ピエロ・デラ・フランチェスカ Piero della Francesca (c.1415/20 頃 - 1492) 聖 ミカエル
天と人との仲立ちをする、大天使ミカエルも、太古には、天の軍団を率い、
その後は、時に、独り、完全武装して立ち現れ、槍を突き、地を砕き、
剣を翳(かざ)し、毒龍を退治、人の死に際しては、その魂を量り、
盗み去ろうと跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する悪鬼より、保護する。
背には翼があり、聖人ゲオルギウスのように馬に乗ることはない。
ミカエルに冠された頭光(ずこう)を、水のように取り巻く青い大気は、
蔭に包まれた 月桂冠 のようなものを介して、
ミカエルの金髪の巻き毛の間にとり込まれ、透き通った翳(かげ)となる。
その天空の大気の青よりも、幽(かす)かに赤みを帯び、やや暗く紫がかった、
青い胴着には、胸から腹にかけての筋肉のうねりが、
古代の大理石彫刻の トルソー のように浮かび上がり、透けるように望まれる。
実際、古代ローマ皇帝や総督、将軍が出陣する際の出立(いでたち)には、
胸筋や腹筋に合わせ、強靭かつ豪壮に打ち出された、鋼(はがね)の胸当て が
用いられたことが、ゲルマニクス の像などからも知られていた。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、拡大して見ると、
関節の覆(おお)いや接(つ)ぎ目、脇の留め金、縁取りは、金で施され、
首周りには、二重(ふたえ)の金の弧の間が 臙脂(えんじ) で埋められ、
中央が雫(しずく)のように垂れ下がって、線香花火のように
耀(かがや)きながら回転する七つの小さな剣か、煌(きらめ)く
翅(はね)を六枚にも震わせながら飛ぶ蜂のような、飾りが金で描かれる。
透き通った 紗(うすぎぬ) が、ギャザーを寄せ、喉元(のどもと)を包みながら
立ち上がり、細い金のモールで縁取られた間に、宝石や真珠が細かく縫い取られ、
その下を、珊瑚(さんご)かルビーと思(おぼ)しき 朱赤 の粒が、点々と廻(めぐ)る。
裾(すそ)には、直垂(ひたたれ) のような、宝石や真珠の縫い取られた、
厚く柔らかな、金に浸された革のような小板が連なる。
下の縁からは、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた
艶(つや)やかな深い青が、細く帯状に覗(のぞ)く。
肩口の、鏡のような鋼(はがね)の蛇腹(じゃばら)の下からも、
金色(こんじき)の革のような小板は連なり、半袖のように長く垂れて、
宝石の縫い取りは、肩口から覗(のぞ)く、接(つ)ぎ目の短い列だけに見られる。
金革の袖(そで)の先端には、裾(すそ)と同じ、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた青が、
天へと吹き抜ける 超流動 の炎のような薄く淡い青から、ミカエルの胴を包む
深く黙(もだ)した青まで、ちらちらと変化しながら、細く微(かす)かに両肘上を廻(めぐ)る。
空の青は、光の波長よりも小さい大気の粒子による 光の散乱 から生ずるという。
酸素を十分に取り込んで完全燃焼する 炎 もまた青い。
それは自然には、ほとんど在り得ない炎だが、硫黄(いおう) が燃えると、その炎は青い。
硫黄(いおう)はまた、液体で血のように赤くなって粘りつつ流れ、固体では、黄色い。
元素記号 S の基となる sulphur は、ラテン語 「燃える石」 を語源とする。
ドルトン の考えていた記号は、○に十字だった。
孤高のドルトンは、あらゆる物理・化学に貢献しつつ、自身の 先天色覚異常 を研究、
他者が赤と呼ぶ色は、自分には単なる影の、やや明るい部分にしか見えず、
オレンジ色、黄色、緑は、様々な明るさの黄色にしか見えない、と記した。
