天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

猫迷宮 8(パイロット版)

2011年02月22日 23時28分45秒 | 文芸

                                                   

 

 

「神尾さん、今日は遅いですね」

 紅花舎の事務所へあがっていくと、ミドリちゃんが待っていた。

「あれ、カギ開いてた?  しめたつもりだったけど」

「開いていましたよ。不用心ですね」

「金庫もあるしな。あんまりは入っちゃないけど」

「わたしが強く引いたから鍵がこわれちゃったのかしら」

「まさか」

「でも、古いドアってひっぱるとたいてい開いちゃうんですよ」

「そう。で、なに? 新しいゲラ」

「今朝、うちのほうにおたくの社長さんからファックスがはいってたんです」

 そういって、ミドリちゃんはB4の紙切れを一枚差し出した。

「うちの社長宛ですけど、神尾さんに対応してほしいって」

 ファクスは手書きで、しばらく音信のなかった前の依頼主が校正のことで相談したいから社のほうに出向きたいとの連絡がはいった旨が書いてあった。大曲泰蔵氏の筆跡だ。妙に達筆なのが、かえって胡散臭い。

「この件は神尾さんじゃなきゃだめでしょう?」

「ああ、一応担当だしね。あれ、これって、今日か明日の午後だって書いてあるな」「そうなんです、所番地を頼りに来社するっていってるそうです」

 今日でも明日でも、ずっと事務所にいるのだから差し障りはないが、料金の話になったらすこしマズイような気がした。なにか変更があったら、印刷屋と相談して返事するということにするしかないが、組版や活字が気に入らないとか、書体を変えるとなるとやっかいなことになる。丸尾印刷とは、標準的な活字で見積もってもらっているからだ。いまでは、フォントというのだが、紅花舎とはいまだに無縁な用語だった。

「それで、もし、お客さんがうちのほうに訪ねてきちゃったら、わたしがこっちへ連れて来ていいですよね」

「うん」

 それにしても、ファックスならこちらによこせばいいのに、大曲氏はこの頃ではなんでも丸尾印刷を通してくる。昨日の給料のことといい、なんだか腑に落ちない。丸尾印刷をとおしてこちらの様子をさぐってきているのかも知れない。いま、わたしが怒って辞めるとでもいいだせば、まだ中途の仕事のやり手がいなくなる。なんだか、小狡い計算が働いているようで不快だった。

 ミドリちゃんが、まだたったままこちらを見つめているのに気がついた。

「だいじょうぶ、こっちで受けるよ。なにか判らないことが出てきたら電話するようにするから」と、安心させてやる。

「はい、わかりました」と、ミドリちゃんはちょこんと頭をさげて出ていった。

 ひとりになってから、デスクの下に置いてある手提げ金庫を取り出した。番号をまわして開けてみたが昨日と変わりはない。小口の集金と支払い用のものだが、電気料と電話代のほかは出ていくものはなかったし、入金はこの二月ほどなにもなかった。もとは、二十万ほど入っていたが、今は九万四千円也だ。これがなくなったらどうするのか。いよいよ大曲氏に連絡をとらねばならない。

 雑巾をしぼってデスクのホコリをぬぐうと、ラジオのスイッチをいれた。

 〈ただいま十時三十分をすこましまわったところです。首都高の渋滞はありません。本日夜半十時より環七豊橋陸橋の工事があります。片側車線一時通行止めとなります。午前中、首都高は順調に流れています〉

 番組のあいまの交通情報が流れた。続いて気象情報。今日は気温があがるらしい。六月にはいったとたん夏日の予報だ。


猫迷宮7(パイロット版)

2011年02月22日 23時24分00秒 | 文芸

 昼間さんざん校正した『昭和戯文集成』の文句が口をついて出てきた。

 

信徒百有余人、震災より三七、二十一月の後、本地にようやく帰還す。バラックの集落を営み、よろずの商い生業に精勤し、ほどなく本建築の町家を再建するにいたる。その間五年、艱難辛苦筆に語るに尽くしがたし。教主の住まいその後も仮寓のアバラ家にて、幟旗のみさっぱりと新しく翻りおる。本殿と鳥居が再興されたるは、信徒の寄付漸く集まりしあとなり。信徒中にも商いより富貴なる者いずるにおよんで、教主の仮寓も小さきながら檜の材を集めて本殿わきに建てられたり。

                                      

 

 怪しげな擬古文調が妙に覚えやすかった。いったい東京のどのあたりに信徒一門は帰還していったのか。すくなくとも山手や省線電車の内側ではあるまい。震災のあとで、帝都復興の土木建築の仕事は溢れるほどあったはずだから、おそらくその復興景気に乗じて生活をたてなおしたようだ。なるほど、天災を逃れて財を失っても体一つ残ればなんとかなるわけだ。いつもながらの楽観主義というか、能天気さがぶりかえしはじめた。いつからこんなになってしまったのか、反省する気もないが、将来についてなげやりなのは確かだった。人が考えるように世の中を考えるのが嫌なのかもしれない。高校を卒業するとき、進学でもなく就職でもなく、ぼんやりとしているうちに或る商事会社の求職票が教師から手渡された。履歴書の書き方を指導してもらっただけで、その会社を訪ねた。その会社に入ってからも、三年ばかりして辞めてしまってからも、当面の生活ができればいいやという考え方で職を変えてきたのだ。まるで野良猫だ。なにかに縛られるのが嫌いなひねくれ者にすぎぬかもしれない。いや、たとえこちらがしっかり仕事をしようと思ったとて、雇い主が大曲泰蔵氏のような男であったら、ただ翻弄されるだけだ。おおかた給料の大半を未払いにされたままほうりだされてしまう。大曲泰蔵氏が姿をくらますのも時間の問題のような気がした。

 眠りかけていたとき、二階の住人が帰ってきたらしく鉄の外階段に複数の足音が響いて、家屋がすこし揺れた。頭の上でドアの鍵がガチャガチャいって開けられている。酔っているような話し声がした。ひとりは女のようで、二人の男のうちのひとりが連れてき帰ってきたらしい。階段にヒールがひっかかって小さな悲鳴をあげていた。

