「寝屋川 平和と市民自治の会」のブログ

平和に人間らしく生きるために「寝屋川 平和と市民自治の会」が取り組んだこと及び今後の予定を知らせます。

通信「PAN」5月号

2021-06-24 15:27:24 | 市民活動

PAN
Peace & Autonomy in Neyagawa

寝屋川 平和と自治

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新型コロナに感染して (その1)

寝屋川在住Hさん                       

今回は、自分のコロナ感染の事実・その経過について振り返ってみたい。

A病院に隔離入院

3月15日0時を過ぎると、発熱(37.7度、平熱は36度)が続き、咳も止まず、ほとんど寝られなかった。

 毎年、特定健診を受けているA病院へコロナ感染の心配もあるので、電話する。『発熱感冒センター』で診察。「抗原検査」で即「陽性」。濃厚接触者として、妻も呼ばれ、検査。無症状だが、「陽性」の診断。

 3月中旬、大阪では、感染者が少し減少していた。A病院は、たまたま、軽症・中等症の受け入れ病院であり、保健所に指示で、そこへ隔離入院することとなる。妻は「無症状」だとして2日後、大阪市内のホテルへ隔離入院する。

 入院するにあたって寝屋川保健所の職員より、電話にて、1週間ほどの行動、接触者等の調査を受ける。3月12日より、少し咳が出ていたと申告すると『発症日』が3月12日と認知された。

 コロナの感染を告げられ、濃厚接触者と思われる方々への連絡を記録と記憶をたよりに行う。

治療は対症療法 アビガン投与断る

病室は個室で、外出は禁じられ、医師、看護師は防護服での入室である。食事の時も。

 当時の自覚症状としては、咳や咽の痛み、頭痛、夜になると37.5を超える発熱(38.2が最高)、寝ると口内がカラカラに渇く、そして何度も水を飲む。

 医師によれば、治療は”対症療法“で、咳がひどければ『咳止め』を、高熱となれば『解熱剤』を投与するが、毎日、体温、脈拍、血圧、酸素飽和度を測定し、体調観察するとのこと。

 ただ、担当医が求めた『アビガン』の投与については、今だ、未承認で、効果も疑問視され、様々な合併症が言われているので、辞退させて頂いた。入院後すぐに、家族(私の場合、他県にいる二人の息子夫婦)への連絡には、躊躇し

たが、症状が急変することも考えられるとの医師の助言もあり、連絡を取った。3月16日から17日にかけて「濃厚接触者」と思われし方々から「陰性」であった旨の電話やメールが届きほっとする。

 入院して、3日間は、血圧も高く、心配したが、落ち着き、幸いにも、重症化することなく、徐々に快方に向かっている感はあった。読書もできたし、食事も食べ残すことなく、すべて食べられた。

しかし、相変わらず、毎日、37,5度を超える熱が出る。頻度が少なくなったとはいえ、咳が止まらない。

咳と熱があるのに大阪府の基準で退院

担当医は「発症」から10日たてば、軽症者は大阪府の退院基準により、人に対する感染力は無くなっているので、退院になるという。3月22日退院ですと。

 退院の前日の日誌には『今日もやはり、夜37.9度の熱あり、抜け切らない。幸い血圧は落ち着いている様子。しかし、咳が出る頻度が多くなった気がする。明日で退院大丈夫?』とある。

退院後の後遺症

3月22日『退院』の日を迎える。しかし、隔離生活から解放された開放感は半日も経たないうちに落胆に変わっていった。22日の昼の食事から味覚に異常を感じ始めた。食欲は減退し、23日には、コーヒーの味覚も嗅覚もなくなりお茶や水も米飯も水臭く、完全に「コロナ患者」となった。

 酸素飽和度が92~94の低い数値を示すこともあり、不安な日々が続き、体重も4㎏やせた。退院後も37度を超える日も続いたが、28日を最後に平熱に完全に戻ることが出来、酸素飽和度も安定してきた。 

4月に入り、徐々に味覚や嗅覚も戻り始め、4月10日ごろには、ほぼ戻った感じがする。発症から一か月が経過し、現在も時々出る咳と口内の渇きが少し残るが、完全回復まで近づいてきたと思う。

 コロナに感染して、見えてきたこと等々については、次の機会に報告させていただきます。