神話や伝説や それらに基づく物語を読んでいると
結末や それへと向かう展開がどうにも釈然とせず
ほんとうは まったく違う話が隠れているのでは
と想われてくることがある
移動や征服に伴い 新たに出逢い 占有して獲得するに到った土地に
もともとあった地形や風土に根づいていた 神話や故事伝説は
さまざまな時点で征服した側の視点や伝統が幾重にも覆い被せられてゆき
当初の眞實や意図の片鱗すら伺い知れぬ
破壊や改変 逆行や転向からの統合の途を辿る
【女ハムレット】
昨春『女ハムレット(原題:Hamlet)』という 北欧の無声映画を観た
そこでは 国から離れた戦地で深手を負い
死に瀕している王の 自国の城で 妃が女児を出産
そこへ王 危篤の報せに 世継ぎなきまま王 逝去となれば
忽ち征服や騒乱を招くと 男児出産との使者を放ち 身の安全を図ろうとする
と その報せに 王が奇蹟的に回復
敵味方とも疲弊した戦いを中断 無事帰国の途につく
帰還の喜びに沸く民を前に 城では赤子は男児として育てられ
隠し続けられるも年頃となり
そのうち妃は 王にとってかわろうとする弟に巧みに唆され
王は亡きものに と 実際にそうだったとしても不思議はない展開に
想い起こされるのは 現代でも とりわけ紛争地域では
女性には生きるうえでの選択権がほとんどなく
男性の戦利品として意思尊厳を踏みにじられ
幼い頃から危険な妊娠出産で 命を落とされることも数知れず
【性同一性障害】
第二次世界大戦中 胎児だった男性に戦後多く性同一性障害が発症した
ドイツにおける研究の概要を読んだ記憶がある
そこでは母体が生命の危険の強い不安に曝されると 胎児と自らの生命維持のため
より安定性の高い女性へと胎児の性を変更し なんとか保持しようとする
ホルモンが大量に分泌され すでに男性としての身体が出來てきているのに
女性としての脳が形成されてしまう とあったことが印象に残っている
これは男児と定まった胎児を妊娠中の母体が
絶体絶命ともいうべき 大きな危機的状況下に置かれた場合に発動される
胎児を維持しようとし また そのために我が身を生かそうとする
体内の必死の救急救命活動であり
いつ止むとも知れぬ 空爆などの差し迫った危機を回避するには辛抱と運しかないが
それ以外には胎児も母体も問題がなく流産できず する理由もないうえに
その時点での流産は母子ともに死する危険が極端に高いためである
人類の危機と苦難に満ちた挑戦と闘争の歴史が 厳しい氷河期から
さまざまな迫害や戦争を経る中で ほとんど何の選択権もないまま
踏みにじられながらも生き延びた女性の体内で
そのような胎児期を過ごした男性は数多居たのではなかろうか
しかしながら そのことに光が投じられたのは ごく最近のことに過ぎない
差別と迫害の歴史の中で 男性であったとしても
もしも性同一性障害を負って生まれたなら
心と身体を引き裂かれたまま さらに自らを引き裂いて
隠しつづけるしか 生きる術がなかった
生きるとは 自らが自らであること 自由であることだとすれば
自らを自らでなくさなくば生きられぬ という選択は
もはや選択ではなく 死の宣告に等しい
しかも生まれる前に遡っての たれが選んだわけでもない その性に
生まれたことへの 歴史的社会的な否定であり 拒絶ではないか
【ハムレットと母】
おそらく十二 三才で両親に命ぜられるままに嫁入りし子を生んだ
ひとりぼっちの幼い母親が 戦地へ行ったきりの夫より少し若く
身近で機嫌を取る男に頼るようになり 言うがままにしていたら
いつの間にか夫は亡きものとされ 自分はその男の妻にされていた
そのような顛末を辿らされただけの母に対し
父を殺した叔父の片棒を担いだ不義不貞の極み
と罵るハムレットの眞意は いかなるものだったか
過剰に吐露されているかに見えて
言われなかったこと 隠されていること
ハムレットとともに 自らの心を深く覗き込み
見出さねばならぬ 眞實は なにか
自らも亡き父も己が関心事で手一杯で 母を放ったらかしにし
母の孤独や不安に想いを致すこともなく なんの愛情も関心も覺えなかった
ことへの 痛恨の自責の念
生まれながらに女性という 男性への捧げものとして育てられ
それゆえに叔父の言うなりになってしまった母の愚かさ 寄る辺なさ 哀れさ
に対する 自らをも含む男性一般への憤懣
かような社会を存続させ そこに君臨するため
父王を亡き者とされた 世継ぎの王子として
母を改心させ 叔父に復讐を遂げ 王国を取戻し 安泰なものとして維持する
という社会的 歴史的要求に屈する ことへの怒り
なによりも そのために いまだ形成されつつある 不確かだが
芸術と友と自然を愛する 自分自身であることを放擲しなければならぬこと
それ以外の選択肢がない
あるとしても 唯一の選択肢を進んで選び取り 遂行する
ことができず または失敗して
社会的 歴史的 また実際に 抹殺されるしかないことへの絶望
【アムレート】
ハムレットの元になったアイスランドを含む北欧の伝説に
「アムレート」という史実からの物語がある(Wikipedia アムレート)
シェイクスピアが作り上げた物語と決定的に違うのが
アムレートは狂気を装い 亡き父の復讐を周到に計画 怪我一つせず容赦なく執行
後 機会を設けては人々の前でその顛末を逐一話して聴かせ
その正当性について 賛同と称賛を集める
さらにその最中 仇たる叔父の朋友ブリタニア王のもとで その王女と結婚
その後ブリタニア王その人の結婚申込みのため遣わされたスコットランド女王から
結婚を申込まれ これを受けてブリタニア王と戦うことになるも二人の妻を大切にし
最初の妻 王女との間には子を設けた
彼の死はその直後 デンマーク王(アムレートは その配下のユトランド総督の息子)亡きあと
その世継ぎとなった新王が亡き王の娘であるアムレートの母の財産を召し上げるなど
勝手放題に郷里を搾取侵害していたのを知り 急ぎ帰国して戦うも敗れ 命を落とす
アムレートの妻スコットランド女王は(夫アムレートのもう一人の妻ブリタニア王女の
息子を守るためか)進んで自らを戦利品として新デンマーク王のもとへ下った
かなり違う 違えている
アムレートは王子ではないが賢く 復讐は遂げ 賢妻二人に恵まれるも