 頭の上で足音が動いていくのがわかる。女のほうは靴をぬぐのに手間取っているようすだ。

 寝返りをうって、眼をつぶった。すうっと眠りに引きこまれていく。二階でテレビをつけたらしく歌謡曲が聞こえてきた。今日はなに曜日だったか、もう考えられなかった。

 しばらく、うとうとして、すこしだけ浅い眠りの淵から浮き上がる瞬間があった。頭の上からなにかの震動がミシミシと伝わってきた。人の声は聞こえなかったが、そのミシミシ、ミシミシという振動はいつまでもつづいていた。

 

 暑くて眼を覚ますと、まだ朝の七時だった。まだ寝ていたかったが、湿気をふくんだねばりつくような暑さでは寝てもいられない。思い切って起き上がって顔を洗ってしまえばそれまでのこと。早めに家を出て、寄り道しながら本郷に出社していくのも悪くない。途中で餡パンと牛乳の定番の朝飯でもかまいはしない。

 それにしても、まだ早かったので湯を沸かしてインスタントコーヒーでも淹れることにした。薬罐を火にかけ、新聞をとろうとドアをあけた。朝刊だけはとっているが、来月からやめにするかと思う。郵便受けに突っ込んである部厚な朝刊をひきぬき、一面を見て月が変わっているのに気がついた。今日から六月だった。

 新聞をやめようとおもうのはほかにも理由があった。新聞がときどき盗まれるからだ。一週のうちに二度三度と配達もれがつづいたので、販売店に電話を入れると、まちがいなく配達しているという。この地域は、バイトさんではなくて、販売店の主人がまわっているから確かだ。おたくのアパートは一階は神尾さんだけだからまちがいありません、と。それでも、気の毒だから取りにきてくれれば、残っている朝刊はいくらもあるからさしあげますよと親切なのか、いまひとついきとどかない応対をされた。しかし、そんな気がしてはいたのだ。朝まだ眠っているドアのむこうを奥のほうから出かけていく気配がして、通路の出口のあたりでカタンと音がすることがあったからだ。出勤がてらに、人のうちの新聞をぬいていくヤツがいるのだ。もちろん、みつけて文句をいってやろうと思っていたが、現行犯でないとハナシにならない。朝はやいだけに、いつもとりにがして悔しい思いがつづいていた。新聞をゆっくり読もうと思う朝にかぎって、ちゃっかりヌカれているのも癪のタネだった。

 新聞を開いたまま、部屋にもどろうとすると、奥の部屋から出かけていく赤いスカートの女とすれちがった。眼があったが、挨拶でもない。池袋のデパートにでも勤めていそうな女だった。ちゃんと顔を見たのははじめてだった。振り返って見送っていると、女はおもて通りに出るときになって、ちらりとこちらに視線をなげた。

 湯をかけていたままなのを思い出して部屋にひきかえすと、果しておおかたの湯は蒸発してしまっていた。部屋の中にやたらと湿気をふやしただけのようだった。インスタントコーヒーにしたって、しばらく飲んでいなかったので、半分ほどが湿気て固まっていた。スプーンでほじくって、なんとかカップに粉をかきだしたが、コーヒーの香りもしない苦い液体に変わっただけだった。それでも、インスタントのコーヒーを湯でといたほうがコーヒーらしい気がして好きだった。子どものときから、コーヒーというのは粉をとかして牛乳と砂糖をいれてかきまぜて飲むものだったからだ。貧乏くさいが、やはりソーセージだって、魚肉ソーセージのほうが性にあっていて、空腹になるとむしょうに食べたくなる。

 苦いコーヒーを一口ふくんで、ふとつぶやいた。朝刊をヌイていくのはあの女だな。

 

                       

 

 


猫迷宮6(パイロット版)

2011年02月22日 23時10分26秒 | 文芸

                                           

 

                                       

 練馬のアパートに着いたときには九時近くになっていた。

 いつもよりゆっくりと自転車を漕いできて、途中の江古田駅ちかくの牛乳屋で一本飲んでひといきいれたときにも、あの蕎麦屋の男女の会話がひっかかっていた。あの蕎麦屋の男はどんなアブナイことに手をそめているのだろう。誰もが人知れずアブナイ橋を渡っているにはちがいない。アブナイ橋はいつ後ろから崩れ落ちはじめるかしれない。今日の午後ミドリちゃんから渡された七万円が、その兆候だというべきだ。このぶんでは、あと幾月家賃を払いつづけられるか知れたものではない。

 下宿は江古田と氷川台のちょうど中間にある。築四十年物の木造老朽下宿。鍵型の木造で十部屋ほどある。六畳で家賃四万八千円なり。もうすこし郊外にいけば安い物件もあるはずだが、独り暮らしをはじめたとき、以前に勤めたことのある皮革会社に近くて、土地勘がはたらいたので決めたのだ。人は頭のなかにそれぞれの安心できる地図というものがある。引っ越しを繰り返しても同じ電車の沿線に決めてしまうのはそのためだ。すくなくとも自分は、猫のテリトリーのように一定の地域から離れられないらしい。今のアパートの前は豊玉陸橋の近くの騒音のひどいアパートだった。マンションに建て替えるとかで追い出された。その前が桜台。やはり二キロと離れていなかった。

 アパートのどの部屋にも明かりついていなかった。住人と顔をあわすことはめったにない。たいていは池袋あたりの夜の仕事に出ていくようだ。しばらく前まで、西池袋のゲイバアにいる男がすまっていたが、いつのまにかいなくなっていた。

 アルミニュウムのドアノブが錆ている。ドアには先代、先々代の居住者の名札をはがした形跡がこびりついている。手紙がくるはずもなく、訪ねてくる者もいなかったので自分は表札を出さずにいる。郵便受けにカタカナで「カミオトオル」とマジック書きした名前を差し込んでいるだけだ。二ヵ月に一度ほど、ドアノブに〈ゴミ当番〉のボール紙のフダがかかっている。そのときだけは、一週間ほど出勤前にゴミ集積場のあたりを掃除しておく。すると、誰が動かすのか、フダが別の部屋のドアノブに移動していた

 一階の自分の部屋に入るなり、窓を開け放つ。湿気が多いので、これからは換気をしておかなかと畳に黴が生えてしまう。網戸だけはどんなに面倒でもかならず修繕していた。黴はまだしも、虫の侵入がいやだったのだ。一か所ほつれている台所の網戸は、ガムテープをはりつけて応急処置をしてあるが、あれもちゃんとしないと、はがれそうだ。帰るなりそんなことに気をまわしている自分がばからしくなって、畳に寝ころんだ。天井は裸電球がひとつ。蛍光灯は古くなってチカチカしだすのが嫌いで使ったためしがない。電球ならフィラメントが切れればそれで終わりで、かえって気持ちがいい。切れた電球をクルクル回してつけかえる作業が好きだった。新しい明るい電球を灯すと生活が一新したような気がして清々する。ばかな錯覚というべきだったけれど。

