天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

プラハ幻想 『サフラン通り』30

2011年02月13日 01時28分48秒 | 文芸
  • ペトラ・ルイスコワのプラハの三十年がどんなものだったか、イゴールもわたしも想像するほかはない。下宿屋の人びとなら、あらましは知っているだろうが、わたしが知っているペトラは聖ペテロ教会の裏道で出会った日からのペトラだった。それ以後三カ月ばかりのあいだに、二度ほど身近い言葉をかわしたただけだ。イゴールにまさか、最初は物乞いされて二十コルナを恵んだのがきっかけだとはいえなかった。普通であれば、それきりで二度と会いもしない縁であったろうに、ペトラの後ろをついて歩いた酔狂が、いまブルノへむかう自分につながっている。そんなことを車中で思っていたが、《縁》とか《えにし》などというチェコ語は知らなかった。そもそもそういう言葉があるのだろうか。

「ビル・ト・オスート・・・・」

 と、ふいにイゴールがつぶやいた。すぐに、わたしがドイツ語のほうがわかると気づいたらしく、言いなおした。

「ダス・ヴァール・シックザール(これも運命だったのですね)」

 なるほど、縁とは運命(シックザール)ともとれるわけだ。ふたりとも、同じような思いにかられていたようだった

「オスート?」

「アノ・オスート(そうです、運命です)」

 それからしばらくはふたりとも無言で、ボヘミアの風景が後方に流れていくのまかせていた。ボヘミア。わたしにははじめての土地だった。少年の日から、ベルドジハ・スメタナの交響詩『わが故郷』とか、この土地が語源になったボヘミアンという言葉でぼんやりと、異郷のなかの異郷であり、実際にそんな土地に行くことなんて考えもしなかった。長じて、ボヘミアンという仏語が、ボヘミア地方から流れてきた放浪の民であるロマをさしていた由来も知った。ボヘミアニズムという芸術的・生活スタイルがあるけれども、精神としての漂泊ならその素質はありそうだった。それがいまのわたしを動かしているのだろうか。

 すでに幽冥境を異にした、この世にいない女性や、はるかに遠ざかって消息の知れない女性の幻想にからめとられているだけでもなさそうだ。つまりは魂の漂泊か。

「それで、どちらまで行きますか?」

 イゴールがふいにそういったので、すこしばかりまごついた。すっかり漂泊の気分になっていたからだ。

「ブルノの町を歩いてみたいんです。目的といえるほどのものはないのですが」

「それはいいですね。そういうときにこそ、探し物がみつかるものです」

 イゴールはなにか感じているふうな物言いだった。すこしまえにイルゼビル・メ―リアンに話したようなことはなにも知らぬはずなのに。

「ブルノは通り道だし、いそいでもいませんから、市内の適当なところまで送ります」

 ありがたい申し出だった。都市をはなれたのでは、宿をさがすのも厄介だとおもっていたところだった。まさかペトラの遺骨とともに彼女の故郷を訪問するのもおかしなことだ。過去の経緯があったのであれば、イゴールとてひっそりとペトラ叔母さんを連れてもどりたいはずだ。

「観光客むきでない宿を紹介しますよ。町を歩くのにも便利な場所です。郊外に足をのばすならバスがいいです」

 さすがにライブツィヒに留学していただけあって、イゴールはドイツ語で丁寧に教えてくれた。わたしも、ドイツ語のほうが饒舌になっていくようで、チェコ人はドイツ語やロシア語がかなりできても、好んでは使いたがらぬことをすっかり忘れてしまっていた。気がついて、申し訳ないというと、イゴールは笑った。

「年配の人たちはドイツ嫌いでしたが、わたしたちの世代はロシア嫌いが多いですね。どのみち、この国はヨーロッパの大国の通り道だったのですよ。カレル四世だって、プラハで生まれたけれど、ルクセンブル家の人間ですからね。カレル、カール、シャルル、だんだんお里が知れてきますよね」

