あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
鍼灸院ってどんなところ?と知っていただけたらうれしいです。

盲学校生活

2021-11-07 20:25:00 | ブログ
こんにちは🌞今週末は秋晴れで気持ちが良い日が続きましたね!
みなさま、どんな週末をお過ごしでしたか?

毎週日曜日が、私の自伝を書かせていただいています。

盲学校では、寄宿舎に入舎して同じ敷地内に在る盲学校に通うという毎日だ。
寄宿舎には小学校1年生の子供から上は60歳ほどの人までが生活している。
序章でも書いたがとにかく皆さんが明るく元気で、影が全く観られないのには驚いた。
寮母先生達も寮生に対して「見えないから…」などと言うような特別扱いは感じない。
私の部屋は二階に上がって直ぐ右隣の205号室の6人部屋だった。
15畳ほどの部屋の左側に二段ベッドが三つ並んでいる。
右側の壁沿いには勉強机がやはり6個並んでいた。
部屋の構成メンバーは小学生の時からこの寄宿舎で生活し
ている16歳の学生から、元々は自動車修理工をしていたが失明したために寄宿
舎に入舎した40代の人まで様々だ。
私と同時に入舎したmさんとはすぐ親しくなった。
年齢は同じ27歳、失明原因は私と同じベーチェット氏病、まだわずか
に視力が残されている弱視というのも同じだった。
私は静岡県、mさんは三重県からの越境入学といった具合に境遇もよく似ていた。
ただ違うのは、mさんは大変優秀な方で三重県の商船大学を卒業してゆくゆくは
一等航海士に成るべく洋上航海の途中ハワイ沖で病にかかったのだと言う。
そのmさんが学校の夏休みを利用して阪大病院にw先生という素晴らしい先生が
いるからその先生に眼を治してもらうんだと言われた。私は言った。「我々の眼
は原因不明で治らないと言われているんだ、止めとけ!」そして、夏休みを迎えた。
彼は夏休みが終わっても戻ってこない。
二学期の半ばに戻って来た時には完全に失明していた。
更に不幸は続いた。彼は大変な努力家である。
勉強の遅れを取り戻すべく懸命に勉強していた。
消灯後もベットに点字の教科書を持ち込み勉強していたようだ。
そんな日々が続く内に彼は風邪を引き静養の為に自宅の三重県に帰って行った。
ところがいつまで待っても寄宿舎に戻ってこない。電話を掛けると家族が電話口
に出た。最悪の事態だ。神経ベーチェット病にかかってしまい、脳神経が
冒されて半身不随となり言語もおぼつかないと言うのだ。
そして、彼は学校を中退してしまった。
その後、何度か彼の自宅を訪れて話をするが、彼の言葉がなかなか聞き取れない。
そのうちに私の眼もだんだん見えなくなり一人で歩くことが困難になったのと、眼
圧が上がり、痛みの為に片目を摘出手術し、完全に失明したのを機会に彼とは疎遠になってしまった。

次週に続く


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