hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

聲 ―― オフィーリア 異聞 ――

2018年02月02日 | 散文詩

「ハムレットの 御父上 ですか」
と きくと 目と眼鏡の間を きら と なにか よぎった

素足の裏から きこえた 水底 深き音域は 「ハムレット」 と だけ
それは 父の名で 子の名 「ハムレットの 父は ハムレット」
という 應(いら)へ だった かもしれぬ

  「」は「応」の 正字
  「心」+ 音符「䧹」で 会意 形聲する
  「䧹」は「鷹」の 原字  人が 大鳥を しっかりと 抱きかかえる(「擁」)さま
  そのように しっかり受け止める 意

埋葬された ところは 少し離れている けれども
昏く 冷たい波に 呑み込まれなかった ほう の 蝸牛
「ここから出るんだ いま すぐ」
と 垂れこめた オーロラに 半ば とざされた
夢の 向う岸より 響き渡った 聲に からくも 逃れ出て

それきり 失われた 雙子の兄弟を探し
まだ この邊りに 居る かもしれぬ

  「 」は「双」の 正字
  「隹」は 鳥の形 「雔」は 二羽の 相対する形 「又」は 手
  一羽を 手に持つ のが「隻」 二羽を 手に持つ のが「雙」
  二羽一つがいの鳥を 手で持つこと から 二物にして 一対となるもの を表す
  その 鳥占(とりうら) により 獄訟を決する のが「讐(讎)」

兄弟と 一緒に居たのは 遙かな昔
この洞窟の奥の 温かな砂洲で
背に乗せてくれた 海馬 の すべすべした首を撫でながら
松果体 の 明滅する 話を 聴いていた頃

すべてが二つで 手をとり合う中
松果体は とても早くに その兄弟を 失った と

狭い 洞窟で ともに育つ うち
ひとりは 遙かに 天を目指し 浮かび上り 脳漿 の海から外へ
青い光の中へ 出てゆき やがて とけ去った
泡のように

兄弟が 最後に見たものは いまも 松果体を 森閑とさせる
青い 青い光

帰り道 考え込んだまま 現れては消える 曲り角を通り抜け
ふと気づくと 独りきりの小部屋に居て 振り返ると
背が 壁につき もう どこへも行けなかった

近くて遠い どこかで 同じように 洞窟に埋もれた
雙子の兄弟とは それきり ずっと 別れたまま
互いに 聲だけが 聴こえていた オーロラが 降り 閃く までは


重なり合った 雲の底で 罅割れるような 光が走った
うねうねと つづく徑に 片足をつき
眩暈のする高みへ昇ってゆく 逆光の翼を見つめた

下では 矢のように 低く 数羽が交錯していた
「見つけた」 と 草々まで 囁いている氣がした

自転車の翳が 引き伸ばされながら 這い込んでくる
ふいに 向きを変え 扉に散った
淡い青が 血のように揺れ やまなかった

ゆがんだフレームは 海馬に 戻ろう と するかのように
暗がりで 静電気を帯び かすかな電場を放つ
弟に ばらまかれた オシリス
身体の一部を 呑み込んだ の 昏迷が
凍りかけた 泡のように 出口を探し 蠢く

妹と結ばれ 弟に殺される オシリスの
弟の嫁は もう一人の妹で
彼らは ふたりずつ居て
母が天空 父が大地であるように
生命と 死の世界を分け持ち 平和だった

爭いの神話は 後の世に 生み出された

  「」は「争」の 正字  会意
  ひとりの 手「爫(< 爪)」と もうひとりの 手「ヨ」が
  なにか「亅」を つかんで 反対に 引っぱり合う さま

オシリスから順に 生まれるとき
先に生まれんとして 子宮を破り 脇腹から生まれた
という 弟は 間に合わなかった が
理不尽な災害を起こす 力は 極端に強い とされ
軍神として 崇め奉られた

われ こそ
われ のみ 力を支配せん と
策略を廻らし 眞実を捻じ曲げ
新たな神話を 縒り出そう と
妬み 爭う心は なぜ 生まれるのか

けたたましい音がして 古びたガラスが割れる
骨のように いびつな 濁った氷の塊が
あちこちに跳ね 足先へ転がってきた

手に取ると ひどく ゆっくりと溶ける
空の高みの 目のように
なにも映っていない 水の匂いがした

石段を下りると 笹が茂り立ち
水溜りに 穴だらけの葉が群れている
花は一つも ない

ぶぅーん と音がして 見上げると
あちこちから 黒ずんだ 蔦が 降りてくる
よく見ると 濃い煙の塊りで
先で 目を とじた顔が 昏く
空洞になった口を 開けている