 はあーっ、とため息をついて、寝ころがった。天井板が老朽のせいで膨らんでたわんでいた。いつか上の重みに耐えかねて落下してきそうな気がする。天井裏にはネズミの糞やら、虫の死骸がホコリといっしょに積み重なっているはずだ。上の住人は男二人が住んでいるが、彼らが布団の上げ下ろしをするたびにズシンとこちらに重い振動が伝わってくる。大抵は彼らの深夜の御帰還のときで、夢うつつでその地響きを聞いていた。ときどき二人が愉快そうにテレビを見て笑っているのも聞こえた。

 自転車を漕いできた疲れで、もう起き上がるのがおっくうだった。このまま寝ていると眠りこんでしまいそうだった。押し入れから布団をだした。毛布だけかけて、またごろりと横になった。歯を磨きたかったが、もう起き上がりたくなかった。天井の板目の模様がこちらを見下ろしている。すっかり見慣れた模様も、夜は明かりの加減で不気味に見える。転居するたびに天井の模様が気になってしかたない。ここにくるまえのアパートの部屋は指紋のような渦ばかりだったし、その前は合板にプリントした繰り返しの模様だった。さらに前は、母親と住んでいた世田谷の借家だったが、十代の終わりから二十歳すぎまでのことで、ちゃんとした板目で、妖怪の目玉にもみえたものだ。

 母親が体を悪くし、一年半ほど入院して亡くなってみると、我が家が借家であったことにはじめて気がついた。貯金を取り崩していたのか、母親が払ってくれていた借家代が失業中の自分に払えるはずもなく、早々に転居せねばならなかった。母親の残した着物類やわずかな家具を処分するのに近隣の古物商をまわったりもした。ほとんどのものは廃棄してしまったが、鏡台と手鏡だけは手元に残した。曇り一つない鏡のなかに、ひょっとしてあの世にいってしまった母親が姿を映してみせるのではないかと真面目に思いこんだからだった。母親は、息子が勤めにでるときには必ず塩むすびの弁当を作って手渡してくれた。外出先の食事はあてにならないというのが口癖だった。

 久しぶりにその頃のことを思い出したが、母親の弁当のことにたどりついたあとに、なんだか記憶の欠落があるような気がしてならなかった。なにか思い出せないことがあるような違和感があった。

 


猫迷宮5(パイロット版)

2011年02月22日 19時58分07秒 | 文芸

  橋のむこうに、ラーメン屋が一軒見えた。流行っていないようすだ。その隣には、どこにでもありそうな蕎麦屋が明かりをともしていた。丼物をあつらえるなら蕎麦屋のほうだな、と思っていると、ラーメン屋の明かりが落ちてしまった。夜は商売する気がないらしい。

  信号が変わった。自転車を蕎麦屋のほうに転がして渡る。年季のはいった「商い中」の札がかかっていた。引き戸をあけて、中をのぞくと客はいなかった。一番奥のテーブルに座って新聞を読んでいた亭主がたちあがった。たちあがりながら、頭の上の小さなテレビのスイッチを入れた。

  入口ちかくのテーブルに腰をおろすと、すぐに薄い麦茶のはいったコップと、ビニールケースにはいった品書きをパラリと置いていった。その間、無言だった。ほんの数秒だけ、カツ丼か玉子丼かを迷う。

「玉丼!」と、聞き間違えようのない声で注文する。

「へい」と、奥ではじめて返事があがった。

  テーブルの下にヨレた写真週刊誌とスポーツ新聞が置いてある。テレビはナイター中継だった。野球には興味がなかったので、新聞をひっぱりだして、ひろい読みしはじめた。校正する必要のない活字を眺めるのはらくでいい。そういうときにかぎって、誤植などを発見する。「弱冠二十歳」が「若干・・」になっていたり、荻野が萩野になっているのはよくみつける。一二面は野球なので、芸能欄をめくると、果して荻野目が萩野目になっていた。女優のゴシップのコラムだった。さすがに見出しはまちがっていなかった。猫のような眼をした女優の小さな顔写真がついている。本人とはずいぶんちがった印象を受ける写真だ。アミ点の多い新聞写真だからだろう。

  客が入ってきた。男と女だ。男は後楽園の場外馬券売り場にでもいそうな風体だ。それともダフ屋か。女は男よりもかなり年上だった。タバコをくわえて、一日中パチンコ屋にいそうな女だ。ごろごろした低いかすれ声をあげて、「こっち側にしようよ」と席を指図している。テレビには関心がないらしい。男は、眼を細めて画面を見ていたが、巨人が負けているので「ちぇっ」と、いったきりテレビに背をむけてしまった。「灰皿とってよ」と、また女の低い声がした。「う」と、男が別のテーブルに手をのばしている。店の亭主はまだでてこない。こちらが注文した玉丼の仕上げで手が話せないらしい。「らっしゃい!」と、今度は客種を見ているのか、声だけかけてよこした。

「瓶ビールね!」と、男がなれた風に奥にむかっていった。

「へーい!」と、また声だけ。すこし間があって、玉丼よりさきにビールとグラスがふたつ新客のテーブルにきた。そのあとで、おまちどうさまと蓋付き丼と香の物が四角い盆にのってやってきた。おやじの二の腕に水滴がはりついていた。盆の下に勘定書の紙をたくみにすべりこませていってしまう。

「あたし、なににしようかなあ」

  かわいげのない低い声がした。

「鴨南だろ、いつも」

「やあね、今日は冷たいのにするわ」

  丼の蓋をとる。どこでも変わりばえのしない玉子丼だ。紅入りの蒲鉾のあいだにパラリとほうりこまれた風情のグリンピースが二つこちらを見返していた。もうひとつは、香り付けの三つ葉の陰に隠れているのか、三つ目のグリーンピースはなかった。

