそうでしょう( ̄ー ̄)
「 6時までに入るかどうか決めて連絡が欲しいと・・・。」
(;゜∇゜)時計見た。
5時55分(;゜∇゜)(;゜∇゜)
昼間、道祖神さんにお願いしたね(;゜∇゜)
何故断る?( 心の声(笑))(;゜∀゜)
すぐに電話して!ととりあえずお嫁さんとの電話を切りました。
母はその時の記憶はまったくないと今は言います。
父は数年その施設にお世話になり、おとなしいので皆さんに可愛がられていた様子でしたが、最後は医療行為をしなくてはならないほどの状態となり、母が病院に移すことを決めたので入院することになりました。
父が施設を出る時には、もういろいろ分からなくなっているはずなのに涙を流していたと聞きました。
そして病院に入院した次の日のお昼に、まるで病院は嫌だと言うかのようにもっと遠くに行ってしまいました。
3月はいろいろ忙しい月で、受験生やら卒業式やらあれやこれや準備やら、忙しいでしょう?
そんな中、受験も終わり発表も過ぎ、卒業式修了式もちょうど終わり新学期の準備も終わってのんびりした春休みの頃のおじいちゃんの訃報。
大好きだった孫たちが、一人だけは来られなかったですけどほぼ全員参列できておじいちゃんを見送ったという(*´ω`*)
遠く離れている孫たちは葬儀会場の一部屋を占領してなにやらワイワイ騒いでおりました。
おじいちゃんも一緒にワイワイしていたことでしょう(妄想(笑))
ちょっと日にちがずれていたら参加できなかった孫もいたのでは?と思ったときに、父は自分で【 この日にち 】って選んだんだね、と私たち家族はそういまだに信じています。
だけどちょっとだけ、「 ようやく家に帰ることができるって思っていたら病院ってどういうことなんだ?」という呟きが・・・?
聞こえてくるようなこないような(妄想(笑))
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