「魂が喜ぶ生き方をしよう」
「正しい・間違いでジャッジせず、自分が楽しいと思うほうを選択しよう」
これを聞くたび、軽く違和感をおぼえる。
もちろん、楽しい気分で過ごすことは大事だ。
しかし、そのために傍迷惑な行動をとっても「自分が大事」で済ませるのは身勝手の極みだと思う。
自分軸を大事にすべきと信じているが、他者を不必要に排斥するのは社会性に欠ける。

こんなことがあった。
あるスタッフは、優先順位がすべて「楽しさ」である。
皆が協同の仕事を進めているときも、友人が顔を出すと延々雑談に打ち興じる。
注意しても「なかなか会えない人だから」とけろっとしている。
彼に宴会幹事を任せたら、また会話に夢中になり、先輩たちが席を確保したり
注文しているのに、腰をあげることもしない。
柔軟な年頃なら救いはあるが、昭和生まれである。
根気よく指導しているが、おそらく一生この性格は変わるまい、と思う。
楽しさを追求するのは大賛成。
ただし、周囲に極力迷惑をかけないことが大前提。
「好きな人に誘われて、前の約束をキャンセルしましたぁ
嘘をつきたくないので、先約相手に理由を正直にいいましたぁ
それで離れる相手なんて、いらないものぉ
魂の自由が大事だものぉ
」
こうした説を支持する人も多い。
何を信奉するかは、個人の自由だから容喙する気はない。
ただ、冷静に「それは違う」と断じる人も相当いるようだ。
自分軸を大事にするのであれば、当然、相手の軸を認知すべきだろう。
「魂の喜び」のようなスピ話は嫌いではないが、あれの厄介なところは
辻褄が合わなくなると、最終的に
「あちらの世界と人間の常識は違うんです」
の一言ですべてを押し通してしまうところにある。
それに何故か洗脳される人も多い。不思議でしかたない。
あちらの世界の常識がどうであれ、心にとめておきたいのは
現実生活を楽しみつつ、社会の中で建設的に生きることだと思う。

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「正しい・間違いでジャッジせず、自分が楽しいと思うほうを選択しよう」
これを聞くたび、軽く違和感をおぼえる。
もちろん、楽しい気分で過ごすことは大事だ。
しかし、そのために傍迷惑な行動をとっても「自分が大事」で済ませるのは身勝手の極みだと思う。
自分軸を大事にすべきと信じているが、他者を不必要に排斥するのは社会性に欠ける。

こんなことがあった。
あるスタッフは、優先順位がすべて「楽しさ」である。
皆が協同の仕事を進めているときも、友人が顔を出すと延々雑談に打ち興じる。
注意しても「なかなか会えない人だから」とけろっとしている。
彼に宴会幹事を任せたら、また会話に夢中になり、先輩たちが席を確保したり
注文しているのに、腰をあげることもしない。
柔軟な年頃なら救いはあるが、昭和生まれである。
根気よく指導しているが、おそらく一生この性格は変わるまい、と思う。
楽しさを追求するのは大賛成。
ただし、周囲に極力迷惑をかけないことが大前提。
「好きな人に誘われて、前の約束をキャンセルしましたぁ

嘘をつきたくないので、先約相手に理由を正直にいいましたぁ

それで離れる相手なんて、いらないものぉ

魂の自由が大事だものぉ

こうした説を支持する人も多い。
何を信奉するかは、個人の自由だから容喙する気はない。
ただ、冷静に「それは違う」と断じる人も相当いるようだ。
自分軸を大事にするのであれば、当然、相手の軸を認知すべきだろう。
「魂の喜び」のようなスピ話は嫌いではないが、あれの厄介なところは
辻褄が合わなくなると、最終的に
「あちらの世界と人間の常識は違うんです」
の一言ですべてを押し通してしまうところにある。
それに何故か洗脳される人も多い。不思議でしかたない。
あちらの世界の常識がどうであれ、心にとめておきたいのは
現実生活を楽しみつつ、社会の中で建設的に生きることだと思う。

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