 イゴールは、自分のことをモラビア人だといった。


プラハ幻想 『サフラン通り』29

2011年02月13日 01時27分27秒 | 文芸

 イゴールはすこしだけ車の速度を落とした。アクセルをゆるめたのだ。わたしもイゴールもプラハの春の頃は子どもだったはずだ。

「東洋の国には遠い社会主義国での話ですよね」

「でも、ビロード革命のときは興奮しましたよ」

 イゴールはすこしだけこちらを見て、微笑んだ。それからちいさなため息をついた。

「叔母にとっては、それまでが長かったですね。独りでプラハに出てしまったのは、プラハの春の翌年からでしたから」

「二十年も?」

「そう、それまでは学校の教師をしていました。地理の教師です」

 はじめて聞く話だった。

「東ドイツにいったことはありますか」と、話題をかえるつもりなのか、イゴールは唐突にそういった。

「いや、統一まえには」

「まあ、そうでしょうね。わたしは、学生のとき二年ほどライプツィヒの大学に留学してました。チェコ共産党の伯父のコネが効いたらしいです」

 すこし自虐的な物言いだった。

「そこで、シュタージの洗礼をうけました」

「シュタージの?」

 シュタージが秘密警察であることは知っている。主に反体制分子を取り締まる公安だ。その悪名は日本にいても聞こえてきた。

「シュタージは、密告者を巧みに活用していました」

「密告?」

「そうです、反共的思考の人間を密告させるのです。わたしの周辺にもシュタージのシンパの密告者がウヨウヨしてましたよ。チェコからの留学生でしたからね。親友だと思っていた学友が、実はわたしの行動を逐一シュタージに報告していたとか、何度かデートをしたドイツ人の女子学生が、実は囮捜査のエージェントだったとかね」

「まるでスパイ映画みたいですね」

「そんなことばかりしていたから、社会主義はダメになったんでしょうね。わたしなんかをつけまわすヒマがあったら、もっとましなことができたはずなのに」

 イゴールの話がどこにむかうのかはかりかねていると、また、唐突にぺトラ叔母さんのほうにもどっていた。

「チェコ国内でも、プラハ動乱の直後から、密告が横行しました。誰を信じてよいかわからぬほどにね。ペトラ叔母さんは、そんな周囲の連中に愛想をつかしたんですよ」

「ペトラさんも、密告されたのですか?」

「いや、叔母さんは真面目な社会主義者の教員でしたよ。愚直なくらいのね。自由化政策の頃の政府に批判的だったくらいですから」

 イゴールはアクセルから足をはなして、車の速度をすこしゆるめた。たちまち後ろからきたベンツに追い抜かれた。イゴールはその車を眼で追うようにしながら、またすこしだけ加速した。

「あんな車に追いぬかれたら、もう追いつきはしませんよね。時代の流れってやつも、あんなぐあいにわたしたちを何度も追い抜いていったんでしょうね」

 イゴールははっきり言わなかったが、ぺトラ・ルイスコワの近親者が秘密警察への密告者だったらしかった。おそらくその夫であるとか。

「ペトラ叔母さんの学校でも、何人かの同僚が密告にされたんです。自由化のアジビラを学校の印刷機で作ったとか、その文案の起草者であったとか、授業で現政権を批判したとか・・・」

 それからさきのことは、わたしも想像がついた。密告された人間は当局に出頭させれ、尋問され、職を失うか、誓約書をかかされるか、ひどい痛手をうけることになる。そのうえ、投獄されぬまでも、監視下におかれたりもする。

「ペトラ叔母さんは、同僚から密告者ではないかと疑いもかけられましたね。親戚が例の党の幹部だったからです。そうなると、職場ではもう疑心暗鬼の渦で、人間関係は崩壊します」

 ペトラ・ルイスコワは、いたたまれなくなって職を辞し、夫とも別れ、たった一人でプラハに出てしまったという。親戚縁者とも交際を絶った。まだ幼かった甥のイゴールには、ときどきハガキをよこして、年金がもらえる年まで、プラハでいくつか職を得て暮らしているようすを伝えてきた。イゴールもよく叔母さんに手紙を書いたらしい。

「人間関係に幻滅したんでしょうね。最後に送った手紙は、叔母の兄が亡くなった知らせでしたよ。叔母は葬儀にも帰ってきませんでしたがね。それから、すこし、疎遠になってしまい、それからの叔母の暮らしぶりはよく知りません」


プラハ幻想 『サフラン通り』28

2011年02月13日 01時25分13秒 | 文芸

 