物質の三相 を、人間を最も震撼させるような形で、三原色で現す、この驚くべき元素は、
硫酸 の原料で、火山ガスで 硫化水素 となり、噴火する山という龍の、毒液にも比せられる。
エトナ山 で知られる シチリア島 や 知床硫黄山 などで見られるという
黄色い硫黄(いおう)の結晶が ステゴサウルス の背のように、でこぼこと連なり、
暗く赤い粘り気のある血が、噴煙を上げ沸々(ふつふつ)と滾(たぎ)る岩肌を突如伝う
光景は、毒液を吐く黄色い腹の龍伝説を生むに足るものだったかもしれない。
木星の月の一つ、イオ にある 硫黄の火山 も、確かに、そのようなものを想起させる。
それは、龍の元祖ともいうべき太古の、蛇に近いもので、ウロボロス と呼ばれる。
ウロボロスには、一匹で己(おの)が尾を食(は)み、輪を形作るのと、
二匹が相食(あいは)みつつ、輪となっているものが、あるらしい。
後者の場合、互いに相手の尾を咬(か)んで繋(つな)がるはずだが、イオの二匹は、
黄色い方が、黒い方の頭を喰(く)らいつつ、尾で番(つが)うかに見える。
ミカエルの肩の金革の下から現れる腕も、喉元(のどもと)と同じく、透けるような
紗(うすぎぬ)に覆(おお)われ、小さな丸い、粒状の珊瑚(さんご)かルビーの朱赤の
珠(たま)が、腕の外縁に沿って点々と白い細糸に通され、留め付けられていき、
手首の上の辺(あた)りの、繊細な金のモールの間で宝石や真珠の縫い取られる
手前で、喉元(のどもと)と同様、ぐるりと数珠(じゅず)状に連なって終わる。
腰の辺(あた)りで V 字に下がる、直垂(ひたたれ)の裾(すそ)と同じ、
艶(つや)やかな深い青の部分には、ANGEL(天使)、POTENTIA(力)、
というような言葉が、金糸で縫い取られていく。
直垂(ひたたれ)の下からは、腿(もも)は覆(おお)われているが、
膝(ひざ)は出ていて、脛(すね)もそのままの素足が
赤い布靴を履(は)いて、龍を踏みしめる。
赤い靴には、真珠や金の細かな縫い取りや、青い紐(ひも)が見てとれ、
シンプルだが凝った、上靴のような造りとなっている。
それは、ウッチェロの、聖ゲオルギウスと龍の絵で、洞窟の前で
聖人の槍に刺し貫かれた龍の脇に佇(たたず)む、姫君の履(は)く、
龍の滴(したた)る血と同じ色をした、赤い靴に似る。
晩年のウッチェロが、その聖ゲオルギウスと龍を
描いたのは、壮年のピエロ・デラ・フランチェスカが、
このミカエルのいる 祭壇画 を仕上げたのと、ほぼ同じ頃だった。
左下で、踏みつけられた龍の胴から、尻尾が、ゆらりと立ち上がっているが、
頭は、もう切り取られていて、その細長い左耳を、
ミカエルは左の拳(こぶし)に握り込み、ぶら下げて、ぱっくり開いた龍の口の前で、
薄(うっす)らと血糊(ちのり)のついた白い剣を、緩(ゆる)く曲げた右腕に握る。
どんよりと生気なく開かれた龍の半眼が見ている、剣の、青と金の柄に、
細い白の握りの交差する、反った片刃は、古代ローマの グラディウス よりも、
更に古い、古代ギリシャの、内刃の コーピス や、イベリアの ファルカタ を想わせる。
この分断された龍もまた、マルトレルの聖ゲオルギウスの
龍退治の絵の、右下で、迫り来る槍に向かい、咢(あぎと)を開く、
腹の黄色く、背の黒い、顔も胴も長く、蛇のような、龍に似る。
ここでは、龍はもう死んでいて、切断された首は、眼(まなこ)を開いたまま、
血泡巻く喉(のど)の奥から、顎(あご)の先へ、舌先のようなものが垂れ出た、
更にその先の、宙に、時を超え、いまだ一滴の血が、舞い落ち続けている。
龍の首の後ろの、白大理石の露台の壁柱の、正面の長方形を縁取る、
左側の二本の線が陰になり、ちょうど龍の下顎(したあご)の先から、
下がっていくように見える、その二本のうちの右側の線の上を、伝い降りていく、