故国で戦となれば運も尽き 妻子を遺し斃れ
アムレートの伴侶たる女性もシェイクスピア版との違いは著しく
まず二人居て それぞれに意気軒昂
かたや父ブリタニア王を裏切り 自分と結婚しているにもかかわらず
スコットランド女王の申込みを受け 伴侶とした夫アムレートに従い子を守り育てながら
夫やそのもう一人の妻である女王とともに生きようとするブリタニア王女
かたやアムレートの物語に絆され並み居る求婚者を撥ね退けながら
自らアムレートに結婚を申込み 彼の死後ブリタニア王女とその息子を守り
新デンマーク王に身を捧ぐため単身そのもとへ下るスコットランド女王
一方のシェイクスピア版では 主な女性は
ハムレットの母と 許嫁のような大臣の娘オフィーリア
マクベス夫人の前身かと想われるような
冷酷かと想えば情緒不安定 短慮で移り気な母と
ハムレットの錯乱の振りの影響を一身に受け
まるで感染する如く錯乱死を遂げる 幼き娘御オフィーリア
【タミフル】
まるでインフルエンザに罹って 処方されたタミフルによって
背後からの数を数える恐ろしい幻聴から逃れるため
高層階から飛び降り 亡くなられた子供たちのように
ほんとうに ご冥福を祈りつつ
この薬が日本ではまだ処方されていることに驚きを禁じ得ぬ
薬効よりも 強い精神および神経作用が見られることから
欧米ではすぐに全面禁止されたという
【山月記】
錯乱から虎になる『山月記』にしても 科挙に受かり詩人として生きようとした
男性が錯乱して虎となる理由は
もとになった中国の故事伝説と中島 敦では全く異なっている
【水辺の樹木からの墜落からの溺死という事故】
アムレートとは明らかに違うハムレットの 若く過剰な独白に埋蔵された
自責の念と憤怒 怒りと絶望を想う裡
ハムレットは性同一性障害だったのではないか
と想われてくる一方で 同時に
オフィーリアとして亡くなったのは彼だったのではないか
と想われてくるのは
性同一性障害という
母体に迫る重大な危機から胎児を守ろうとする
懸命の努力から生じた後遺症が
心と身体の性別が異なるという
引き裂かれた自己に他ならぬからだろう
自らとして自由に生きたい と切に願い
どうしたらそうできるのか わからず苦しみ抜いた はずではないか
叔父に復讐するとかが問題なのではなく
そうした世間体やしがらみの中で 男子として 息子として 王子として
社会が望むように生きねばならぬ ハムレットとして あること 生きること が
自分に可能なのか 可能だとして それを ほんとうに自分は望むのか
しかしながら それを望まぬとしても ハムレットとして あらざるならば
それは 歴史的 社会的 身体的 死への道を独り歩むことに他ならぬのではないか
ハムレットとしてではなく自分自身としてありつづけ かつ生きるためには
どうすればよいのか 身分と名と性に拘束される ハムレットではなく
名もなき胎児であったとき 世界であった母とともに恐るべき危機を乗り越え
るために分裂せざるを得なかった自分自身として 生き抜き
いままた 母がその身を置いていた世界で この身に襲いかかる大いなる苦難を
もうひとりの自分自身と手を取り合い 乗り越えたい と願ったはずではないか
ただその時代と社会において それはどう考えても不可能で
その答えが 枝が折れる 問の重みで支えとなるものが耐え切れず
身の置き所が失われ 奈落の底へ墜ち 漸く安らぎを得る という
神ならぬ運命ならぬ あのとき 胎児の心と身体を引き裂いた
同じ自然の摂理であり恩寵であり慈悲だったのではないか
【ハムレットとオフィーリアの取違え】
シェイクスピアには 取違えによる紆余曲折の果てに
再発見し元に戻るという喜劇がある
想いもよらぬ体験が二人の縁 絆を深く結びつける
もしもここにも取違えに似たものが隠されていたら
男女の一卵性双生児に母体における重大な不安が引き金となる
先述の胎内危機管理が発動されたら
その後遺症を被るのは男児だけなのだ
知らぬままに寄り添いつつも すれ違う
互いの数奇な命運を一身に受けながら 鏡に映る鏡のように
いつの間にか 互いに互いの身代りとなり
相手の後ろ姿の向うに 自分自身が見えるような氣がするのだが
どちらもしかとは見てとれず 邊りは暗く鎖されてゆき
逃れる術もなく 別れゆくような 悲劇の取違えの狭間に
存在し得ぬ女性の心が 身体も失くし幽霊のように行き場なく 漂う
アムレートの ともに愛情深いが やや対照的ともいえる
二人の妻のどちらとも似ていないオフィーリアは
まるで彼女らの影のようで なんのために居るのか判然としない
つまり彼女は そこに居場所のない 存在し得ぬ者として
存在し 死に追いやられたのかも知れぬ
ゆえに ハムレットは 引き裂かれたもう一人の自分である彼女として 死に
彼女 オフィーリアもまた 引き裂かれたもう一人の自分であるハムレットとして
死ななくてはならなかったのではないか
彼女は それゆえ彼女の兄ではない男レアーティーズの妹ではなくなり
妹つまり彼女の死を悼む 実は彼女の兄ではない男レアーティーズは
彼女として死んだ 彼女の引き裂かれたもう一人の自分であり
彼女を死に追いやった男ハムレットと命を遣り取りしようとし
生きていた彼女を死に追いやった
それでもレアーティーズは その時代と歴史を体現した一人の男として
おそらく面目躍如 自己満足し絶命したように見える
まるで家族の約した夫のもとから逃げ出した姉妹を殺す兄弟のように
(殺せず その途中別な少女を絆されて助けたために裏切り行為で殺される弟
遺された幼い妹が姉の身代りとなり嫁ぐ やるせない映画を同じときに観た
Hisham Zaman ヒシャーム・ザマーン監督 雪が降る前に Before Snow Fall)
【木からの墜落や水辺の事故で亡くなられた 歌手や画家のかたがた】
絵画や音楽を挙げた幾人かのかたがたは 水辺や木から墜ちるという
想いがけず不可思議な事故死を遂げられている
Hamlet Gonashvili(20 June 1928 - 25 July 1985) "the voice of Georgia"
といわれた名テナー 充溢した壮年期に自宅の庭の林檎の木より墜ち亡くなる