 旧ソビエト製ボルガ24が、軋むようにエンジンを始動させた。

 チェコ人がこんな車をいまだに乗っているのが不思議なくらいだ。シュコタの車なら革命後はいくらでもでまわっているはずなのに。鈍重な社会主義の遺物のようだし、同国人の反感をかいそうでもある。ひと昔まえなら、チェコ共産党の幹部がこれみよがしに乗りまわしていたかもしれない。いずれにしてもソ連製の車は不人気のはず。

異国のかたなのに、すっかりお世話になってしましました」

 ペトラの甥のイゴール・ルイスコワは、車が国道にはいり、このさき長いドライブがはじまる頃合いをみて、あらためて礼をいった。イゴールは四十過ぎの物静かな男だった。ブルノで会計士をしているといっていた。

 オルガのアパルトマンで、叔母ペトラの遺骨と遺品の一部をひきとり、費用などの精算を職業柄か律儀に申し出た。遺品と衣類の類が小型のトランクひとつにうまくまとまっていた。アニスが細かなリストを作っていて、それを手渡すと、イゴールはすこし涙ぐんでいた。察するに、親戚でもないのに、叔母の最後をきちんとみとってくれたことを喜んでいるらしかった。礼にはおよばない、ペトラさんは、家族も同然でしたからね、とオルガはいっていた。それに、こちらの日本のおかたも、よくしてくれたとも言い添えた。イゴールは意外な隣人にすこしとまどっていたようだ。わたしが、チェコ語でお悔やみをいうと、びっくりしたように手を握ってきた。なにか礼がしたいと言う。

「ブルノまで車に乗せて行ってもらえますか」

 わたしは、とっさにそういったのだ。ふだんならそんな厚かましいことはいわない性質なのに、ペトラの甥にすこし親近感をおぼえたからだろうか。

「それはいいわね、この人、ひきこもってばかりなんだから。チェコのほかの町を見てくるといいわ」

 と、オルガが口添えをしてくれた。

「それはこちらもありがたいです。叔母さんの最近のことも聞いておきたいし、独りで帰るのもつらいと思ってたんです」

 到着から数時間後、助手席洋人を乗せたボルガ24は、プラハを発った。市内を出てしまうと、車のエンジンも調子をとりもどし、同乗のふたりもなんとなくほっとしたような気分になっていた。おたがい、あまり気をつかわずにすむ相手だとわかったためだろう。

「この車、日本のかたにはお笑い草でしょう?」

 冗談とも。本気ともつかぬことをいう。

「トヨタやホンダもプラハ市内でときどきみかけるようになりましたね。わたしらには、ドイツ車より親しみがもてますね」

 これは社交辞令か。そんなことをいう男にも見えなかったが。

「シュコタもフォルクスワーゲン社との提携がはじまって、ほとんどドイツ車ですよ」

 物静かだが、いかにもチェコ人らしい物言いだった。体はまかせても魂までは売りたくないというような。

「この車、チェコ共産党幹部だった親戚が手放すというので安価で譲ってもらったものですよ。変わり身のはやい親戚でね」

 感情の滓がイゴールの底で静かに動いたような気がした。

「・・・プラハの春のあとで、すべてが変わってしまったんです」


プラハ幻想 『サフラン通り』27

2011年02月13日 01時22分23秒 | 文芸

「それで、ちょっといいかしら?」

 心のとんでいたわたしを、オルガの声がひきもどした。

「ペトラの化粧台のなかから封筒がいくつか出てきたの。ペトラに宛てた手紙が二通。それから百コルナ札の入った封筒の表にあなたの名前が書いてあったわ。東洋人から贈られたって書いてあったわよ。ペトラ、あのお札を使わずに記念にとっておいたようね」

「東洋人?」そういって、わたしは微笑んだ。「それもイゴール・ルイスコワに渡すといい」

「そうね、ペトラほど珍しがりはしないでしょうけど」

「で、イゴールはいつ?」

 まだ会ってもいない人物の名をわたしたちは何度も会話のなかでくりかえした。ペトラの身内だということで親しみがわいたのだろうか。すくなくとも、プラハで独り暮らしをしていた老いの身のペトラを思うと、血筋がつながった人間が現れることだけでなにか特別なことのようにも思えるのだ。