「隣が閉まってなきゃ餃子が食いたかったんだけどな」と、男がつぶやいている。女はこたえず、タバコをくわえて火をつけた。一口吸うと、男のほうに差し出した。

「なにいってんの、あんた飲むばかりなんだから、どこでもおなじ」

「朝からろくなもん食べてないんだよ。御飯物がいいな」と、ちらりとこちらのほうを見ている。それから品書きを見当する様子だ。

「ときたまさあ、カツ丼が食いたくてっしょうがなくなって注文すんだよ」男がタバコをくわえたままくもった声でいっている。「それで、カツ丼がくるだろ。でも、半分も食えないんだ」

「だから、飲み過ぎっだって」

  ふん、と男は鼻を鳴らした。

「オレ、鴨南蛮。蕎麦で」

「あたし、山菜蕎麦」

「あれっ、冷たいんじゃないの」

「ビールでおなかが冷えたのよ」

  注文をしてしまうと、ふたりはなにか小声で話しはじめた。玉丼のどんぶりの底がのぞいた。顔をうめるようにしてかきこむ。ふと見ると、三つ目のグリンピースは丼の蓋にはりついていた。

「あらやだ、そんなこと知れたらどうすんのよ」

 と、女がすこし声をあらげた。

「そんときゃ、まあ、まずいな」

「そうよ、あたしはやだからね。聞かなかったことにしておくわよ」

 女がタバコにまた火をつけている。

 丼の蓋から青豆をつまみとって口にいれた。ふやけていて豆の味はしなかった。

「だから、それ、いつからなの」

「今年にはいってからだよ」

「ふーん、よくまあ」

「しかたねえだろう。そうなったちまったんだから」

 そこまで話したところで、彼らの誂えものが運ばれてきた。ふたりは無言になって、それぞれ食べはじめた。女が蕎麦をすする音だけがした。

 立ち上がって勘定を終え、店を出てくる背中で「はやく始末しちゃいなさいよ」と、かなり声高な女の声がした。いっこうに内容の知れぬ会話に、消化をさまたげられるような嫌な感じがした。

 


猫迷宮 4(パイロット版)

2011年02月22日 19時54分11秒 | 文芸

「それでさ。新刊がだせなくて、いよいよ取次ぎから金がまわらなくなったもんだから、在庫をどんどんよそへ流しちまった。断裁したってことにして、古書じゃなくてディスカウント書店のほうへね。まだ、書店の棚にいくらかは並んでいる本が、一冊百円で出てきちまった。まあ、印刷屋がこういうのも変だが、あそこらあたりの本は再生紙にしちまったほうがいいくらいで、誰も読みゃしないよ。うちで刷った本もいくつかあったな。・・・いや、印刷屋も製本屋も関係ないさ。ただ、気色悪いってだけだな。倒産したならまだしも、在庫の横流したあ恐れ入谷の鬼子母神だ。だけど、よく聞く話だよ」

  社長は地口がきまったのに気をよくしたのか、いよいよ能弁になってきた。客は薄っぺらなあいそ笑いをしながら、焼酎を舐めている。

  ミドリちゃんがいよいよモジモジしはじめている。なにか用事がありげの様子だった。階下で、なにかコトリと物音がした。すかさず、

「猫が一匹はいりこんでたよ」と、でまかせにミドリちゃんにいってやる。

「あら、やだ。こないだのブチだわ」と、腰を浮かせた。

「おう、それじゃ下を戸締りして、シマちゃん、あがっていいよ。猫は追い出してな」と、阿吽の呼吸で丸尾社長。ミドリちゃんの名前が島村であるのは初めて知った。「はあい」と、いって事務所をすべり出ていった。

「それじゃ、ぼくも」と、いって立ち上がり「ごちそうさまでした」と、湯呑みを近くの流し台に置きにいく。

「おう、悪いな。今度、またな」と、どうせ覚えてもいないだろうが、その場だけの挨拶に「はい」とうなずいた。

  一階に下りていくと、果してミドリちゃんは猫を一匹抱き上げて奥から出てきた。

「この子、おいたはしないわよねえ」と、子どもでもあやすみたいに揺すってやっている。

「どこの猫?」

「この先の神社の神主さんとこの子よ」

「飼い猫か」

「そ。でも、すみませんでした。早く帰らなくちゃ」と、頭をさげて猫といっしょに出ていった。路地へでると、猫を放してやっているミドリちゃんの後ろ姿が見えた。猫が走り去ると、自分も小走りでかどを曲がっていく。ミドリちゃんの白いブラウスが電柱の陰に消えていった。それを見送り、自分も会社にもどることにした。

  社屋のまえまできて、立ち止まった。はて、電気は消してきたのではなかったか。紅花舎の窓は薄暗くなった周囲に皓々と明かりを放っていた。その照明のなかをなにか黒い影がふっと動いたような気がした。誰か来ているのか。客があるわけはないし。わざとビルの入り口のドアを乱暴に開け閉めして、階段も音をさせてのぼっていく。横開きの事務所の扉を開け放つ。

 事務所のなかには、誰もいなかった。スチールキャビネットの側面に貼ってあったポスターがはがれてフラフラと動いていたのだ。どこから風がはいっていた。西側の窓のひとつが半開きだった。一週間くらいそのままだったらしい。人が忍び込める窓ではなかったが、猫なら隣のビルから簡単にとびうつってこれそうだった。もっと暑くなったら、虫が飛び込んできてやっかいなことになったろう。深夜になって、向かいの中華屋のあたりの路地を大きなゴキブリが羽をてらてら光らせながら移動しているのを何度も見たことがある。あいつらは、二階ぐらいまでは平気で飛んでくるのだ。六月にはいったら事務所のなかも一度殺虫剤で燻蒸しなくてはと虫嫌いの本性があらわになる。それよりも、自分の下宿の部屋がさきだが、あそこにいつまで住めるかもわからなくなってきた。築四十年はたっていそうな木造モルタルの安アパートだが、その六畳間を追い出されたら、紅花舎の書棚の奥にマットでも敷いて寝泊まりするほかはない。転居するにも敷金礼金だっているのだ。

  戸締りをして、階下に下りていく。ビルの脇にとめてあった自転車を引っ張りだした。自転車にはカギがついていない。拾った自転車だった。この自転車で練馬のアパートまで往復するようになって半年。のんびり漕いでくるので三十分以上かかるが、自転車に乗りなれてしまうと、金をだして地下鉄などに乗る気がしなくなる。交通費など払われたことがないから、自転車はささやかな生活防衛だった。一往復すればその日の昼飯代になる。と、そこまで考えていると腹がクゥ―ッと鳴った。印刷屋で呑んだ焼酎のおかげで、まぎれていた腹の虫が騒ぎ出したのだ。