Thomas John "Tom" Thomson (5 August 1877 – 8 July 1917) カナダの画家
独りでカヌーを漕いで カヌー湖(四枚目の絵)をめぐる旅に出かけ
行方不明となり八日後 遺体が発見される
イーディス・ホールデン(Edith Blackwell Holden 1871 – 1920年 3月15日)
英国の動・植物画および挿絵画家
キューガーデンの遊歩道近く テムズ川の澱みで溺れているところを発見される
テムズ川沿いへ大学のボート部の練習を見に行く と夫に話していたという
死因調査の結果 花芽をつけた栗の木の枝へ 手を伸ばそうとしていたのではないか
枝に手が届かず 傘で引き寄せて折ろうとして川に落ち 溺れたのではないかとされた
【最初のイメージ】
あまりにもオフィーリアと重なる 場所と仕草の裡に突然の死を迎えた
最後に挙げた植物画家の女性が 黄泉の国へ向かう途上
自転車に乗って廃墟の庭園を通りかかる
そこで なにかを想い出そうとするように草花を探しながら
耳に毒を流し込まれて死んだ ハムレットの父ハムレット王の霊魂の宿る彫像の聲をきく
というシーンが 四半世紀も昔 心をよぎったのが 始まり
【蝸牛管】
耳に毒を流し込まれたというのが 記憶違いか 確かめていないが
毒に覆われ死に瀕しながら もう一つの耳(の蝸牛管)に逃げるように伝える 蝸牛管
というイメージも 最初のイメージと同時にあり
蝸牛管については まだ謎の部分が多く
外側は硬い殻に覆われ 内側はリンパ液で満たされていること
蝸牛管自体が音を出している ことは
松果体が 目と同様に最初期には二つあり
そのうちの一つが頭頂の第三の目だった
という進化の過程の記憶を再現した後 消滅するのと同様
非常な驚きで いつか その話を書きたかった
(Wikipedia 蝸牛 より)
蝸牛管の内部は、リンパ液で満たされている。
鼓膜そして耳小骨を経た振動はこのリンパを介して
蝸牛管内部にある基底膜 (basilar membrane) に伝わり、
最終的に蝸牛神経を通じて中枢神経に情報を送る。
解剖学的な知見に基づいた蝸牛の仕組みについての説明は19世紀から行われてきたが、
蝸牛が硬い殻に覆われているため実験的な検証は困難であった。
1980年代ごろよりようやく生体外での実験が本格化したものの、
その詳細な機構や機能については依然謎に包まれた部分がある。
ヒトの蝸牛はおよそ 2 巻半ほどに渦巻いた骨で覆われた
閉じた管を形成しており、管を伸ばせば長さはおよそ 3 cm ほど、
中耳側の基部の太さはおよそ 2mm ほどである。
蝸牛内部は渦巻く方向に沿って膜で仕切られた 3 つの区画、前庭階 (scala vestibuli)、
中央階 (scala media)、鼓室階 (scala tympani) からなっている。
このうち、前庭階と鼓室階は蝸牛管の先端にあたる頂部でつながっており、
共に外リンパ (perilymph) で満たされている。
対して、中央階はイオンの能動輸送 (active transport) によって
カリウム・イオンに富んだ内リンパ (endolymph) で満たされている。
そのうえ、中央階は外リンパよりも相対的に 80 mV ほど高い電位を保っている。
内有毛細胞が振動の情報を神経パルスへと変換する一次感覚受容器である。
蝸牛のラセン状の中心軸である蝸牛軸 (modiolus) には数多くの蝸牛神経節
(ラセン神経節、spiral ganglion)があって、内有毛細胞とシナプス結合を形成している。
これらの神経細胞の軸索は蝸牛神経 (cochlear nerve) を形成し
延髄と橋にまたがるいくつかの蝸牛核 (cochlear nuclei) へと投射する。
興味深いことに、内有毛細胞より数の上ではるかに勝る外有毛細胞は
逆に延髄のオリーブ (olive) から遠心性の神経繊維を受け取っている。
[耳音響放射]
通常、感覚器官とは外界の刺激を受動的に受け取り中枢神経へと伝達するものであるが、
蝸牛増幅器の概念はこの見方を覆すものであった。
実際、1978年にイギリスのケンプによって蝸牛が音を受動的に知覚するだけでなく、
自ら小さな音をたてていることが明らかとなっていた。
これは何の刺激がないときにも、外部からの刺激への反応としても現れ、
耳音響放射 (じおんきょうほうしゃ、otoacoustic emission, OAE) と呼ばれている。
適切な周波数の違いを持つ 2 種の純音を重ね合わせた刺激に対しては、
それらとは別の周波数に非線形の効果による反応が表れることも明らかになっており、
これは特に新生児に対する聴覚検査として臨床上も有用である。
この耳音響放射も蝸牛増幅器の活動によるものであると考えられている。
【松果体】
脳の断面図における 松果体を表す とされる ホルスの目 は
絶対収束する幾何級数 を表しているとされる
ホルスは オシリスの息子で
オシリスの弟セトに殺されたオシリスの復讐を遂げる
際 左目を失う
この目は世界を旅して あらゆるものを見 叡智を貯え
月に癒やされ ホルスの左の眼窩に戻り
オシリスに捧げられた
(Wikipedia 松果体 より)
[動物の進化における松果体]
発生過程を見れば、松果体は頭頂眼と源を一にする器官である。
まず頭頂眼について説明する。
脊椎動物の祖先は水中を生息圏として中枢神経系を源とする視覚を得る感覚器に
外側眼と頭頂眼を備えていた。
外側眼は頭部左右の2つであり現在の通常の脊椎動物の両眼にあたる。
頭頂眼は頭部の上部に位置していた。初期の脊椎動物の祖先は頭部の中枢神経系で、
つまり今では脳に相当する部分に隣接して存在したこれら左右と頂部の視覚器官を用いて
皮膚などを透かして外界を感知していたが、皮膚の透明度が失われたり
強固な頭骨が発達するのに応じて外側眼は体表面側へと移動した。
また、外側眼が明暗を感知するだけの原始的なものから鮮明な像を感知できるまで
次第に高度化したのに対して、頭頂眼はほとんど大きな変化を起こさず、
明暗を感知する程度の能力にとどまり、位置も大脳に付随したままでいた。
やがて原因は不明ながら三畳紀を境にこの頭頂眼は退化して