「あさってだわ。土曜の午後になるって」

「わかった。出かけないようにしておくよ。そうか、ブルノから来るのか」

 わたしはブルノへはまだ行ったことがなかった。チェコ第二の都市ではあるが、どうしてかプラハにしばりつけられていて、モラビアのあたりまで遠出したことがなかった。ブルノのことは、プラハに来たばかりのとき二度ばかり耳にしていた。ときどきのぞきにいくギャラリーの店番が口にしていた町だ。

 《ギャラリー・ゴドー》という店。プラハ城からカレル橋を渡ってくる通りから、すこし脇に入った目立たぬ路地にある。路地の入口に小さな立て看板が立っていた。サミエル・ベケットを洒落て、小さな男の子がこちらを見つめる看板に気をひかれたのがはじまりだった。現代絵画やイラストレーション、それに観光客目当ての複製画などを置いている。そのギャラリーで働いているトマーシュ・オレルという青年が、やたらと東欧の画家の消息に詳しいためでもあった。エゴン・シーレの母親がボヘミア出身だということもトマーシュから教えられた。わたしが、一枚の絵の写真を見せて、こんな画風の画家知らないかとたずねたこともある。そのとき、「背景がモラビアの景色だね。ブルノあたりにいって聞いてみればいいよ。土地の画家かもしれない」と、親切に教えてくれた。チェコの画家ではなく、プラハで長く描いていたことだけは確かな画家だったからそれほど気にもしていなかった。

「ブルノか・・・」

 と、わたしはもう一度つぶやいた。

         

 

 

 


プラハ幻想 『サフラン通り』26

2011年02月13日 01時20分53秒 | 文芸

          *  

 

                                      

  階段のなかほどでオルガと出会った。

  わたしは午後の散歩にでようと階段を下りていくところだった。

  オルガが、ちょうどよかったというふうにわたしをひきとめた。部屋まで相談にくるつもりのようだった。わたしのほうが管理人室にまで下りていく。

「イゴール・ルイスコワが遺骨を引き取りに来るわ。いろいろ手続きがいるのよ。遺品引き取りとか、立会人のサインとか・・・」

 どうやらその立会人になってほしいらしかった。

 病院やら役所やらの手続きにそれぞれ立ち会ったのであれば、最後までつきあうほかない。近くの教会での内輪の葬儀にも、火葬した遺骨のひきとりにもついていった。なにができたわけでもないが、不幸の場に男がいてほしいと思うのはどの国でも同じようだった。オルガはすべてをとり仕切っていたが、なにかにサインをするようなときに、必ずわたしのほうを一度見て、口速になにがしか問うのだった。わたしはうなずいてみせるだけ。オルガはすこし口もとをひきしめ、「さ、これでいいでしょう」と、書類を相手に手渡すのだった。異邦の男が立ち会っていても、こちらの人たちはなにひとつといぶかる様子もなく、手続きを終えるたびにわたしにも悔やみの言葉をいった。

「イゴールって、ペトラの甥ごさんですよね」と、わたし。

「そう、夕べ電話があったわ。モラビアから車で来るんですって」

「モラビア?」

「そう、ブルノの近くだそうよ。ドイツ語だとブリュンね」

 ブルノ、歴史的にドイツ人の入植者が多かった地方だ。旧モラビア辺境伯領の居城もあり、トマーシュ・マサリクの名を冠した大学もある。

「それで、いつ?」

「明日の午後に着くそうよ。ペトラの部屋を見てもらって、必要なものだけ引き取ってもらうことにしたわ。まさかそっくりモラビアまでもちかえれないだろうし。衣類とかも」

 アニスが遺品を丁寧に整理していたのは知っていた。貴重品と思われる物を入れた箱はひとつだけ。現金も数千コルナほど。そのほか預金通帳などはひとまとめにカバンに入れた。そのチェックにもわたしは立ち会って、サインをしていた。アニスは写真一枚、日記一冊までリストにしていた。しまいにはリストの項目百ちかくになって、アニスもちょっと閉口したような顔をした。長いこと生きていると、人は様々な物を所有するようになる。本人が死んでしまえば、どれだけ意味のある品であるかもわからなくなるのに。アニスの仕事を手伝いながら、アニスがジャン=リュックの遺品の詩集を大事そうに抱えて階段をあがってきた晩のことを思い出していた。わたしだったら、誰になにを残していくだろうか。誰がなにを残しておいてくれるだろうかとふとそんな感傷的な思いもわいてくる。わたしの未来はともかく、わたしの鞄の中に残されたューリアの一枚の水彩画もそうした遺品とみるべきだった。人は死んでいなくても、なにかを残して去るものだ。


