ウラジミール・カシン作『孤島』より (一九二七年) 天沼春樹訳 Владимир Кашин ,острова.1927
アレクセイ・オルブリスキ教授宛
いつか教えを乞いつつ散策した偉大なサンクトペテルスブルクの市街も、いまは遠い記憶のかなたになっております。すべてが雪のなかに煙って、そのヴェールのむこうにすこしだけ影をみせているような気持ちです。帝都から東へ一万三千キロも隔たったわたしの島には、ロシア全土でおこっている動きはもちろろん、比較的近いサハリンやウラジオからの通信も間遠になって、また別の世界の住人になっているようです。定時の観測記録を打電してしまうと、それかららあとはプッツリと遮断された無音の世界になっています。岩礁に打ち寄せる波しぶきと、吹き付けてくる北西の寒風だけが唯一の便りでしょうか。群れ飛ぶ海鳥たちは、近隣の海の様子しか伝えてはくれません。はるか上空を飛んでいく渡り鳥たちだけは、季節の移り変わりをその隊列の方角で教えてくれます。気象学者にとっては、気圧の変化や風向のわずかなゆらぎに、季節の動きの予兆を読みとることが仕事ですから、自然の使者たちの便りはその裏付けともいえるでしょう。ウラジオからサハリンへの定期船が、沖合に停泊して、ボートをおろし、わたしの島に供給物資を運んできてくれるときだけが、人間と会話をかわす唯一の機会です。船員が教授の手紙も手渡してくれます。このあいだいただいた手紙は三か月ぶりでした。わたしのこの手紙もどれほどで、到着するのでしょうか。手紙が届く頃には、近況といってもすでにどれほど以前のことになっているか互いに想像するほかはありませんね。しかし、決していまの境遇を悲観したり、つらく考えているわけではないことだけはお知らせしておかねばなりません。孤島の測候所暮らしが意外であったことは確かですが、わたしはできるだけモスクワから離れた極東に身をおきたいと願っていたのです。科学者とはいいながら、栄達、出世、名誉、そしてあらずもがなの富をめぐって官吏もさながらの競争にあけくれる仲間たちにわたしはいつしか嫌悪を覚えるようになっていたからです。よい例が、わたしの論文をそっくり盗用して、アカデミーに提出してしまったあのKという同僚のことをおぼえていらっしゃるでしょう。あのとき、先生の仕事机に置かれていたわたしの論文の写しが紛失して、先生はひどく詫びていらっしゃいました。それから一か月あとに、アカデミーの紀要に別名で掲載された論文を発見して、怒り心頭にたっしていたのはわたしよりも先生のほうでしたね。あのときも、わたしは怒りよりも、失望、失望というよりは憐みの気持ちがあるばかりでした。気象学という科学の精神とはまったく関係のない動機でうごめいている連中は、たとえなにがしかの評価をだましとったとしても、気象学そのものにはなんら寄与せず、かすめとった発見さえも無駄に眠らせてしまうのです。先生はよくわたしのことを、科学者というよりも修道士みたいだとからかっていらっしゃいましたが、あながちはずれてもいなかったことが、当地に赴任してから気がつきました。自分にはいささか人間的感情の起伏が足りないのではないかと。怒りより憐憫とさきほど書きましたが、お嬢さんのアリョーシャのことも、結局は学問にうちこむばかりのわたしにあたたかい感情がかんじられなかったのではないかと思っています。確かにわたしはアリョーシャに好意以上の感情を抱いていましたし、若者らしい恋心もありました。ちょうどわたしちは恋愛の入口あたりに立っていたのではないかと思います。わたしはよく、アリョーシャに雲の形の面白さを、気圧の変化と、大気の動きと関連させて説明したりしていましたっけ。若い娘さんには、むしろ空を渡っていく騎馬の群れとか、白鳥の騎士の乗り物とでもたとえてやったほうがよかったかもしれません。しかし、あの頃もいまも、わたしは大気圏の諸現象にとりつかれていて、それが面白くてならないのです。いつか極圏の気象に一定の成果をあげられたら、こんどは低緯度地方の温帯や熱帯の気象を観測して歩きたいという夢も抱いていました。つまりは、そんな話ばかりしてアリョーシャの気持ちにそうような言葉は、ついぞかけたこともなかった気がします。それに、相手の気持ちがわからぬままに、自分の感情を吐露するという勇気もなかったのです。自然に伝わる場合もありますけれど、わたしが先生のお宅に訪ねて行く理由のほとんどが、気象学の発見や疑問を議論することであってみれば、アリョーシャには物足りなかったはずです。アリョーシャにはアリョーシャの抱く理想があったはずなのに。お手紙にあったB.S氏がなにをしたのかは、わたしにとってはもうどうでもよいことです。彼が敬虔なロシア正教会の信徒でなかったということにすぎません。なにをなすべきか、なさざるべきかを知らぬ者に、主は人間がみずから鉄鎚を加えよとは教えてはおりませんから。願わくば、アリョーシャが幸せな結婚生活を送ってくれることをもって、よしとすべきだと思っております。これも、いささか聖職者じみた物言いになりました。
さて、近況として、最近、この島で友人ができました。といっても人間ではありません。定期船の船員のニコライ・ゴドノフという男が、荷揚げのときに、一匹の子犬をわたしに投げてよこしたのです。ロシア犬の子どもです。ニコライには毎回よくしてもらっていますが、「ユーリ、ほら、どもだちだよ!」と、いって笑っていました。「魚をよけいに釣って食わせてやれよ」ともいって。ピョートルという名前をつけました。わたしとピョートルの孤島暮らしについては、この次の便りに書くつもりです。どうか、わたしが孤独でおかしくなりはすまいかと心配なさらぬように願います。当地は当地で、楽しみもあり、わたしは時間のあるときにはさかんに書き物もしております。よい書物がなかなか届かないのが難点ですが、ウラジオからツルゲーネフやエセーニンの本をいくつか取り寄せたりすることもできます。専門書のほかに、なにか最近面白い本が出版されたのをご存知なら、また教えていただけると嬉しいです。
シベリア寒気団は依然頑固にいすわっております。海はたいへん荒れて、便船もちかづけないありさまです。この手紙を例のニコライ・ゴドノフに託せるのはいつのことになりますか。それでも、この手紙がサンクトペテルスブルクへむかっているあいだも、先生のご健康を祈っています。どうか、低俗な連中とはかかわらずに、養生を専一にと願っています。
あなたの誠実な教え子
ウラジミール・ユーリ・コルチャコフより