ほとんどの種では消失してしまった。
現在の脊椎動物ではヤツメウナギ類やカナヘビといったトカゲ類の一部でのみ
この頭頂眼の存在が見出せる。
受精後に胚から成長する過程である動物の発生過程では、動物共通の形態の変化が見られるが、
この過程で頭頂眼となる眼の元は間脳胞から上方へと伸び上がる。
この「眼の元」は元々は左右2つが並んで存在するが、狭い間脳胞に生じたこれらは
やがて前後に並んで成長する。2つあるうちの片方が松果体となり、
残る片方はある種の爬虫類では頭頂眼となるかまたはほとんどの種では消失してしまう。
[機能]
松果体は虫垂のように、大きな器官の痕跡器官と考えられていた。
松果体にメラトニンの生成機能があり、概日リズムを制御していることを
科学者が発見したのは1960年代である。
メラトニンはアミノ酸の1種トリプトファンから合成されるもので、
中枢神経系では概日リズム以外の機能もある。
メラトニンの生産は、光の暗さによって刺激され、明るさによって抑制される。
網膜は光を検出し、視交叉上核(SCN)に直接信号を伝える。
神経線維はSCNから室傍核(PVN)に信号を伝え、室傍核は周期的な信号を脊髄に伝え、
交感システムを経由して上頚神経節(SCG)に伝える。そこから松果体に信号が伝わる。
松果体は子供では大きいのに対して、思春期になると縮小し、メラトニンの生合成量も減少する。
性機能の発達の調節、冬眠、新陳代謝、季節による繁殖に大きな役割を果たしているようである。
子供の豊富なメラトニンの量は性成熟を抑制していると考えられ、
小児に発生した松果体腫瘍は性的な早熟をもたらす。
【イアン・マキューアン 『未成年』】
イアン・マキューアンは すばらしい
とくに これは
女性の判事が出てくるが 彼女の年齢はいまの私とほぼ同じだ
彼女はピアニストでもある 声もすばらしいことが後でわかる
片方が片方に依存しており 脳も臓器もなく 依存されている方に負担がかかり
死に瀕したシャム双生児の 脳と臓器のある方を分離することで
何もせず双方を死なすよりも 一方を救い生かす手術に
信仰の篤い両親が反対しているため 医療機関が緊急提訴した
裁判を担当し 見事な判決で 分離手術を成功させ 一命を救ったが
その失われた命の 脳も臓器もない腫れ上がった顔が
物言わず悲しげに見つめる夢を しばらくの間見ていた
が 誰にも言わず 黙々と優れた判決を出しつづけ
多くの子どもを救いながら 人知れず立ち直ってゆく のが
出だしで語られる
彼女がいましも担当するのが エホバの証人の夫婦の一人息子で
急性の白血病にかかり 抗がん剤四種を使えば ほぼ間違いなく寛解できるが
それには輸血が必要であり これに まもなく成人に達する本人と 両親が反対し
二種の抗がん剤のみの治療でも貧血が生命を脅かす状況となり 医療機関が緊急提訴したもので
このとき彼女は 双方の言い分を聴いて 本人が若年ながら正しく情報を認識したうえで
医療行為を拒否する権利を備えていることを確認するため 病院へ赴き少年と話した後
深夜 ほんとうに深く優れた判決を下し 輸血による治療を認め 少年は完治する
彼女はその信仰に敬意を払い 少年の知性を認めながらも その信仰を持つ両親のもとで
育てられ その影響を受けざるを得ず その考えが 彼自身の考えであるということに
疑問を抱かざるを得ないこと そしてなによりも少年の福利が最優先されねばならないこと
少年の福利とは 生きて いま興味を抱いているすべてのことを すること
彼の信仰は 彼の福利に敵対するものとなっていること この信仰から輸血による治療を
拒む権利は 少年の福利が最優先されねばならぬゆえに 認められない
少年の福利は 彼自身からも 守られねばならない と明言する
この判決で 治療は粛々と行われ エホバの証人は 本人たちの決死の覚悟を以て
一家を破門することなく 両親は愛する息子を罪なくして救えることに涙にむせび
完治した息子は自分の愚かさと信仰のあまりの手前勝手さに悲憤慷慨し 判事に心酔する
まだ読み終わっておらず いつまでも読んでいたいが
この少年は詩を書いており ヴァイオリンも習い始めていて
判事は 自分もピアノでよく弾く民謡を 少年が弾くのを聴き
その調を正しつつ 歌詞があることを知っているか と言って
少年の伴奏で唄う 楽に生きてほしいと彼女は言った
だが私は若く愚かだった いま私は後悔している と
その少し前 判事は自分も若い頃に書いた詩があるのを想い出す
それは 水の中を草花と一緒にまわりながら溺れてゆくというもので
少女の頃 学校でテート・ギャラリーに行き あの有名なオフィーリアの
絵に魅せられて書いた と
ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais オフィーリア Ophelia 1851-1852
油彩 キャンバス Oil on Canvas 76.2×111.8cm テート・ブリテン ロンドン Tate Britain
これは 私が最善を尽くしていない ということだと想える
マキューアンの判事は 一瞬で本質を見抜き 必要最小限のわかりやすい言葉で
最も大切なことを端的かつ丁寧に伝えている
時間内に 短く
それでいて何もおろそかにせず 感情に流されることなく
それは心を打ち 美しく いつまでも残り 支えてくれる
最善の翻訳を引き出し あらゆる言語で正しく理解される
伝えたいことがあるならば 相応しい表現があるはずだ
一生かかっても そういうものを目指したい
判事の草稿は 膨大な資料と判例集が頭の中で整理され
完成したものとほとんど変わらないようにみえる
絵画には ほとんどの場合 数多の草稿 構想 素描がある
構想を練るにはそれらが必要だが
それらをただ並べただけでは絵画にならぬ
伝えたいことがあり
構想を練ったなら それに基づいて新たに描く
それをしない臆病な怠け者になって
人様に不出来なものを見ていただいて あるべき姿を読み取ってもらい
自分は人様のすぐれた本を読み 絵画や映画を観て楽しんでいる
そんな資格はないはずだ
まずこれから書き直します
ほんとうにありがとうございました
どうか御力を御貸しいただけますよう希い上げ奉ります