プラハ幻想 『サフラン通り』25

2011年02月13日 01時20分53秒 | 文芸

          *  

 

                                      

  階段のなかほどでオルガと出会った。

  わたしは午後の散歩にでようと階段を下りていくところだった。

  オルガが、ちょうどよかったというふうにわたしをひきとめた。部屋まで相談にくるつもりのようだった。わたしのほうが管理人室にまで下りていく。

「イゴール・ルイスコワが遺骨を引き取りに来るわ。いろいろ手続きがいるのよ。遺品引き取りとか、立会人のサインとか・・・」

 どうやらその立会人になってほしいらしかった。

 病院やら役所やらの手続きにそれぞれ立ち会ったのであれば、最後までつきあうほかない。近くの教会での内輪の葬儀にも、火葬した遺骨のひきとりにもついていった。なにができたわけでもないが、不幸の場に男がいてほしいと思うのはどの国でも同じようだった。オルガはすべてをとり仕切っていたが、なにかにサインをするようなときに、必ずわたしのほうを一度見て、口速になにがしか問うのだった。わたしはうなずいてみせるだけ。オルガはすこし口もとをひきしめ、「さ、これでいいでしょう」と、書類を相手に手渡すのだった。異邦の男が立ち会っていても、こちらの人たちはなにひとつといぶかる様子もなく、手続きを終えるたびにわたしにも悔やみの言葉をいった。

「イゴールって、ペトラの甥ごさんですよね」と、わたし。

「そう、夕べ電話があったわ。モラビアから車で来るんですって」

「モラビア?」

「そう、ブルノの近くだそうよ。ドイツ語だとブリュンね」

 ブルノ、歴史的にドイツ人の入植者が多かった地方だ。旧モラビア辺境伯領の居城もあり、トマーシュ・マサリクの名を冠した大学もある。

「それで、いつ?」

「明日の午後に着くそうよ。ペトラの部屋を見てもらって、必要なものだけ引き取ってもらうことにしたわ。まさかそっくりモラビアまでもちかえれないだろうし。衣類とかも」

 アニスが遺品を丁寧に整理していたのは知っていた。貴重品と思われる物を入れた箱はひとつだけ。現金も数千コルナほど。そのほか預金通帳などはひとまとめにカバンに入れた。そのチェックにもわたしは立ち会って、サインをしていた。アニスは写真一枚、日記一冊までリストにしていた。しまいにはリストの項目百ちかくになって、アニスもちょっと閉口したような顔をした。長いこと生きていると、人は様々な物を所有するようになる。本人が死んでしまえば、どれだけ意味のある品であるかもわからなくなるのに。アニスの仕事を手伝いながら、アニスがジャン=リュックの遺品の詩集を大事そうに抱えて階段をあがってきた晩のことを思い出していた。わたしだったら、誰になにを残していくだろうか。誰がなにを残しておいてくれるだろうかとふとそんな感傷的な思いもわいてくる。わたしの未来はともかく、わたしの鞄の中に残されたューリアの一枚の水彩画もそうした遺品とみるべきだった。人は死んでいなくても、なにかを残して去るものだ。


プラハ幻想 『サフラン通り』24

2011年02月13日 01時18分08秒 | 文芸

アニスがもどってきた。管理人室に座っているわたしをみて、ほっとしたような顔をした。ペトラの部屋にいくので、ついてきてと短くいった。なにか必要なものがあるのだろう。

「ダキュメント?」と、わたしなにかを探しているアニスにいった。縁者に連絡をとらねばならないのだろう。身分証のほかに、親類の連絡先などをしるした手帳のようなものが必要だろう。

 年金生活者らしく、官庁にしめす書類はきちんとキャビネットにおさまっていた。なにかの申請書の写しには、このアパルトマンの住所しかなかった。アニスは、いくつか古いノートをベッドサイドのテーブルにそっとのせて、パラパラとめくっている。そのテーブルの下に小さな引き出しがついている。鍵の掛かる引き出しだ。

「そこは、どう?」と、わたしがいうと、アニスは躊躇ったようにわたしをみつめた。 いいのかしら、というような表情だ。だが、鍵は?