耳を近づければ なにか きこえるだろうか
無音で繰り返された 光景が
壁を覆い 枯れ 頽れた後も 反響している のが
カブトガニ の 血
ヘモグロビン に含まれる 鉄一つ ではなく
銅二つ で 酸素を運ぶ ヘモシアニン
シアン 淡い 青

それは 細菌内毒素と反応し 汚染されると凝固
ゲル状となり それを封じ込める
その感度は ppt(一兆分の一)

その血を 三〇%も抜いて
ワクチン 等の 汚染試験 に 用いられる という
海に返される というが その死亡率も 三〇%

血を抜かれた カブトガニが
溺れながら 必死で 泳いでゆく 昏い海
深い波間

探していたのは 昨日見かけた 小さな蝸牛の殻だ
水溜りの脇の 苔生した丸石に くっついていた

苔の宇宙を ゆっくりと旅するクマムシの
手首の邊りが 綻びている

蝸牛の殻の表面や 瀕死のカブトガニの傍らを
漂っていた 目が翳り 顧みて
やがて 針のような爪と 一すじの糸が
縁で きらめき 繕いはじめる

「こんなで 出かけては だめでしょ」
という呟きが 脇腹のどこかで きこえ
クマムシは その邊りを眺めるが
綻びが 直っていくのには 気づかぬ

蝸牛の殻の中は しづまり返っている
邊り一面 ニュートリノ が降り注ぐ
宇宙は 退き 寄す 音楽に満ちている
響きは 波へ合わさり いつまでも やまぬ

近々と寄せる 音の狭間を潜り 遙かな彼方から
きらめく記憶が 傍らで 大気と水と光を紡ぎ
ほつれを直す
治らぬときは 手で さすり 覆い
留まる 唄を 呟きながら

蝸牛の殻から 一つづきの ニュートリノの波が
子守唄に ひき寄せられる 星座のように
連なり 流れ來る
トム・トムソン Tom Thomson カヌー湖 Canoe Lake   
Spring 1914 年 春 Oil on wood 21.5 × 26.6 cm   

初めて ここで出逢ったとき 「探しに 來られたか」 と きかれ
「なにを ですか」 と 言おう と した のに
「いや 見つけられに」 と

宮廷で遠く 人垣越しに見た頃と ずいぶん違って見える
悪戯書きされた 眼鏡は 重宝している とのことで
消すには及ばぬ と

壁にも 同じ 悪戯書きがある
丸石の向う 溶けた蝋の川の上 小さな跳ね橋の絵が
リアルト橋 悪魔に憑かれた者が 奇蹟的に治癒した ところ

長靴のように 渡る人の足ばかりが 残っている
「残りの部分は どこへ行ったのか」 と 言っていた
「渡ったきり 戻って來なかったか」

オフィーリアと ハムレットは 雙子だった かもしれぬ

オフィーリア の ほうが 後から生まれ
姉だが 女だから こっそり養子に出される
なんでも押し頂く 大臣のもとへ
幼い頃から ともに 勉強し 剣術を習う

姉のほうが よくできて 弟は やる気が無い 実は
性同一性障害 試合や試験に臨み
せがんで服を取換え 入れ替っても
気づかれず 姉は ここぞとばかり
日頃 控えさせられていた 力と素早さを発揮
若者たちを倒す のが 痛快で
進んで つき合うものの
性同一性障害 では ない

母は 上の空 だが 父は
ハムレットの していることに 気づく
母は 雙子だったことを 知っている のに
忘れ 想い出さず 父は 知らず
母は 時折 深い昏迷に陥る
父子の間に 軋轢が生ずる

そのさなか 父は殺害され ハムレットは
もう抑えつけられることが なくなり
ほっとしている自分に 気づく
が 気が咎め 亡霊に復讐するよう迫られる
夢幻を見るようになり 錯乱してゆく

最後だから と 姉とは知らず 弟は
弟とは知らぬ 姉に 頼み込み
長き裳裾に身を包み 川邊を彷徨う
墓を想い 花を摘みながら 枝に登る

川面に映る 昏い面輪
ふと 自分は いったい なにもの なのか
なぜ こんなことを しているのか
これからも なお 父の名を継ぐ 王子として
父の 後釜に座った 叔父に
脅され 馬鹿にされ 抑えつけられ
つづけねば ならぬのか

“To be or not to be, that is the question.”
「ハムレットであるか ハムレットであらざるか
 それが 問いだ」
自らへの 母への 神への

Tchaikovsky - Hamlet Overture (Valery Gergiev) 2/2

ピエトロ・ペルジーノ Pietro Perugino 青年の肖像 1495 板に油彩
oil on panel 37×26 cm ウフィツィ美術館蔵 Galleria degli Uffizi, Firenze