  壱岐坂下からいっきに後楽園をぬけて、神田掘沿いに自転車を走らせているとすっかり暗くなっていた。日が落ちるとすこし物が見づらくなる。栄養が足りないのかもしれない。昔なら「鳥目」といったところだ。交差点でいったん止まって、眼鏡をぬぐった。 


猫迷宮 3(パイロット版)

2011年02月22日 19時51分50秒 | 文芸

  教主が御身を依巫(よりまし)として降ろしたまえる御霊は、ときに明神百狐様、ときに御白蛇様、あるいは御嶽白衣童子と申し、よく宣旨予言、悪疫退治の法をなすなり。

 さる年の春、四月九日、教主突然に神おろしたまいて曰く「今夏の暑さ侮るべからず。地中より忍び寄る魔あり。地上に炎熱はいまわる予告なり」と。その年八月、信徒一門、旧盆を期して先祖供養を終えたるままに白装束にて西国行脚に下る。その数、百有余人。西国霊山回峯回向、滝行、三七、二十一日に渡る修行ならん。八月晦日、深更、教主俄に東方に赤き光昇るのを見る。あはれ、我が住処滅びん。我等が身ひとつのみ救いおわんぬとのたまう。明ければ、大正十二年九月一日なり。

                                                     『昭和戯文集成』抜粋

 

  戯文集もいよいよ佳境に入ってきたようすだが、なるたけ、内容にたちいらぬように活字と原稿をつきあわす。その原稿の筆跡たるや、ひどい金釘流だ。筆跡を知られたくなくて、わざと利き手でないほうで書いたのか。判別しずらくて、そう思いたくもなる。

  それにしても、あらゆる憑き物をその身に憑依させて、予言や悪疫治療の法をさずけるという教主が、関東大震災を予知して、教徒をひきつれて東京市を脱出し、関西を遍路するうち、果して未曾有の大地震が出来したという伝承には驚かされる。まるでモーゼの脱エジプトではないか。モーゼは同胞をひきいて冥府たるエジプトを脱して、約束の地をめざしたけれど、秋津大明神かなにかしらぬが、みごと震災を予知して郎党を救ったあとで、壊滅した住処、かれらの町にどうやって帰還していったのだろう。戯文集は都合のよいところばかりを抜粋しているので、事件の詳細がわからない。わからなくても、こちらの商売にさわりはないけれど、エロ小説でもなんでも、肝心なのはディテールのはずだ。と、まんまと書き手の術中にはまってしまった自分が情けない。そうだ、読解してはいけないのだ。どんな高尚なことだろうと、下劣卑猥なことだろうと、感情移入してはならない。感情移入は誤植のもとだ。しかし、そう力んだところで、相手が文体もヘチマもない怪しげな日本語を操っているのだから、いわばひとり相撲もいいところだった。そのうえ、ここらあたりで今回のゲラは終了している。ミドリちゃんが持ってきた封筒には別の本の校正刷りがはいっていた。

  タバコが切れていた。アルマイトの灰皿をさぐってシケモクを何本かつまみだした。自分の吸殻だけかと思ったら、大曲氏愛用のショートホープの吸殻が二本まじっていたのでぎょっとした。灰皿は一昨日きれいに始末したはずだから、わたしが帰ったあとにでもやってきたのだろうか。この二日とも、事務所を出たのは八時すぎだから、かなり遅くに来たにちがいない。

  西陽がとなりのビルの陰にかくれて、事務所のなかが薄暗くなった。明かりをつけて、腕時計を見た。五時をすこしまわったところだった。そういえば、ミドリちゃんが来るのはいつも三時すこし過ぎだなと思う。午前中に組版して刷りだしがあがってくる時刻と思えば合点がいく。

  たいてい人が現れる時刻で素性が知れるというが、まだ社長や他の社員がいた頃は、決まって五時を過ぎてから顔をだす人種も決まっていた。たいていは仕事ほしげな湿気(シケ)たライターや、年配の出版ブローカー、フリーランスというと聞こえはよいが、出版不況のあおりをまともにくらった業界の底辺にうごめく人びとだ。そして、その最底辺といえば自分のことだった。最底辺の男がよそ様の仕事場を訪ねるときは、めんどくさいが、先様の気配をうかがわねばならない。路地の奥から印刷機が回っている音が聞こえたら引き返すつもりで、丸尾印刷に行ってみることにした。金のやりとりのことでは、あまり日時をおかずに聞いておいたほうがよい。そのまま放置しておくと諒承したということに自然となってしまうのだ。

  丸尾印刷は細い路地の奥にある。軽トラックでないと入れない横町だ。

  路地はしんとしていた。丸尾印刷の戸口に立っても、中から機械の動く様子はなかった。印刷物がたてこむ年度末などには、零時過ぎまでガシガシ機械を回していることもある。近所から苦情がでるまえに丸尾社長は、酒瓶を一本さげて詫びて回っていた。「おやまあ、とんだ気をつかわせて。なあに、忙しいのは結構でさあね。仕事のときはお互い様だよ。文句いってくるのは、どうせ新しく来たマンションの連中だ。人が寝てるときにだって働かなきゃ、こっちは飯のくいあげだなんて考えもしねえんだ」近所の古株はたいていそういってひっこんでくれる。その聞こえよがしの応対が、地域の暗黙の世論となるわけだ。あるいは、そう思い込む。

  ドアを半開きにしてなかをのぞく。がらんとした作業場にはだれもいない。パレットの上に製本の終わった冊子が積み上げられているだけだった。事務所は階段をあがった二階だ。

「あら」と、ミドリちゃんが顔をあげた。事務所ではブラウスのうえにエプロンを着こんでいる。

「おう、来たな」と、その後ろで声がした。丸尾社長は、事務机のむこうから片手をあげてみせた。顔がすでに赤らんでいる。社長の前に、見かけない中年の客がひとり座りこんでいた。ちらりとこちらを見ただけで、若僧だと見きったのか会釈するでもない。二人のまえに、半分になった焼酎の瓶と、ポット、湯気の出ている湯呑みが並んでいた。いつもながらツマミのないカラ酒のようすだ。