「ペトラの鍵束はこれ」と、いってアニスは手のうえにのせてみせた。彼女のバッグのなかにあったという。

「こいうときだから、しかたないだろうな」と、わたし。

「お願い」と、アニスは鍵の束をわたしに委ねた。

 いちばん小さな装飾つきの鍵をえらんで、鍵穴にさしこむ。すぐに鍵はあいたが、引き出しそのものは、たてつけが悪くて、力を必要とした。いっきに引き抜いたとき、アニスはびくりとしたようだった。わたしはすこしが微笑んで「大金はないね」というと、恥ずかしそうに笑った。

 使い込んだ銀行の通帳が二冊。輪ゴムをかけた写真や絵葉書の束。古くて失効している証明書。アニスはそのひとつひとつをずらりとベッドのうえにならべ始めた。すぐに、古い順に検討をつけているのがわかった。葉書などの日付を丁寧に調べている。 古い写真の裏にも日付がついていた。三十年前のペトラが映っている。クラクフ近郊の町の名前がついている。旅行にいったときのものだろうか。同じ家を背景にして写っている写真が数枚ある。チエコ東端の小さな町。

「あったわ。この町からの手紙が二通」と、アニスがいった。「いちばん新しいのは十年前の手紙だけれど」

「差出人は? 住所も読めるかい?」

「待って」と、アニスの瞳がすばやく動いている。

「イゴール・ルイスコワ。同じ姓だわ。親戚か、息子かわからないけど」

 あとで聞いたことだが、オルガはそのイゴールの名前を聞いたことがあるそうだった。ペトラの甥の名前だという。そして、その十年前の手紙も、ペトラの兄の訃報だった。

 アニスはイゴール・ルイスコワの住所を書き写した。

 そのとき、階下で電話のベルが鳴りはじめた。アニスは小走りに降りていった。わたしは、まだ若い頃のペトラの写真を眺めてまつことにした。いかにも社会主義時代らしいスカーフ姿のペトラだ。四十代だろうか。なにかの集会の会場らしい。背景にモノクロでもはっきりと察せられる赤旗が何本もたっていた。

 階下がしんとした。妙な静けさだ。アニスは電話にまにあったのだろうか。

 嫌な予感がして、わたしも管理人室に下りていった。

 アニスは受話器を耳にあてたまま、棒立ちになっていた。わたしが入ってきたので、わたしのほうへ受話器をつきだした。

「・・・ああ、あなたね。アニスを落ち着かせてやってちょうだい。あわてなくていいの。もう、あわてなくて」

 ペトラがいましがた息をひきとったのだ。予想されたことではあったが、アニスは動顚していた。

 電話をきって、ふりむくと、アニスが泣きながらわたしに抱きついてきた。ペトラ婆ちゃんが・・・、とつぶやきながら、すすりあげていた。アニスが子どもの頃から、ペトラ婆ちゃんは、このアパルトマンの住人だったらしい。アニスの髪が干し草のような匂いをたてていた。わたしは、アニスの背にそっとふれながら、「イゴールの住所に電報を打とう。わたしもいっしょにいくから」と、それだけいった。あわてる必要もない、事はすでに終わっている。静かにペトラ・ルイスコワを悼んでやればいいのだ。

 


『サフラン通り』 23

2011年02月13日 01時16分50秒 | 文芸

 

  オルガが出掛けていったのを潮に、近所の婦人連もひいていった。       

 ようやく自分の部屋にもどり、抱えていたレコードを机に置くと、ベッドに転がって天井をにらんだ午後二時をすこしまわったところだった。

 階下から物音はしない。アパルトマンじゅうが息をひそめているようなのは、やがてあわただしく開くはずの外扉の開閉にそなえるためか。それとも、管理人室の電話のベルを待っているのか。いや、ほんとうに階下でベルが鳴っていた。

