竹中大臣の言う「小さな政府」とは 11月8日

竹中平蔵総務大臣は、自らを「小さな政府担当大臣」と呼ぶ。谷垣財務大臣の「消費税アップは避けられない」の発言に、「まずは歳出の削減だ」と反論して見せて、そのために、公務員の人件費削減や社会保障の見直しは急務だと強調し、官僚と闘う姿勢を強力にアピールする竹中大臣。それに対して、民主党が、明確な対立軸(政策)を示すことができないため、メディアに後押しされた竹中大臣の発言は、いかにも信憑性を帯びてくる。国民は再び、竹中マジックに惑わされかねない。

竹中大臣の言う「小さな政府」とは、大都市や大企業すなわち「勝ち組だけ」が優遇される、極めて偏狭な社会を意味する。端的に言えば、地方と弱者を切り捨てる所謂「弱肉強食」の社会の実現を意味するのだ。会長が歴代初めて基幹産業以外から選出される経団連が、強力に「小泉改革」を後押しするのも、すべては大企業のエゴイズムから来るものだ。

所得に応じて医療の質(サービス)に区別をつけたアメリカは、今、完全に医療制度は崩壊している。民間保険に頼る米国の医療費は、入院日数が先進国トップの日本の比ではない。極めて高額だ。ヒラリー・クリントンをしても、米国に「国民皆保険制度」を導入することは叶わなかったのだ。世界最高のGNPを誇る米国でさえ、貧困層に分類される人々は、医療の恩恵を受けることができないのだ。経団連が推進する、最初の1,000円まではすべて自己負担という「免責制度」は、明らかに私のような貧乏人には非常にこたえる制度だ。仮に、免責制度が導入されたら、切羽詰った状態にでもならない限り、私は本当に病院を受診することはできない。ムリ。

政府の規制改革・民間開放推進会議が推奨する「混合診療」は、高度な技術を要する医療や未承認の抗ガン剤の使用を幅広く可能にするというメリットの影に、民間の医療保険の大規模な導入で、自由診療による医療の格差を生じさせようとしている問題点があることを忘れてはならない。厚労省であっても、あくまでも国民皆保険制度を原則とし、2025年の医療費はGDP比6.7%総額49兆円を目標としているのに対して、経済財政諮問会議の案は、2025年、GDP比5.8%で現行のほぼ横ばい、総額42兆円まで押さえ込もうとする極端な案なのだ。医療の質が変わらないことを前提とすれば、診療報酬や人件費・薬剤費の抑制分以外は、患者の自己負担が増えるということを意味するのだ。

既に小泉内閣は、障害者自立支援法の成立をもって、弱者である障害者の人々の暮しに大きな不安をもたらしている。国によるセーフティネットがあったからこそ、心身不自由でも自己のアイデンティティを確立し、死ぬまで一定の生活水準を維持できていた障害者の方々は、本法律の成立により路頭に迷うことも余儀なくされるという不安にさらされてしまったのだ。これが、竹中大臣の言う「社会保障費の無駄を省く」という言葉の本質であり、完全に弱者切り捨ての論理なのだ。

公務員の人件費を削減することとは、公務員の生首を斬ることではない。団塊の世代の大量退職によって、人員は20~30%も自然減するのだ。そして、行政の窓口サービスの相当部分を、地域での信頼の厚い郵便局の方々に担っていただくことで、飛躍的に公務員人件費の縮減は実現されるのだ。社会保険庁を廃止して、年金事務を郵便局に委託することこそが、真の行政改革なのだ。郵政民営化の議論には、そのことが完全に欠落している!

民主党が、さっぱりクリアカットな説明をしないから、メディアは、竹中大臣の「地方切り捨て・弱者切り捨て」路線を、あるべき「小さな政府」路線と勘違いして報道する。竹中大臣の論法はスキだらけなのに、そこを攻める人がいなければ、いつしかそれが正論と化してしまう。民主党が闘わなくして、我々庶民に明日はない。アメポチ・ネオコン・弱肉強食の竹中大臣の本音は、「切り捨て御免!」であることに、国民は一刻も早く気付かなければならない。
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