ピンク色の蛞蝓(なめくじ)のような、一片(ひとひら)の血が、見えるだろうか。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、最大限まで拡大すると、はっきりと見える。
つまり画家が、それを、剣の刃先の、微(かす)かな血飛沫(ちしぶき)や、
切り取られたばかりの首の、切り口の周りに仄(ほの)かに噴(ふ)き廻(めぐ)る
血煙や、踏みしめている龍の、背に鏤(ちりば)められた鱗(うろこ)と同じく、
筆と意志を以(もっ)て、そこに描いたのである。
右下の、金襴(きんらん)の布の掛けられた、切り石の、左下の縁の脇に、
不意に滲(にじ)み出した、小さな血溜(ちだま)りのようなものが、
首の切り取られた胴体の端が、その後ろにあると示すかのごとく。
いまだ柔らかく、滑(ぬめ)るような胴に生えていたはずの
翼も、おそらく、この切石の陰になり、見えない。
ピエロ・デラ・フランチェスカも、この黒死病の時代に、八十歳まで生き、
四十二歳から十五年をかけて、このミカエルの祭壇画を仕上げたとされる。
ここで死んでいる、黒い龍の親戚が、聖ゲオルギウスの槍を受ける直前、
まだ生きているかのような、祭壇画を、壮年のマルトレルがバルセロナで
描いたのは、マルトレルより七歳程年下のウッチェロが、やがて、先の
聖ゲオルギウスと龍を描き、更に年若く、当時、まだ十歳から十五歳だった
ピエロ・デラ・フランチェスカが、この、死んだ龍の胴を踏んまえ、切り落した
その首を持つ、ミカエルの祭壇画を描き終える頃に、四十年程先立つ。
Saint Michael (- 1469 年) 油彩・板(ポプラ材) Oil on Poplar 133 × 59.5 cm
天と人との仲立ちをする、大天使ミカエルも、太古には、天の軍団を率い、
その後は、時に、独り、完全武装して立ち現れ、槍を突き、地を砕き、
剣を翳(かざ)し、毒龍を退治、人の死に際しては、その魂を量り、
盗み去ろうと跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する悪鬼より、保護する。
背には翼があり、聖人ゲオルギウスのように馬に乗ることはない。
ミカエルに冠された頭光(ずこう)を、水のように取り巻く青い大気は、
蔭に包まれた 月桂冠 のようなものを介して、
ミカエルの金髪の巻き毛の間にとり込まれ、透き通った翳(かげ)となる。
その天空の大気の青よりも、幽(かす)かに赤みを帯び、やや暗く紫がかった、
青い胴着には、胸から腹にかけての筋肉のうねりが、
古代の大理石彫刻の トルソー のように浮かび上がり、透けるように望まれる。
実際、古代ローマ皇帝や総督、将軍が出陣する際の出立(いでたち)には、
胸筋や腹筋に合わせ、強靭かつ豪壮に打ち出された、鋼(はがね)の胸当て が
用いられたことが、ゲルマニクス の像などからも知られていた。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、拡大して見ると、
関節の覆(おお)いや接(つ)ぎ目、脇の留め金、縁取りは、金で施され、
首周りには、二重(ふたえ)の金の弧の間が 臙脂(えんじ) で埋められ、
中央が雫(しずく)のように垂れ下がって、線香花火のように
耀(かがや)きながら回転する七つの小さな剣か、煌(きらめ)く
翅(はね)を六枚にも震わせながら飛ぶ蜂のような、飾りが金で描かれる。
透き通った 紗(うすぎぬ) が、ギャザーを寄せ、喉元(のどもと)を包みながら
立ち上がり、細い金のモールで縁取られた間に、宝石や真珠が細かく縫い取られ、
その下を、珊瑚(さんご)かルビーと思(おぼ)しき 朱赤 の粒が、点々と廻(めぐ)る。
裾(すそ)には、直垂(ひたたれ) のような、宝石や真珠の縫い取られた、
厚く柔らかな、金に浸された革のような小板が連なる。
下の縁からは、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた
艶(つや)やかな深い青が、細く帯状に覗(のぞ)く。
肩口の、鏡のような鋼(はがね)の蛇腹(じゃばら)の下からも、
金色(こんじき)の革のような小板は連なり、半袖のように長く垂れて、
宝石の縫い取りは、肩口から覗(のぞ)く、接(つ)ぎ目の短い列だけに見られる。
金革の袖(そで)の先端には、裾(すそ)と同じ、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた青が、
天へと吹き抜ける 超流動 の炎のような薄く淡い青から、ミカエルの胴を包む
深く黙(もだ)した青まで、ちらちらと変化しながら、細く微(かす)かに両肘上を廻(めぐ)る。
空の青は、光の波長よりも小さい大気の粒子による 光の散乱 から生ずるという。
酸素を十分に取り込んで完全燃焼する 炎 もまた青い。
それは自然には、ほとんど在り得ない炎だが、硫黄(いおう) が燃えると、その炎は青い。
硫黄(いおう)はまた、液体で血のように赤くなって粘りつつ流れ、固体では、黄色い。
元素記号 S の基となる sulphur は、ラテン語 「燃える石」 を語源とする。
ドルトン の考えていた記号は、○に十字だった。
孤高のドルトンは、あらゆる物理・化学に貢献しつつ、自身の 先天色覚異常 を研究、
他者が赤と呼ぶ色は、自分には単なる影の、やや明るい部分にしか見えず、
オレンジ色、黄色、緑は、様々な明るさの黄色にしか見えない、と記した。
硫黄(いおう)は融解すると血赤色の液体となり、燃やすと青い炎を上げる Wikipedia 硫黄(いおう)
物質の三相 を、人間を最も震撼させるような形で、三原色で現す、この驚くべき元素は、
硫酸 の原料で、火山ガスで 硫化水素 となり、噴火する山という龍の、毒液にも比せられる。
エトナ山 で知られる シチリア島 や 知床硫黄山 などで見られるという
黄色い硫黄(いおう)の結晶が ステゴサウルス の背のように、でこぼこと連なり、
暗く赤い粘り気のある血が、噴煙を上げ沸々(ふつふつ)と滾(たぎ)る岩肌を突如伝う
光景は、毒液を吐く黄色い腹の龍伝説を生むに足るものだったかもしれない。
木星の月の一つ、イオ にある 硫黄の火山 も、確かに、そのようなものを想起させる。
Galileo image of Tupan Patera taken in October 2001 Wikipedia Tupan patera
それは、龍の元祖ともいうべき太古の、蛇に近いもので、ウロボロス と呼ばれる。
ウロボロスには、一匹で己(おの)が尾を食(は)み、輪を形作るのと、
二匹が相食(あいは)みつつ、輪となっているものが、あるらしい。
後者の場合、互いに相手の尾を咬(か)んで繋(つな)がるはずだが、イオの二匹は、
黄色い方が、黒い方の頭を喰(く)らいつつ、尾で番(つが)うかに見える。
ミカエルの肩の金革の下から現れる腕も、喉元(のどもと)と同じく、透けるような
紗(うすぎぬ)に覆(おお)われ、小さな丸い、粒状の珊瑚(さんご)かルビーの朱赤の
珠(たま)が、腕の外縁に沿って点々と白い細糸に通され、留め付けられていき、
手首の上の辺(あた)りの、繊細な金のモールの間で宝石や真珠の縫い取られる
手前で、喉元(のどもと)と同様、ぐるりと数珠(じゅず)状に連なって終わる。
腰の辺(あた)りで V 字に下がる、直垂(ひたたれ)の裾(すそ)と同じ、
艶(つや)やかな深い青の部分には、ANGEL(天使)、POTENTIA(力)、
というような言葉が、金糸で縫い取られていく。
直垂(ひたたれ)の下からは、腿(もも)は覆(おお)われているが、
膝(ひざ)は出ていて、脛(すね)もそのままの素足が
赤い布靴を履(は)いて、龍を踏みしめる。
赤い靴には、真珠や金の細かな縫い取りや、青い紐(ひも)が見てとれ、