 わたしは跳ね起きて、階段をころがり降りていった。管理人室の開きっぱなしのドアにとびこんで、鳴っている電話にとびついた。そんなに流暢な応対ができるはずはなかったのに、病院のオルガからだときめこんでいた。

 はたしてオルガだった。いま、アニスを帰した。アニスがなにをすべきかは承知しているから手伝ってくれるように。ペトラは集中治療室にはいったきりで、まだ様子がわからない。アニスをたすけてあげて。オルガは二度おなじことをいって電話をきった。

 はて、なにをどうしたらよいのか。アニスが帰ってみないと見当がつかなかった。管理人室の書き物机に肘をついて、しばらく待つことにした。目の前に、住人のスペアーキイがぶらさがっている。はてペトラ・ルイスコワは何号室だったか、迂闊なことに覚えていなかった。いや、誰が何号室かもつきあいがないのであれば、知るわけもない。スペアーキイの下に、居住者の名前が書き込んである古びた紙がはりつけてあった。わたしの名前は、古い名前のうえに紙をはって書きたされていた。

 ペトラは、二階の奥の二○四号室だった。

  ペトラ・ルイスコワ。いつから、このプラハに流れ着き、このアパルトマンに住みつくようになったのか。ずっと独りだったのか。なにもわかりはしない。わたしは、昔自分が書いた小説のひとつに出てくる、老いて死を待っている野良猫のことを思い出した。ついに飼い主を得ることなく、町から町へ流れて、野良の生活の果てに、老いて病をえて、疥癬だらけになって路地に横たわっていた雌猫の思い出だ。その野良猫をタンボール箱にいれて介抱のまねごとをしながら、その死をみとっていた少年がいた。少年は、すこしまえに自分の飼っていた子猫が車に轢かれて死んでしまっていた。そのときは、なすすべもなく車道に転がっている子猫の死骸をみつめているしかなかった。少年にみとられながら、老いて病みついた猫は一息ごとに死にちかづいていくのだった。


『サフラン通り』 22

2011年02月13日 01時14分41秒 | 文芸

                

 

 

 早朝のご帰還で、下宿屋の女たちの注目をひきたくなかった。バーツラフ広場のカフェで長々と午前を過ごし、新聞を小わきにしてアパルトマンにもどってみると、出入口のあたりから異様な空気が漂っていた。あまり馴染みのない近所の主婦連が出たり入ったりしている。みな一様に狼狽の色を見せて、小走りに出ていったり、かけ戻ってきたりした。何れも六十を越えた年配の御婦人がただ。

 自分の部屋への階段をあがっていくのも難儀だと思い、舗道にしばらくたって観察していると、ふいにオルガが顔をだして、わたしをみつけた。

 はっとして、わたしを凝視する。

 やっと帰ったわね、とか。待っていたのよ、とか。そんなありきたりの挨拶ではないようだ。

「病院へ運ばれたわ!」と、オルガは短くいってよこした。瞬時にアニスの顔が浮かんだ。でも、なぜ? 

「ペトラ・ルイスコワよ。今朝早く。心臓が弱っていたみたいなの」

 なるほど、心配そうに様子を聞きにきているのは、ペトラの顔なじみの年配の婦人ばかりだった。

「アニスが掃除にいって気がついたのよ。息のしかたが普通じゃないって。顔も蒼白で気を失っていたの」

 どうやら、わたしが霧の晴れたヴルダヴァを見下ろしながら、コーヒーをすすっていた頃のことだったらしい。救急車がきて、労働者病院に移送していったという。

「このところ元気がなくて、部屋から出てこなかったのよ。病院へはアニスが付き添っていったわ。これから着替えを届けるところ」

 日頃は、ペトラと顔をあわすこともなく、言葉をかわすのも挨拶程度だったが、なんといっても、わたしをこのアパルトマンに導いたのはペトラだった。それだけの縁はあるというもの。

「着替えが必要なのでこれからもっていくわ」

 オルガはもう一度おなじことをいって、わたしを凝視した。

「アニスと交代してくるかもしれないわ。アニスが帰ったら、なにか手伝ってあげてほしいの。あの娘もショックを受けてるはずよ。それから、オルガの部屋の鍵があいたままだから、アニスにいってしめておいてほしいの」

 落ち着いているようで、オルガもなにか慌てているようすだった。