「話イ聞いてなかったんだってな。悪いけど、その話は今度にしてくれないか。ま、せっかくだから、一杯つきあってよ」

「はい、こっちもちょうどキリがつきましたから」

  と、平静を装って図々しく客のとなりに椅子をひいていく。

「お邪魔します」と、一礼する。「いや」と、相手は曖昧にうなずいただけだった。「大曲さんとこの若いもんだよ」と、丸尾社長はそれきり紹介するつもりはないらしい。大曲泰蔵の名前がでると、相手はすこし緊張したようだった。

「社長にはいつもお世話になってます」と、今度は殊勝な挨拶をしてくる。

「はあ」と、こんどはこちらが生返事をかえしてやった。

 差し出された湯呑みをうけとって、自分で焼酎の瓶からすこしだけ注ぐ。あとは、ポットの湯口に湯呑みをもっていくだけ。自分の呑み方でつくるのがここらあたりの作法だった。

「いただきます」

「おう」

  で、それきりだ。丸尾社長は、さきほどからしていたらしい別の版元の噂話にもどった。わたしは、ミドリちゃんのほうをちらりと見た。なんだかもう帰りたそうな顔をしていた。客が来て、酒が始まると従業員は帰るタイミングがむずかしくなるのだ。

 

  教主、悲嘆にくれる信徒百有余名を集め、めいめいに真白き酒器をまわして、一献の神酒を授けたまう。家財すべて灰塵に帰したうえは、これより門徒すべてもてるものは皆のものとして捧げ、私に蓄財すべからず、暫時は近郷に仮の寓居を定め、農といわず商といわず、門徒一家老若を養い、三七、二十一の月を数えし後に帝都に帰還すべし。

                                               『昭和戯文集成』抜粋

 


猫迷宮 2(パイロット版)

2011年02月22日 02時49分29秒 | 文芸

   新興宗教の教祖の閲歴をものする文書は珍しくなかったけれど、戸籍に載らない人物などあるのだろうか。原稿の内容には立ち入らないのが無難だったし、読み込んでしまったために思わぬ見落としをしてしまうこともあるから、早々にその疑問をふりはらって、ただ文字面を追うことにした。なにあと数ページでこの項目は終わるはずだ。この本の編者は、民間に流布された文書の、それも冊子配布物の類や、個人の書簡や日記からこれはと思うものを抜粋してコレクションしている。なかには地方新聞の広告。チラシ。貼り紙の類もまじる。

  「島」という字が「鳥」に誤植されていたので訂正する。島村という苗字が鳥村になっていた。そういえば、鳥村などという姓はみかけたことがないと思う。『日本姓名大辞典』をひっぱりだすと、なんと鳥村姓は立派に存在する。鳥島、鳥野、鳥山となるほど鳥は人里はなれたところに生息するいわれだ、などとひとり呟いていると、階段を誰かあがってきた。

「おねがいしまあす」と、聞き知った声がした。

  丸尾印刷の事務員のミドリちゃんだ。ミドリちゃんがいつも校正刷りを封筒にいれて持参してくると、こちらの新しい仕事がはじまる。封筒のなかに、しかるべき連絡先が書いてある用紙がはいっていて、そこに初稿ゲラを送る段取りだ。挨拶文はいつも「時下ますます御清祥のこと云々・・・」ですます。計算書も一通はいっていて、半金の振込口座までゴム印で押されている。経理の赤塚さんがいなくなってから、入金先は丸尾印刷になっていて、紅花舎は校正料の名目で支払いを受けていた。「おねがいしまあす」と、事務所にはいってきたミドリちゃんはもういちどそういって、大型の封筒をこちらの机に置いた。ミドリちゃんというのはわたしが勝手につけた名前で、冬じゅう緑色のカーディガンを着ていたからだ。五月も末になって、さすがにミドリちゃんではなくなって、今日はすがすがしい白いブラウスだった。

「つぎつぎよく仕事がはいるね」と、わたし。

「このところ多いですね。あの、それから、うちの社長からこれを渡すようにって」

  細い茶封筒が差し出された。

「なに?」

「今月から神尾さんのお給料、うちから渡すようにって」

「大曲さんと申し合わせたの?」

「よく知りませんけど」

「そうだろうな。この界隈のお金のやりとりってよくわからないからな」

「それで・・・」と、ミドリちゃんは言いにくそうに口ごもった。

「お給料の内訳って、歩合制になっちゃうんですって」

  ようやくそういってから、ミドリちゃんはガランとした事務所のなかをみまわした。つまりは、校正のバイトにすぎなくなったということだ。仕事量が減れば給料も下がる。ミドリちゃんは、渡した封筒の中身も知っているらしく気の毒そうにまたわたしを見下ろした。

「わかったよ。しばらく、このまま続けるよ。うちの社長が出てきたらよく話を聞いてみる。丸尾さんのほうでもいいいけど」

  ミドリちゃんはすこし困ったような顔をしている。もっとマズイことがあるのかもしれない。

「で、前の猫の本のほうはどうなっちゃったの?  初稿送ってから二ヵ月になるけど、そちらにも返事が来てないみたいだね。社長に著者のところに直接電話はするなといわれているからなあ。半金の請求書を送ったせいかな」

「このての本の十本に一本は途中で流れちゃうってうちでもいってました。お金のことなんかいいかげんにして始めちゃうからだって。たいていは、何回も校正ださせて料金が高くなってモメちゃうらしいけど」

「最初は最低の料金で請け負ったのに、相手はあとになって紙を上質にしろとか、表紙を上製にしろとか、写真の数をやたら増やしたりしてくるからな。ごっそりと文章のさしかえだってしてくるし」 

  そうしてモメて流れた仕事のぶんはたいていただ働きになることが多い。それにしても、初稿までだした本が宙ぶらりんになって、とうとう本にならずじまいになるのはどうにも気持ちのおさまりがつかない。時間と資源と、気持ちのロスが大きいのだ。

「本ではないけど、どこかの会社の社内報の印刷もはいってきてたから、すこしは別の仕事も神尾さんにまわせるようになると思いますよ」

  と、気休めとも、慰めともいうような言葉を残してミドリちゃんは階段をおりていった。

  ひとりになってから、封筒の中身をひっぱりだしてみると七万円はいっていた。入社したときの約束では最低保証十五万であったから、半分以下になっている。練馬の下宿代をはらったらほとんど残らない。あとで、丸尾印刷の社長に、大曲氏の様子をきいてみなくてはならないだろう。

  七枚の札をポケットにねじこみ、あらためて校正に眼をおとした。


猫迷宮 1(パイロット版)