結末や それへと向かう展開がどうにも釈然とせず
ほんとうは まったく違う話が隠れているのでは
と想われてくることがある
移動や征服に伴い 新たに出逢い 占有して獲得するに到った土地に
もともとあった地形や風土に根づいていた 神話や故事伝説は
さまざまな時点で征服した側の視点や伝統が幾重にも覆い被せられてゆき
当初の眞實や意図の片鱗すら伺い知れぬ
破壊や改変 逆行や転向からの統合の途を辿る
【女ハムレット】
昨春『女ハムレット(原題:Hamlet)』という 北欧の無声映画を観た
そこでは 国から離れた戦地で深手を負い
死に瀕している王の 自国の城で 妃が女児を出産
そこへ王 危篤の報せに 世継ぎなきまま王 逝去となれば
忽ち征服や騒乱を招くと 男児出産との使者を放ち 身の安全を図ろうとする
と その報せに 王が奇蹟的に回復
敵味方とも疲弊した戦いを中断 無事帰国の途につく
帰還の喜びに沸く民を前に 城では赤子は男児として育てられ
隠し続けられるも年頃となり
そのうち妃は 王にとってかわろうとする弟に巧みに唆され
王は亡きものに と 実際にそうだったとしても不思議はない展開に
想い起こされるのは 現代でも とりわけ紛争地域では
女性には生きるうえでの選択権がほとんどなく
男性の戦利品として意思尊厳を踏みにじられ
幼い頃から危険な妊娠出産で 命を落とされることも数知れず
【性同一性障害】
第二次世界大戦中 胎児だった男性に戦後多く性同一性障害が発症した
ドイツにおける研究の概要を読んだ記憶がある
そこでは母体が生命の危険の強い不安に曝されると 胎児と自らの生命維持のため
より安定性の高い女性へと胎児の性を変更し なんとか保持しようとする
ホルモンが大量に分泌され すでに男性としての身体が出來てきているのに
女性としての脳が形成されてしまう とあったことが印象に残っている
これは男児と定まった胎児を妊娠中の母体が
絶体絶命ともいうべき 大きな危機的状況下に置かれた場合に発動される
胎児を維持しようとし また そのために我が身を生かそうとする
体内の必死の救急救命活動であり
いつ止むとも知れぬ 空爆などの差し迫った危機を回避するには辛抱と運しかないが
それ以外には胎児も母体も問題がなく流産できず する理由もないうえに
その時点での流産は母子ともに死する危険が極端に高いためである
人類の危機と苦難に満ちた挑戦と闘争の歴史が 厳しい氷河期から
さまざまな迫害や戦争を経る中で ほとんど何の選択権もないまま
踏みにじられながらも生き延びた女性の体内で
そのような胎児期を過ごした男性は数多居たのではなかろうか
しかしながら そのことに光が投じられたのは ごく最近のことに過ぎない
差別と迫害の歴史の中で 男性であったとしても
もしも性同一性障害を負って生まれたなら
心と身体を引き裂かれたまま さらに自らを引き裂いて
隠しつづけるしか 生きる術がなかった
生きるとは 自らが自らであること 自由であることだとすれば
自らを自らでなくさなくば生きられぬ という選択は
もはや選択ではなく 死の宣告に等しい
しかも生まれる前に遡っての たれが選んだわけでもない その性に
生まれたことへの 歴史的社会的な否定であり 拒絶ではないか
【ハムレットと母】
おそらく十二 三才で両親に命ぜられるままに嫁入りし子を生んだ
ひとりぼっちの幼い母親が 戦地へ行ったきりの夫より少し若く
身近で機嫌を取る男に頼るようになり 言うがままにしていたら
いつの間にか夫は亡きものとされ 自分はその男の妻にされていた
そのような顛末を辿らされただけの母に対し
父を殺した叔父の片棒を担いだ不義不貞の極み
と罵るハムレットの眞意は いかなるものだったか
過剰に吐露されているかに見えて
言われなかったこと 隠されていること
ハムレットとともに 自らの心を深く覗き込み
見出さねばならぬ 眞實は なにか
自らも亡き父も己が関心事で手一杯で 母を放ったらかしにし
母の孤独や不安に想いを致すこともなく なんの愛情も関心も覺えなかった
ことへの 痛恨の自責の念
生まれながらに女性という 男性への捧げものとして育てられ
それゆえに叔父の言うなりになってしまった母の愚かさ 寄る辺なさ 哀れさ
に対する 自らをも含む男性一般への憤懣
かような社会を存続させ そこに君臨するため
父王を亡き者とされた 世継ぎの王子として
母を改心させ 叔父に復讐を遂げ 王国を取戻し 安泰なものとして維持する
という社会的 歴史的要求に屈する ことへの怒り
なによりも そのために いまだ形成されつつある 不確かだが
芸術と友と自然を愛する 自分自身であることを放擲しなければならぬこと
それ以外の選択肢がない
あるとしても 唯一の選択肢を進んで選び取り 遂行する
ことができず または失敗して
社会的 歴史的 また実際に 抹殺されるしかないことへの絶望
【アムレート】
ハムレットの元になったアイスランドを含む北欧の伝説に
「アムレート」という史実からの物語がある(Wikipedia アムレート)
シェイクスピアが作り上げた物語と決定的に違うのが
アムレートは狂気を装い 亡き父の復讐を周到に計画 怪我一つせず容赦なく執行
後 機会を設けては人々の前でその顛末を逐一話して聴かせ
その正当性について 賛同と称賛を集める
さらにその最中 仇たる叔父の朋友ブリタニア王のもとで その王女と結婚
その後ブリタニア王その人の結婚申込みのため遣わされたスコットランド女王から
結婚を申込まれ これを受けてブリタニア王と戦うことになるも二人の妻を大切にし
最初の妻 王女との間には子を設けた
彼の死はその直後 デンマーク王(アムレートは その配下のユトランド総督の息子)亡きあと
その世継ぎとなった新王が亡き王の娘であるアムレートの母の財産を召し上げるなど
勝手放題に郷里を搾取侵害していたのを知り 急ぎ帰国して戦うも敗れ 命を落とす
アムレートの妻スコットランド女王は(夫アムレートのもう一人の妻ブリタニア王女の
息子を守るためか)進んで自らを戦利品として新デンマーク王のもとへ下った
かなり違う 違えている
アムレートは王子ではないが賢く 復讐は遂げ 賢妻二人に恵まれるも