シンプルだが凝った、上靴のような造りとなっている。
それは、ウッチェロの、聖ゲオルギウスと龍の絵で、洞窟の前で
聖人の槍に刺し貫かれた龍の脇に佇(たたず)む、姫君の履(は)く、
龍の滴(したた)る血と同じ色をした、赤い靴に似る。
晩年のウッチェロが、その聖ゲオルギウスと龍を
描いたのは、壮年のピエロ・デラ・フランチェスカが、
このミカエルのいる 祭壇画 を仕上げたのと、ほぼ同じ頃だった。
左下で、踏みつけられた龍の胴から、尻尾が、ゆらりと立ち上がっているが、
頭は、もう切り取られていて、その細長い左耳を、
ミカエルは左の拳(こぶし)に握り込み、ぶら下げて、ぱっくり開いた龍の口の前で、
薄(うっす)らと血糊(ちのり)のついた白い剣を、緩(ゆる)く曲げた右腕に握る。
どんよりと生気なく開かれた龍の半眼が見ている、剣の、青と金の柄に、
細い白の握りの交差する、反った片刃は、古代ローマの グラディウス よりも、
更に古い、古代ギリシャの、内刃の コーピス や、イベリアの ファルカタ を想わせる。
この分断された龍もまた、マルトレルの聖ゲオルギウスの
龍退治の絵の、右下で、迫り来る槍に向かい、咢(あぎと)を開く、
腹の黄色く、背の黒い、顔も胴も長く、蛇のような、龍に似る。
ここでは、龍はもう死んでいて、切断された首は、眼(まなこ)を開いたまま、
血泡巻く喉(のど)の奥から、顎(あご)の先へ、舌先のようなものが垂れ出た、
更にその先の、宙に、時を超え、いまだ一滴の血が、舞い落ち続けている。
龍の首の後ろの、白大理石の露台の壁柱の、正面の長方形を縁取る、
左側の二本の線が陰になり、ちょうど龍の下顎(したあご)の先から、
下がっていくように見える、その二本のうちの右側の線の上を、伝い降りていく、
ピンク色の蛞蝓(なめくじ)のような、一片(ひとひら)の血が、見えるだろうか。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、最大限まで拡大すると、はっきりと見える。
つまり画家が、それを、剣の刃先の、微(かす)かな血飛沫(ちしぶき)や、
切り取られたばかりの首の、切り口の周りに仄(ほの)かに噴(ふ)き廻(めぐ)る
血煙や、踏みしめている龍の、背に鏤(ちりば)められた鱗(うろこ)と同じく、
筆と意志を以(もっ)て、そこに描いたのである。
右下の、金襴(きんらん)の布の掛けられた、切り石の、左下の縁の脇に、
不意に滲(にじ)み出した、小さな血溜(ちだま)りのようなものが、
首の切り取られた胴体の端が、その後ろにあると示すかのごとく。
いまだ柔らかく、滑(ぬめ)るような胴に生えていたはずの
翼も、おそらく、この切石の陰になり、見えない。
ピエロ・デラ・フランチェスカも、この黒死病の時代に、八十歳まで生き、
四十二歳から十五年をかけて、このミカエルの祭壇画を仕上げたとされる。
ここで死んでいる、黒い龍の親戚が、聖ゲオルギウスの槍を受ける直前、
まだ生きているかのような、祭壇画を、壮年のマルトレルがバルセロナで
描いたのは、マルトレルより七歳程年下のウッチェロが、やがて、先の
聖ゲオルギウスと龍を描き、更に年若く、当時、まだ十歳から十五歳だった
ピエロ・デラ・フランチェスカが、この、死んだ龍の胴を踏んまえ、切り落した
その首を持つ、ミカエルの祭壇画を描き終える頃に、四十年程先立つ。
私は、かねてから武人より芸術家や学者が好きでした。
皇帝ネロが、その家庭教師だったセネカを長じてから殺した事や
秀吉が千利休を殺した事等も
その傾向に拍車を掛けていました。
ただ、ヒットラーですら
アウトバーンを造ったり、旧字体を廃止したりしたように
強力な中央集権制によるインフラの整備や教育改革の効用は認めていました。
そして、最近、アレキサンダー大王が
遠征先で見付けた学術的発見を
喜んでアリストテレスに報告したという話を聞き、改めて文化の発展にも積極的に貢献していたのだと思ったものです。
