よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

品切れ状態が顧客満足度を高める

2017年05月14日 | コラム
あるアクセサリーショップのメルマガを取っていました。

購入するためでなく、ただ綺麗なものを見たいだけです
何しろ扱っている商品金額が概ね6桁なのですから!とても手が出ません。



どんな商品が売れているのかな、と試しにアクセ画像をクリックすると、常に「Sold out」。
最初はお客さん、みんな金持ちなのね…と感心していました。

冷静に考えてみれば、これは、すごい販売戦略です。
常に売り切れ状態の情報を与え続けられれば、早く入手しなければという心理が働きます。

テレビの通販で「限定●●個!○時まで!」と煽るのと一緒です。
目新しいわけではありません。

ただ、テレビやネットの通販は、実際品切れ事態にならないことを、賢い消費者の皆様も知っています。
ですから、それほど浮き足立つことはないでしょう…多分。

しかし、こちらのアクセショップは、本当に「今回を逃したら入荷しない」と明言し、実際売り切れ御免の連発なのです。
こうなると消費者は、いつも飢餓状態ですね。

なかなか手に入らないものに、人は執着します。
人気アーティストのライブチケットとか。

閑古鳥が鳴いている食堂よりも、なかなか予約が取れないレストランに人は群がるものです。
「お金と人は、集まるところに集まる」の好事例ですね。

「いつでもお客様に商品を提供します」よりも「苦労してやっとGETした!」と思わせるほうが、ある意味、顧客満足度は高いのかもしれません。


ちなみに私はネットでも争奪戦(これも一種の人混み)に参加するのは面倒くさいのと、そこまでアクセにお金をかけるつもりもないので、ただギャラリーに徹しています。


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孤独死など未来を憂えるのは無駄なこと

2017年05月14日 | コラム
先日「施設に入り、孤独に逝く人生が楽しいのだろうか」とある目上の方(60代)に問われた。

私は、どういう生き方をしても人間はひとりであり、この世と永訣をしたら、世の憂さとは無縁となるので、気にするのは無意味という考え方だ。
むしろ、象のように死期が近づいたら群れから離れ、そっと山林の中で朽ちていくのが理想であり、葬儀やらで遺った人を患わせたくないという思いの方が強い。
永六輔さんも「野垂れ死に最高!」とおっしゃっていたと思う。

いくつかの人生模様を見ていれば、死に際よりも「今この瞬間」を充実させるほうが大事、ということはわかる。
それは、先を考えず、享楽に溺れるという意味ではない。

今の感覚で、10年先、20年先――あるいは30年先のことを考えても、大して役に立つと思えないからだ。


今から30年前(1987年)には、パソコンも普及しておらず、携帯もなく、DVDもなく、コミュニケーション手段はまったく違っていた。
それから更に30年前(1957年)は、三種の神器といわれた電化製品もなく、内風呂もない家が殆どだった、と思う。
(60年前のことは生まれていないのでわからないが)

1957年に、1987年のような時代になると想像はつかなかったろうし、1987年の常識で未来を考えても、今のような情報化社会、価値観に変容するなど思いもよらないことだった。

更に30年先は、きっと予測もつかない状況になっているだろう。
変わったのは、電化製品系だけでない。

この数年を見ても、スパの入れ墨禁止が訪日外国人のために緩和され、LGBTの理解促進運動が活発化し、父親の育児は当然という気風になるなど、社会常識は高速に変化している。


確定材料は「人は必ず死ぬ」ということと「没後100年で殆どの人は忘れ去られる」ということだ。
それは悲しいことではなく、むしろ人生を気楽に受け止められる現実だと、私はとらえている。

畢竟、変わりゆく価値観の中で人にどう思われるか、どうなるのかを憂えても意味はない。



「今、ここ」を自分が納得できるように生き、蓄積していくだけだ。



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