重すぎる もう支えられぬ

どちらにも 應へは なく
大きすぎる鳥は 羽搏き
振り落とされ 永遠に落下しつづけるか
喰らいついて來て 目を抉り出され
顔を失い 聲も出ぬ

涙が頬を傳い 腹這いになっていた
枝を締めつけ 動かず 身悶える

そのとき 木に登ったこともなく
泳ぎもできぬ 不器用な身体の下で
枝が折れる

己が死体が 揚がったとき
王子の衣の中に居た オフィーリアは
よそよそしかった兄の 狂ったような
憎しみの眼差しに 凍りつく

これから ずっと
ハムレットで 居なければ ならぬ
死ぬまで 兄に つけ狙われ

死んだのが 弟で
自分を殺そうとしているのが 兄でない
ことを知らず 進退窮まる

決闘に臨み 兄を殺さぬよう 逃げ回るも
傷つき 防戦する際 つい 致死の一撃を 放つ
斃れた兄の口から 血と憎しみの言葉が
溢れる裡にも 傷ついた脇腹が 痺れ
母は なおも 上の空のまま 毒盃を呷り

もはや わが身が たれであろうと
邊り一面に 死の幕が降りつつあり

それは 妙なる とは言い難い が
胸を切り裂いて 垂れ込める オーロラの下
冷たく 青昏い 水底へと沈んでゆく
数多の カブトガニや
あんなにも遠かった 頭頂で
目を ひらきかけ 頽れる
もう一つの 松果体の
ため息に 重なる

たれにも聴こえぬ
たぶん 死者と
小さき者だけに 聴こえる
かもしれぬ
ニュートリノの唄が
棚引き 霞んでゆく 薄青い血を
震わせながら 響く

マグヌス・ヴァイデマン Magnus Weidemann 写真 photograph   

いつも そこで開けてくれる 扉を見つめ 言った
「言伝てを 頼みたい 旅の途上で はぐれた魂に」
 「先に ゆく」
 「いつも 聲の中に居る」
 「いつも ずっと そうだったように」

魂は 無我夢中で
下になっていた耳から 毀れ出
崩れ落つ 洞窟に 記憶を残したまま
苔の楽園に 迷い込んでしまった と

目の前の 罅割れを渡る
蔓を 小さな蝸牛が這っていた
淡く かがやく軌跡を 曳きながら

どこかで クマムシが
時間の狭間を ゆっくりと遊泳していて
ニュートリノの唄が 爪の先で跳ねる のを 見る
カブトガニの鼓動が ゆっくりになり
苦しみは 消えゆく

消えた松果体の兄弟は
目の遺伝子となって ニュートリノに宿る
兄弟の見るものは あなたにも見える
あなたの目の後ろ
奥深くの狭い洞穴に遺された
兄弟の 松果体に浮かぶ
夜 ささなみ立つ 鏡の水面に

聲は あなたの蝸牛の中から 聴こえる
それは あなたの中で 母の
微笑みと唄になる 父の
ざわめきになる 母の
翳ときらめきになる 父の
闇と炎になる

永遠は どこに かかっているのだろう
それは 橋のように 渡れるだろうか
そこを渡ると 足を残し
どこへ往く のか
降り注ぐ 羽毛のような
囁く波に 運ばれ

マグヌス・ヴァイデマン Magnus Weidemann オクシタニア地方 ベズ o.Bez  
1954年 12.5×9.5cm 水彩 スケッチ watercolour sketch  

ハムレットの父上は 記憶の胸像 かもしれぬ
朽ち寂れた庭園で
待って居る 遠ざかりながら
失われた 手を どこまでも 差しのべ

きらめく水滴の中 蝸牛が
澹として 永遠を 渡る間

眼鏡の彫像が なくなってから
荒れ果てた庭園を 当てどなく歩く
鶺鴒を 幾度も見かけた

それは さまよう 言伝て かもしれぬ
ニュートリノの唄の中に 紛れ込んだ
古の子守唄に のって

失われゆく姿 を 映す川面で 劫初から
淵を渡る 風に 攫われた かもしれぬ
自ら進んで ふたりの裡 ひとりが
昏い波間を転がり 朧に きらめく光の裡へ

ささなみ いつしか消え
太古の彼方より のぞき込む 月に
砕けた眼鏡の弦が 一すじの道のように
光っていたので
蝸牛は 聲を 見出したのかもしれぬ

闇の舌が 頭蓋の裡の迷宮を
捜し回っていた間

闇の舌は ここまで やって來た
高き雲と 数多の雹と なって

薔薇窓が 砕けながら落ちてきたとき
水溜りに飛び込んで
蝸牛の殻がついていた 丸石を覆った
潰さぬよう そっと

ガラスの後から 雹が落ちてきた
それから 星と風が

切り裂かれた花々が どこか
別の次元から 数多
投げ込まれる 墓の底の ように

Jennifer Higdon - Lullaby        

トム・トムソン Tom Thomson Fishing in Algonquin Park

しばらくして 反転すると
邊りは 闇に包まれていた
かすかに白く
柔らかで 温かな闇に

いってしまった
屋根や窓だったところから 無数の星が見えた
痺れかけた手を ひらいて 蝸牛の殻を 胸に落とした
それは夜通し 飛び飛びの鼓動に乗り
同じ胸骨の間で 少しずつ動いた