後、中央集権国家が出現してから
民間人による殺人事件が減ったという事実も重要でしょう。
要は、強権的で腐敗した権力が最悪なのだという事なんでしょうね。
それこそが、「黒い龍」という名の「悪」との永い戦いなのではと思います。
後、最近、「色について」という
ヴィトゲンシュタインによる
色の論理を追求した本を読んだ所ですので
ドルトンの色覚異常のお話は興味深かったです。
詰まる所、人間の感じ方や考え方は
脳の状態は勿論、様々な感覚器官の
状態に左右される訳で
問題は、それらをいかに研ぎ澄まし
また、インテグレートするかなのではないかと思っています。
言葉にして初めて、考えがまとまり、予想もしなかった、新たな展開へ飛躍することがあります。
それは、自分自身へを含め、そこに何か伝えるべきことがあり、それを純粋に希求していくと、それに関わる一端が開示され、御縁というのか御蔭というのか、不思議な扉が開いて、新たな風景が見晴るかされるかのようです。
色もそうですが、絵画なども見る人によって、それぞれ異なるものを見ているようです。
退屈な記述を続けてしまいましたが、あれが、この絵を見る時、いつも自分が見ていた、ように思っていた、ものでした。
想い返すと、龍の鱗と、ミカエルの金革の宝石の縫い取りが、似ていることを、追究していませんでした。
龍の方は、野生のモデルに近いのか、ランダムに生えているように見えますが、ミカエルの方は、整然と形も等しく整っています。
これは両者が同じようなものから発していること、その後、堕天使サタンとなり、毒龍の系譜に連なってゆく、その大元の姿に、そうなる以前の名残りが留められていることを、示しているように,、思われて来ました。
つまり、初めから純然たる悪という存在は無く、至高の力を持ったものが、道を誤って、他者を支配したり、傷つけたりしようとした時、悪しきものとなっていく、ということかもしれません。
そうして生まれた悪は、恐ろしい力を及ぼし、弱きものを苦しめるだろうけれども、同じ力を持った、悪しき願いを持たないものによって、打ち負かされるだろうということを。
力と力の戦いであれば互角であり、終わることはないですが、その力の本来の輝きを解き放てるのは、卑しい欲望ではないはずだから、ではないでしょうか。
無念無想というのは、そのような果てしない欲望を断ち切り、消却していくこと、全ての欲望を失くすことができたものにだけ、悟りという形で、真理が、その力が、言葉によって、もたらされるのかもしれません。
その言葉を、そのような心の状態で発することが、力となり、他者を救う助けとなると。
自らと同じ顔をした毒龍が、心の何処かに蠢(うごめ)いているのを、さすらいの騎士の如く、訪ね歩き探し出し、自らを貫く想いで、その痛みに打ち克ち、その息の根を止め、甦らせることなくいつまでも、止め続けていなくてはならない、その戦いを、私たちに代わってしてくれているのかもしれません。
ドルトンが原子量や色覚異常、気象上の大気の循環などについて考えたことは、まだ手探りで、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず、という処が殆どでしたが、それゆえ確かに、正しく有効な方向への数多の途を拓きました。
赤と緑が感知されない、2型の色覚異常の彼が、記した、単なる影の明るい部分に過ぎない、というのと、様々な明るさの黄色でしかない、という言葉は、詩と科学が、真実の言葉で表裏一体となって、色の本質を伝えているものと、深く心に残りました。
注意を凝らして詳細に見れば、そうした違いが確かに在るようだけれども、それ以上は、見えない、から、わからない、という、その謙虚さは、今見えているものが、そこまでしか、見えていない、に過ぎないのだと、全ての人間にとって、常に想い到らねばならぬはずのことではないかと。