故国で戦となれば運も尽き 妻子を遺し斃れ
アムレートの伴侶たる女性もシェイクスピア版との違いは著しく
まず二人居て それぞれに意気軒昂
かたや父ブリタニア王を裏切り 自分と結婚しているにもかかわらず
スコットランド女王の申込みを受け 伴侶とした夫アムレートに従い子を守り育てながら
夫やそのもう一人の妻である女王とともに生きようとするブリタニア王女
かたやアムレートの物語に絆され並み居る求婚者を撥ね退けながら
自らアムレートに結婚を申込み 彼の死後ブリタニア王女とその息子を守り
新デンマーク王に身を捧ぐため単身そのもとへ下るスコットランド女王
一方のシェイクスピア版では 主な女性は
ハムレットの母と 許嫁のような大臣の娘オフィーリア
マクベス夫人の前身かと想われるような
冷酷かと想えば情緒不安定 短慮で移り気な母と
ハムレットの錯乱の振りの影響を一身に受け
まるで感染する如く錯乱死を遂げる 幼き娘御オフィーリア
【タミフル】
まるでインフルエンザに罹って 処方されたタミフルによって
背後からの数を数える恐ろしい幻聴から逃れるため
高層階から飛び降り 亡くなられた子供たちのように
ほんとうに ご冥福を祈りつつ
この薬が日本ではまだ処方されていることに驚きを禁じ得ぬ
薬効よりも 強い精神および神経作用が見られることから
欧米ではすぐに全面禁止されたという
【山月記】
錯乱から虎になる『山月記』にしても 科挙に受かり詩人として生きようとした
男性が錯乱して虎となる理由は
もとになった中国の故事伝説と中島 敦では全く異なっている
【水辺の樹木からの墜落からの溺死という事故】
アムレートとは明らかに違うハムレットの 若く過剰な独白に埋蔵された
自責の念と憤怒 怒りと絶望を想う裡
ハムレットは性同一性障害だったのではないか
と想われてくる一方で 同時に
オフィーリアとして亡くなったのは彼だったのではないか
と想われてくるのは
性同一性障害という
母体に迫る重大な危機から胎児を守ろうとする
懸命の努力から生じた後遺症が
心と身体の性別が異なるという
引き裂かれた自己に他ならぬからだろう
自らとして自由に生きたい と切に願い
どうしたらそうできるのか わからず苦しみ抜いた はずではないか
叔父に復讐するとかが問題なのではなく
そうした世間体やしがらみの中で 男子として 息子として 王子として
社会が望むように生きねばならぬ ハムレットとして あること 生きること が
自分に可能なのか 可能だとして それを ほんとうに自分は望むのか
しかしながら それを望まぬとしても ハムレットとして あらざるならば
それは 歴史的 社会的 身体的 死への道を独り歩むことに他ならぬのではないか
ハムレットとしてではなく自分自身としてありつづけ かつ生きるためには
どうすればよいのか 身分と名と性に拘束される ハムレットではなく
名もなき胎児であったとき 世界であった母とともに恐るべき危機を乗り越え
るために分裂せざるを得なかった自分自身として 生き抜き
いままた 母がその身を置いていた世界で この身に襲いかかる大いなる苦難を
もうひとりの自分自身と手を取り合い 乗り越えたい と願ったはずではないか
ただその時代と社会において それはどう考えても不可能で
その答えが 枝が折れる 問の重みで支えとなるものが耐え切れず
身の置き所が失われ 奈落の底へ墜ち 漸く安らぎを得る という
神ならぬ運命ならぬ あのとき 胎児の心と身体を引き裂いた
同じ自然の摂理であり恩寵であり慈悲だったのではないか
【ハムレットとオフィーリアの取違え】
シェイクスピアには 取違えによる紆余曲折の果てに
再発見し元に戻るという喜劇がある
想いもよらぬ体験が二人の縁 絆を深く結びつける
もしもここにも取違えに似たものが隠されていたら
男女の一卵性双生児に母体における重大な不安が引き金となる
先述の胎内危機管理が発動されたら
その後遺症を被るのは男児だけなのだ
知らぬままに寄り添いつつも すれ違う
互いの数奇な命運を一身に受けながら 鏡に映る鏡のように
いつの間にか 互いに互いの身代りとなり
相手の後ろ姿の向うに 自分自身が見えるような氣がするのだが
どちらもしかとは見てとれず 邊りは暗く鎖されてゆき
逃れる術もなく 別れゆくような 悲劇の取違えの狭間に
存在し得ぬ女性の心が 身体も失くし幽霊のように行き場なく 漂う
アムレートの ともに愛情深いが やや対照的ともいえる
二人の妻のどちらとも似ていないオフィーリアは
まるで彼女らの影のようで なんのために居るのか判然としない
つまり彼女は そこに居場所のない 存在し得ぬ者として
存在し 死に追いやられたのかも知れぬ
ゆえに ハムレットは 引き裂かれたもう一人の自分である彼女として 死に
彼女 オフィーリアもまた 引き裂かれたもう一人の自分であるハムレットとして
死ななくてはならなかったのではないか
彼女は それゆえ彼女の兄ではない男レアーティーズの妹ではなくなり
妹つまり彼女の死を悼む 実は彼女の兄ではない男レアーティーズは
彼女として死んだ 彼女の引き裂かれたもう一人の自分であり
彼女を死に追いやった男ハムレットと命を遣り取りしようとし
生きていた彼女を死に追いやった
それでもレアーティーズは その時代と歴史を体現した一人の男として
おそらく面目躍如 自己満足し絶命したように見える
まるで家族の約した夫のもとから逃げ出した姉妹を殺す兄弟のように
(殺せず その途中別な少女を絆されて助けたために裏切り行為で殺される弟
遺された幼い妹が姉の身代りとなり嫁ぐ やるせない映画を同じときに観た
Hisham Zaman ヒシャーム・ザマーン監督 雪が降る前に Before Snow Fall)
【木からの墜落や水辺の事故で亡くなられた 歌手や画家のかたがた】
絵画や音楽を挙げた幾人かのかたがたは 水辺や木から墜ちるという
想いがけず不可思議な事故死を遂げられている
Hamlet Gonashvili(20 June 1928 - 25 July 1985) "the voice of Georgia"
といわれた名テナー 充溢した壮年期に自宅の庭の林檎の木より墜ち亡くなる