2011年02月22日 02時46分15秒 | 文芸

                                                                   

                                                                       天沼 春樹 

 春まだ浅い夜のことです。ふいにおとずれたなまめかしい晩。月がぼうっと霞んで中空に浮かんでいます。あたりに漂っているのは、なにかの花のかおりか、それともいましがた遅い夜道を通り抜けた女の安物の香水でしょうか。
 そんな夜に、わたしはある妄想にとりつかれるのでした。わたしは、目覚めているのか、それとも夢のなかにいるのか、はっきりわからぬまま、褥(しとね)に伏して薄闇をにらんでいます。寝返りをうつと、すこしばかり開いたままの窓に気がつきました。おや、閉めたはずではなかったろうか。それとも、何かが出入りしたものでしょうか。
 けれども、次の瞬間に、わたしはからだのなかに、あのなれ親しんだ疼きがよみがえってくるのを知ります。そうか、今夜なのかと。
 くるりと、からだをまわして、寝床のなかではいつくばると、わたしは、みるみる一匹の猫に変身していくのでした。
 そうなるともう、わたしは、狂ったように夜のなかに飛び出していくしかありません。水気を含んだ地面から、ほんのり香気がたちのぼっています。いつのまにかわたしの両手は、大地をつかんでいます。やわらかな毛がはえそろった、しなやかな四肢が、わたしの体を面白いように先へ先へと運んでいきます。いまや一匹のけもの本能が、わたしの体のなかをかけめぐり、耳をそばだて、鼻をひくつかせ、垣根をくぐったかとおもうと、わたしは人の背丈よりもたかい塀をとびこえて疾駆していくのでした。

 やがて、わたしは、ひとつの暗がりに、自分のもとめている相手が、ひっそりとうずくまっているのを嗅ぎつけます。同類の雌が。
 この際、慎重な振る舞いが肝心です。静かにすりよって、合図をおくらねばなりません。相手は警戒と、期待で、身を固くしています。わたしは、低く、甘く唸りながら、彼女の鼻先に近づきます。怯えさせてはいけません。やさしく、しかし、たくましく、自分の雄を誇示しながら、しだいに相手の気持ちをとらえていくのです。

 やがて、相手が、おわあおわあと喉を甘ったるく鳴らしはじめたら、しめたものです。相手は警戒をとき、わたしはどんなに大胆に振る舞ってもかまわぬことになります。わたしは牝猫の臭いをかぎながら、彼女の体をゆっくりと愛撫しはじめます。牝猫の陰部からは、わたしを狂おしくひきつける濃密な臭いが発散しています。が、焦ってはなりません。肝心なところで爪をたてられることも少なくありません。その匂いのあたりをわたしが、やさしくなめてやりますと、牝猫はつぎの行為を催促するように腰をあげてうずくまり、ちいさく鳴いてよこします。そこで、わたしは自分の体を、牝猫の背後からかさねていき、彼女の敏感な首筋を軽くひと咬みすると、暗がりのなかで、ひっそりと交わるのです。いままで、一度も会ったことのない二匹が、じっと闇をみつめながら交尾するとき、その毛並みの下では、どのような感情が育つのかは思いのほかです。

 ときがきて、わたしたちは身はなすと、まるではじめから約束していたかのように、いっさんに夜のなかに尻尾をならべて走りだしていくのです。             

                                『猫文書』1

 

                                     

               1

 

 

 

 本郷三丁目の地下鉄駅から路地をぬって、三河神社の赤い幟を横目に、昔懐かしい風情を残す大横丁通りを突っ切る。さらに細道をたどると、そこは壱岐坂である。本郷通り、白山通りを折れてこの坂に入るのは、人も車もただ坂を通過するだけのこと。

 壱岐坂を目印に、そこからさらに先の脇道に入り込んでくる者たちがいる。地番は二丁目あたり。水道局界隈の雑多な老朽ビルや木造二階家に社屋をかまえる各種の業者が多い地区だ。たいていは、印刷屋だの版元だの、看板もろくにでていない零細な事業主が多い。曲がり角のひとつで、ときには野良犬のようにふとたちどまる人がいる。その日の界隈の空気に鼻をきかせでもしているかのよう。つまりは、よそ者の仕種だ。用向きを終え、壱岐坂下に出てくると、たいていほっとしたような顔つきになるものだ。

 だが、それは昼間だけのこと。日の高いうちは、なにごともよそよそしく過ぎてしまう。日ぐれて、近隣の猫たちがいつもの集会所にあつまってくる頃、この町界隈の本音が顔をのぞかせ、風変りな場所に明かりが灯るのだ。

 

 本郷二丁目の奥にある雑居ビルの二階。「紅花舎」と号した怪しげな出版社に転がり込んで一年。二十九にもなるのに、転職のふとしたはずみで、未経験のままこの業種に入るとは思いもしなかった。出版社といっても、自費出版の編集を請け負い、取次ぎの口座を持つ知り合いの小出版社の名義を借りて本にし、印刷した本のほとんどを依頼主に送り出せばそれで仕事が終わる。依頼主には初稿と同時に、出版費用の半金の請求書を送る。半金が振り込まれ、赤字入りの著者稿がもどってきた時点で、こちらも印刷所に半金を送ることになっていた。通常は印刷と製本が終了してから、請求書をまっての支払いなのだが、紅花舎は印刷屋の信用をつなぐために「良心的支払い」をしていると、社主はのたもうていた。なに、この種の自費出版の依頼は、版元よりもまず印刷屋に話がもちこまれることが多いから、払いがよければ逆に仕事をまわしてもらえるのだ。そのあたりに零細な企業同士の阿吽の呼吸がある。

・・・きみは、校正だけきちんとやってくれればいい。本の装丁などは印刷屋と相談して、これまでの見本を真似すればいい。それから、あきらかな誤字のほかは、たとえ「てにをは」がおかしくても、「である」と「です」がごちゃまぜであろうと、勝手に直してはいけない。「?」をつけて、相手のプライドを傷つけてはいけない。鉛筆書きで、「ここはいかがしますか」とへりくだって質問するだけにしなさい。いいかね、こういう出版物は売り物ではないのだ。たいていは配り物だし、もらった人もまず読まない。著者が満足すればいいのだ。たとえ、太陽が西から昇ると書いてあっても、それはそういう頭のおかしい人間がいたという記録文書として後世に残る資料になる。いや、後世にはまず残らんだろうがな・・・