目をとじて また ひらくと
星がすっかり つながって見えた
天の川

凍るような夜が明けると 雹が溶けて
水が溢れ 川となり 流れていった

蝸牛を抱いたまま 水中に棚引く
花々の下を回りながら
水底へ 足を振り捨て
長い 帰還の旅のはじまり に
すべての息を吐き 唄う 囁く 默(もだ)す

泥のこびりついた頭蓋骨
手にとったとき どうして
わからなかったのだろう
ずっと そばに居た

息子は 娘と雙子で
ひとりしか生れなかった かもしれぬ
あるいは ひとりも
父は XXY だった かもしれぬ

だから たれの子でもなく
生れる前に 別れてゆく
数多の雙子

鏡の水面から 手を差しのべ 遠ざかる翳
身体が斃れると 手に手をとって 逃げ出した
倒れた椅子や 砕けた盞の欠片
いくつもの 右往左往する 靴の間を
ゆっくりと縫って

まもなく 永遠に つづく軌道に入る
天の川を渡ってゆく 星々と
その下を飛びながら 橋掛ける翼
滑らかな背と首
ゆっくりと進む音が かすかに
笹を揺らす 風に乗り
きこえる かもしれぬ

トム・トムソン Tom Thomson 風の夕暮れ Windy Evening summer 1914年 夏

薄く波紋を広げ 月光が窓邊に波立つ
なにか ばらばらと出てゆく
メラトニン の 分子結合のようなもの

透明な中に 仄赤い柘榴の粒と
かすかに青く翳った 柔らかな窪み
ひよめく羽搏きと きこえぬ囀り

たれかが 裾を長く曳きずり
水邊へ降りていった
泣きながら笑う ような
月が 雲の翳から 波間へ顔を背け
昏い枝で揺れているのを 手折ろうと
裾が縺れ 滑って

昏く まるで目と鼻の先に 壁が あるよう
それとも 胸の奥 頭の中に

海馬から松果体への 階段の
踊り場の天井 附近
大き過ぎる 抜け殻のような 青白い翳が
夜の 入道雲の 夢のように
内側で 雷を ゆっくり轟かせる

ほつれ破れた裾を捲り 覗いてみる
なにも 居らぬかに見え
だが ひっそりと 奥に居る
そっぽを 向いているようで
片目だけで

きらめく眸は 瞬きもせず
音と光を吸い込んで 色を吐く
しづけさの波紋
仄かな白に縁取られた 灰色
遺伝子の鳥たちが
かすかに羽毛を逆立て 膨らませている

月の光を浴びて 透き通り
逞しい脚が見える 振り返ると
布を透かし こちらを見つめる目が
入れ替わっている

霧に翳った 鏡の奥
のように どこまでも たわんだ枯木に
細い月明りが 一つ ゆらめき灯っている

夜半から深更までの どこかで
鳥たちが呟く声を聴いた
ためらう 息のような気配
かさこそ と 脚を踏み替える音

時の巻きひげから 長い一しずくが
滴りそうになって また凍りつく
明け方近く

時の澹から伸びた
巻きひげの か細い先が
赤錆びた 鉄塔の裾へ
撒きつこうとしている
水底深く 立つ 銅の塔の
青い かがやき

沈む 新月
細く開いたクレバスから
遙か氷河の青い 青い底深く
Jennifer Higdon - Legacy        

イーディス・ホールデン Edith Holden (1871 – 15 March 1920)

いっせいに 飛び立つ音

すると 失われた 兄弟が 佇んでいる
ひっそりと 翳も無く
あるいは 翳だけで かすかに息を呑み
吐息を洩らす 氷河の奥の 反映のように
海の底の 鏡のように 聲が きらめく

綻びし 袖縢る糸 棚引きて
母のしづけき 気配する朝
古き岸邊 新たな遺伝子の鳥たちが
やって來る かすかな 囀り

わたしたちは 変われるだろうか
いつか 遙かな記憶の 潮汐の裡に
見つめ合う 目に すべてが重なり合った
同じ ひとつの命が 宿っている ように

涕し 笑い 唄い 默す 聲が 数多
同じ ひとつの響きへ 和してゆく ように
ひとりで ふたりの
数多の 全き命を 生きる ように