Thomas John "Tom" Thomson (5 August 1877 – 8 July 1917) カナダの画家
独りでカヌーを漕いで カヌー湖(四枚目の絵)をめぐる旅に出かけ
行方不明となり八日後 遺体が発見される
イーディス・ホールデン(Edith Blackwell Holden 1871 – 1920年 3月15日)
英国の動・植物画および挿絵画家
キューガーデンの遊歩道近く テムズ川の澱みで溺れているところを発見される
テムズ川沿いへ大学のボート部の練習を見に行く と夫に話していたという
死因調査の結果 花芽をつけた栗の木の枝へ 手を伸ばそうとしていたのではないか
枝に手が届かず 傘で引き寄せて折ろうとして川に落ち 溺れたのではないかとされた
【最初のイメージ】
あまりにもオフィーリアと重なる 場所と仕草の裡に突然の死を迎えた
最後に挙げた植物画家の女性が 黄泉の国へ向かう途上
自転車に乗って廃墟の庭園を通りかかる
そこで なにかを想い出そうとするように草花を探しながら
耳に毒を流し込まれて死んだ ハムレットの父ハムレット王の霊魂の宿る彫像の聲をきく
というシーンが 四半世紀も昔 心をよぎったのが 始まり
【蝸牛管】
耳に毒を流し込まれたというのが 記憶違いか 確かめていないが
毒に覆われ死に瀕しながら もう一つの耳(の蝸牛管)に逃げるように伝える 蝸牛管
というイメージも 最初のイメージと同時にあり
蝸牛管については まだ謎の部分が多く
外側は硬い殻に覆われ 内側はリンパ液で満たされていること
蝸牛管自体が音を出している ことは
松果体が 目と同様に最初期には二つあり
そのうちの一つが頭頂の第三の目だった
という進化の過程の記憶を再現した後 消滅するのと同様
非常な驚きで いつか その話を書きたかった
(Wikipedia 蝸牛 より)
蝸牛管の内部は、リンパ液で満たされている。
鼓膜そして耳小骨を経た振動はこのリンパを介して
蝸牛管内部にある基底膜 (basilar membrane) に伝わり、
最終的に蝸牛神経を通じて中枢神経に情報を送る。
解剖学的な知見に基づいた蝸牛の仕組みについての説明は19世紀から行われてきたが、
蝸牛が硬い殻に覆われているため実験的な検証は困難であった。
1980年代ごろよりようやく生体外での実験が本格化したものの、
その詳細な機構や機能については依然謎に包まれた部分がある。
ヒトの蝸牛はおよそ 2 巻半ほどに渦巻いた骨で覆われた
閉じた管を形成しており、管を伸ばせば長さはおよそ 3 cm ほど、
中耳側の基部の太さはおよそ 2mm ほどである。
蝸牛内部は渦巻く方向に沿って膜で仕切られた 3 つの区画、前庭階 (scala vestibuli)、
中央階 (scala media)、鼓室階 (scala tympani) からなっている。
このうち、前庭階と鼓室階は蝸牛管の先端にあたる頂部でつながっており、
共に外リンパ (perilymph) で満たされている。
対して、中央階はイオンの能動輸送 (active transport) によって
カリウム・イオンに富んだ内リンパ (endolymph) で満たされている。
そのうえ、中央階は外リンパよりも相対的に 80 mV ほど高い電位を保っている。
内有毛細胞が振動の情報を神経パルスへと変換する一次感覚受容器である。
蝸牛のラセン状の中心軸である蝸牛軸 (modiolus) には数多くの蝸牛神経節
(ラセン神経節、spiral ganglion)があって、内有毛細胞とシナプス結合を形成している。
これらの神経細胞の軸索は蝸牛神経 (cochlear nerve) を形成し
延髄と橋にまたがるいくつかの蝸牛核 (cochlear nuclei) へと投射する。
興味深いことに、内有毛細胞より数の上ではるかに勝る外有毛細胞は
逆に延髄のオリーブ (olive) から遠心性の神経繊維を受け取っている。
[耳音響放射]
通常、感覚器官とは外界の刺激を受動的に受け取り中枢神経へと伝達するものであるが、
蝸牛増幅器の概念はこの見方を覆すものであった。
実際、1978年にイギリスのケンプによって蝸牛が音を受動的に知覚するだけでなく、
自ら小さな音をたてていることが明らかとなっていた。
これは何の刺激がないときにも、外部からの刺激への反応としても現れ、
耳音響放射 (じおんきょうほうしゃ、otoacoustic emission, OAE) と呼ばれている。
適切な周波数の違いを持つ 2 種の純音を重ね合わせた刺激に対しては、
それらとは別の周波数に非線形の効果による反応が表れることも明らかになっており、
これは特に新生児に対する聴覚検査として臨床上も有用である。
この耳音響放射も蝸牛増幅器の活動によるものであると考えられている。
【松果体】
脳の断面図における 松果体を表す とされる ホルスの目 は
絶対収束する幾何級数 を表しているとされる
ホルスは オシリスの息子で
オシリスの弟セトに殺されたオシリスの復讐を遂げる
際 左目を失う
この目は世界を旅して あらゆるものを見 叡智を貯え
月に癒やされ ホルスの左の眼窩に戻り
オシリスに捧げられた
(Wikipedia 松果体 より)
[動物の進化における松果体]
発生過程を見れば、松果体は頭頂眼と源を一にする器官である。
まず頭頂眼について説明する。
脊椎動物の祖先は水中を生息圏として中枢神経系を源とする視覚を得る感覚器に
外側眼と頭頂眼を備えていた。
外側眼は頭部左右の2つであり現在の通常の脊椎動物の両眼にあたる。
頭頂眼は頭部の上部に位置していた。初期の脊椎動物の祖先は頭部の中枢神経系で、
つまり今では脳に相当する部分に隣接して存在したこれら左右と頂部の視覚器官を用いて
皮膚などを透かして外界を感知していたが、皮膚の透明度が失われたり
強固な頭骨が発達するのに応じて外側眼は体表面側へと移動した。
また、外側眼が明暗を感知するだけの原始的なものから鮮明な像を感知できるまで
次第に高度化したのに対して、頭頂眼はほとんど大きな変化を起こさず、
明暗を感知する程度の能力にとどまり、位置も大脳に付随したままでいた。
やがて原因は不明ながら三畳紀を境にこの頭頂眼は退化して