 社主の大曲泰蔵氏の訓示はそれだけだった。はじめの三月ばかり、こちらの仕事ぶりを監督するつもりか、三日に一度くらいは社に顔をだしていたが、二つばかりこなした本に誤植がすくなかったことに安心したのか、社主の出社はだんだん間遠になった。一度、自宅に報告の電話をいれたときの言葉がふるっていた。

「きみ、本の前半に誤植のないことはいいことだ。十ページも読めば、たいていみんな頭がぼんやりとしてきて、いつ本をとじてもおかしくない。五十ページからさきなら、大抵のミスはわかりはしない。しかし、奥付だけは気をつけろよ。著者の名前を間違えたら命取りの刷りなおしだ。シールで誤魔化そうなんて考えるな。それから、よほどのことがないかぎり、本社には電話をしてくれるな。わたしはほかの事業で多忙なのだ」

  本社といっても自宅にきまっていた。事業といったが、そのほかに手掛けている不動産仲介やら、あやしげなブローカー業のことらしい。いってみれば、昼日中から喫茶店で額を寄せ合って話し込んでいる初老の紳士連の仲間ではなかろうか。〈コノアイダ、麻布ノ中古ビルヲ一本仲介シタガ、アイダニヒトリイレテ、片手ホドモウケサセテヤッタヨ〉などと小耳にはさむことがある。おそらくは、その類だ。

  入社してから数カ月で三人いた社員のすべてがいなくなった。ひとりは経理のおばさんでパートできていた人だ。辞めさせたという。「赤塚さんは字をよう知らんからなあ」と、社主はいっていたが、それまでパートのおばちゃんにまで校正をみさせていたらしい。一人いた営業担当は、ほかの事業に配転された。残っていた年配の男は、腎臓を悪くして入院して、そのまま来なくなった。そのうえ、社長とも家主ともつかぬ男が出社してこなくなってから、もうふた月になる。

  まかされた業務といえば、印刷所からまわってくるゲラ刷りのチェックと、著者とのやりとりだけだ。さらに、この頃では、印刷所とどう話をつけたのか地域のチラシ広告や新聞折り込み広告の校正までまわってくるようになった。チラシ類のほうが、数字や品名をまちがえると、地域を混乱におとしいれるので気骨が折れた。依頼主に校正刷りをもどすのだから、ミスは依頼主の責任なのだが、そんな理屈がとおる世界ではなかった。まず、誤植のない初稿を依頼主にもどすことが信用につながるというわけだ。

  しかし、そんなことよりも閉口していたのは、事務所の窓にペンキ文字で書かれた以前のテナントの広告だった。葬儀屋や風俗ならまだしも、〈『山名興信所』調査一般〉と、いまだにくっきりと通り沿いの窓にはりついているのだ。おまけに、電話番号が後をついだ紅花舎とおなじだった。社主はなにも言わなかったが、この稼業のまえは本当に興信所をやっていたのかもしれない。

 舵をうしない、燃料も底をつきかけた老朽船にひとり取り残された気分だった。広さだけはじゅうぶんすぎる事務所で、ポツネンとしかたなしに、印刷屋からまわされてきた校正刷りとにらめっをしている日々だった。

 そして、わけがわからない文書がとぎれなくやってくる。短波無線の受信機に、ときどきどこの国の言葉ともわからぬ通信がとびこんでくるのに似ていた。近頃の著者たちは頭がどうかしてはいないか? 業務でなければ、とてもつきあう気にはなれそうもない。

  ひとしきり続いた『猫文書』なる本の校正が、依頼人行方不明で頓挫中断し、やれやれと思っているところに、またしても怪しげな私家本の仕事だった。明治から昭和の初期に民間に流布していた怪しげな冊子の蒐集という大部な仕事だった。ただし、原稿は一時に出されてくるのではなく、章ごとに送られてくる。それも当初は紅花舎宛に送られていたが、スタート時に組版のレイアウトを決めてからは、大曲氏の不在以後、印刷屋のほうに直接送られている。だから、こちらは、初稿ゲラになったところではじめて原稿にお目にかかれるわけだ。編集の技術もクソもない。編集者というよりは、校正係なのだ。

 しかたなく、また校正刷りに眼を落とす。

 

 天王堀を越えると世界が変わる。堀というか川というか、正体の知れぬ泥水が、どこからともなく地のおもてに流れ出て、この町界隈をすぎると、また暗渠に姿を隠す。隠れたさきは、大川だろうと、冥土であろうと知らぬこと。三途の川が、どうかして、この界隈に長蛇の一節を浮かび上がらせているのかもわからない。この堀を越えてこちらでは、死ぬる者が生者となり、越えてむこうでは、生くる者が死者となるめかした念仏師などが、そんなふうに詠いもする。いずれが冥土かは知れぬ。どのみち、向こう側は〈彼岸〉である。

  江戸開府から三百余年、亜細亜の大都、北京、南京、西京の、いちばん若き東京が、紅毛天狗の助産婦の、毛深い手で誕生し、戸籍台帳整いて、臣下臣民だれひとり、帳簿に載らぬ者のなき、近代国家とあいなれど、小役人が眼の、まさかの節穴あざむいて、この世にあらぬ界隈に、人別帳にも関わらぬ、天晴れ生神様が養育されたるは、まことにめでたく、面白きことならん・・・。

  さても大正八年春卯月、この地に独居せし三室ヤエ、三十歳にて男児ひとり出産す。父親不詳。男児は三室耿二郎と命名されしが、もとより通称なり。ヤエはさきにひとり男児をもうけたり。しかるに死産で幼名耿一郎とのみ名づけて埋葬す。耿二郎は二番目の子なり。耿二郎もとより戸籍にのぼらず、七歳まで秋津大明神の社殿脇の仮寓にて養育さる。乳母は橋本イクなり。三室耿二郎、七歳より社殿にのぼり御神様、秋津之命、庚申塚守護などと呼ばれて幼年の教主となる。教育係は、界隈の漢学者天野芳國某があたる。もとより教壇の幹部なりしか。母親、三室ヤエ、教主十四歳の年、町内を出奔す。あるいは病死せしとの風評あるが詳らかならず。かくて、御教主秋津之命は天上天涯縁者なく、その後八年磐城山中での修行精進して、神おろしの業を授かりしと聞く。

                                    『昭和戯文集成』抜粋