ほとんどの種では消失してしまった。
現在の脊椎動物ではヤツメウナギ類やカナヘビといったトカゲ類の一部でのみ
この頭頂眼の存在が見出せる。
受精後に胚から成長する過程である動物の発生過程では、動物共通の形態の変化が見られるが、
この過程で頭頂眼となる眼の元は間脳胞から上方へと伸び上がる。
この「眼の元」は元々は左右2つが並んで存在するが、狭い間脳胞に生じたこれらは
やがて前後に並んで成長する。2つあるうちの片方が松果体となり、
残る片方はある種の爬虫類では頭頂眼となるかまたはほとんどの種では消失してしまう。
[機能]
松果体は虫垂のように、大きな器官の痕跡器官と考えられていた。
松果体にメラトニンの生成機能があり、概日リズムを制御していることを
科学者が発見したのは1960年代である。
メラトニンはアミノ酸の1種トリプトファンから合成されるもので、
中枢神経系では概日リズム以外の機能もある。
メラトニンの生産は、光の暗さによって刺激され、明るさによって抑制される。
網膜は光を検出し、視交叉上核(SCN)に直接信号を伝える。
神経線維はSCNから室傍核(PVN)に信号を伝え、室傍核は周期的な信号を脊髄に伝え、
交感システムを経由して上頚神経節(SCG)に伝える。そこから松果体に信号が伝わる。
松果体は子供では大きいのに対して、思春期になると縮小し、メラトニンの生合成量も減少する。
性機能の発達の調節、冬眠、新陳代謝、季節による繁殖に大きな役割を果たしているようである。
子供の豊富なメラトニンの量は性成熟を抑制していると考えられ、
小児に発生した松果体腫瘍は性的な早熟をもたらす。
【イアン・マキューアン 『未成年』】
イアン・マキューアンは すばらしい
とくに これは
女性の判事が出てくるが 彼女の年齢はいまの私とほぼ同じだ
彼女はピアニストでもある 声もすばらしいことが後でわかる
片方が片方に依存しており 脳も臓器もなく 依存されている方に負担がかかり
死に瀕したシャム双生児の 脳と臓器のある方を分離することで
何もせず双方を死なすよりも 一方を救い生かす手術に
信仰の篤い両親が反対しているため 医療機関が緊急提訴した
裁判を担当し 見事な判決で 分離手術を成功させ 一命を救ったが
その失われた命の 脳も臓器もない腫れ上がった顔が
物言わず悲しげに見つめる夢を しばらくの間見ていた
が 誰にも言わず 黙々と優れた判決を出しつづけ
多くの子どもを救いながら 人知れず立ち直ってゆく のが
出だしで語られる
彼女がいましも担当するのが エホバの証人の夫婦の一人息子で
急性の白血病にかかり 抗がん剤四種を使えば ほぼ間違いなく寛解できるが
それには輸血が必要であり これに まもなく成人に達する本人と 両親が反対し
二種の抗がん剤のみの治療でも貧血が生命を脅かす状況となり 医療機関が緊急提訴したもので
このとき彼女は 双方の言い分を聴いて 本人が若年ながら正しく情報を認識したうえで
医療行為を拒否する権利を備えていることを確認するため 病院へ赴き少年と話した後
深夜 ほんとうに深く優れた判決を下し 輸血による治療を認め 少年は完治する
彼女はその信仰に敬意を払い 少年の知性を認めながらも その信仰を持つ両親のもとで
育てられ その影響を受けざるを得ず その考えが 彼自身の考えであるということに
疑問を抱かざるを得ないこと そしてなによりも少年の福利が最優先されねばならないこと
少年の福利とは 生きて いま興味を抱いているすべてのことを すること
彼の信仰は 彼の福利に敵対するものとなっていること この信仰から輸血による治療を
拒む権利は 少年の福利が最優先されねばならぬゆえに 認められない
少年の福利は 彼自身からも 守られねばならない と明言する
この判決で 治療は粛々と行われ エホバの証人は 本人たちの決死の覚悟を以て
一家を破門することなく 両親は愛する息子を罪なくして救えることに涙にむせび
完治した息子は自分の愚かさと信仰のあまりの手前勝手さに悲憤慷慨し 判事に心酔する
まだ読み終わっておらず いつまでも読んでいたいが
この少年は詩を書いており ヴァイオリンも習い始めていて
判事は 自分もピアノでよく弾く民謡を 少年が弾くのを聴き
その調を正しつつ 歌詞があることを知っているか と言って
少年の伴奏で唄う 楽に生きてほしいと彼女は言った
だが私は若く愚かだった いま私は後悔している と
その少し前 判事は自分も若い頃に書いた詩があるのを想い出す
それは 水の中を草花と一緒にまわりながら溺れてゆくというもので
少女の頃 学校でテート・ギャラリーに行き あの有名なオフィーリアの
絵に魅せられて書いた と
ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais オフィーリア Ophelia 1851-1852
油彩 キャンバス Oil on Canvas 76.2×111.8cm テート・ブリテン ロンドン Tate Britain
これは 私が最善を尽くしていない ということだと想える
マキューアンの判事は 一瞬で本質を見抜き 必要最小限のわかりやすい言葉で
最も大切なことを端的かつ丁寧に伝えている
時間内に 短く
それでいて何もおろそかにせず 感情に流されることなく
それは心を打ち 美しく いつまでも残り 支えてくれる
最善の翻訳を引き出し あらゆる言語で正しく理解される
伝えたいことがあるならば 相応しい表現があるはずだ
一生かかっても そういうものを目指したい
判事の草稿は 膨大な資料と判例集が頭の中で整理され
完成したものとほとんど変わらないようにみえる
絵画には ほとんどの場合 数多の草稿 構想 素描がある
構想を練るにはそれらが必要だが
それらをただ並べただけでは絵画にならぬ
伝えたいことがあり
構想を練ったなら それに基づいて新たに描く
それをしない臆病な怠け者になって
人様に不出来なものを見ていただいて あるべき姿を読み取ってもらい
自分は人様のすぐれた本を読み 絵画や映画を観て楽しんでいる
そんな資格はないはずだ
まずこれから書き直します
ほんとうにありがとうございました
どうか御力を御貸しいただけますよう希い上げ奉ります