ウクレレ奏者、ハーブ・オオタ・ジュニアの相方ちひろが綴るハワイの日常。
ジュニマネ日記
ふるさと
アロハ!
皆さん、お元気ですか?
脳溢血で倒れたヒロヨちゃんへの励ましのメールや
たくさんのコメント、どうもありがとうございます。
こちらは、ハワイ島にいるジュニアから昨日届いた写真です。
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ウクレレワークショップ開催中。
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こちらはカリコ・ビーラー・トラップ
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その頃私は、ワイキキヨットクラブへ初めておじゃましました。
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こんな場所にこんなものがあるのね?と、
ビックリしました。
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ケアレがエンターテイメント担当。
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……と、ここまで書いたのは、月曜日でした。
ヨットハーバーからオフィスに戻り、しばらくすると
「すぐ病院に戻って!」と緊急連絡が入りました。
私とPちゃんは何も持たずにオフィスを飛び出しました。
それからトシエちゃんや、マリちゃんや、むっちゃんや、
たくさんのヒロヨちゃんファンが駆けつけました。
「脳内出血の量が4倍になった。あと2時間で脳死する」
と言われてからも、最後まで希望を捨てたくなくて、
みんなで祈り続け、ヒロヨちゃんに声をかけ続けました。
月曜日の夜、ヒロヨちゃんのママ友みっちゃんと
私はふたりで朝までヒロヨちゃんの病室にいました。
一晩中、30分おきにみっちゃんとふたりで
ヒロヨちゃんの胸に手をかざして、
無心に「気」を送りました。
みっちゃん、ありがとう。
朝、7時になると病室の人払いをされるので、
それから私とみっちゃんは病院のカフェテリアへ。
最後のテストをしても、結果は良くならず。
ヒロヨちゃんの脳内出血はどんどん悪化して、
時折握ってくれた手を握らなくなり、
瞳孔が開き、何も反応しなくなりました。
それでもあきらめ切れない私たちは、
「他のドクターにもダブルチェックを!」とお願いしました。
コアロハのママ&パパがお見舞いに来て、
パパはウクレレを弾きながら
「なんでもできる」を歌ってくださいました。
その後、ヒロヨちゃんの大好きなクムフラでもある
ハワイアンミュージシャン、トニー・コンジュゲーションが
ヒロヨちゃんのためにウクレレを弾きながら
「ふるさと」「プアオレナ」などを歌ってくだいました。
そして、2月12日(火)午後12時35分、
ヒロヨちゃんの「脳死」が宣告されました。
「トニーの声がいちばん好き!」と言っていたヒロヨちゃんは
そのトニーの声を聴きながら、「ふるさと」へと旅立ちました。
数え切れないほどのお見舞客がヒロヨちゃんにひと目でも会いたいと
次々病院に来てくださいました。
私のこともご心配くださる方がたくさんいて、
電話メッセージやメールやコメントが後を絶ちません。
私にも、オフィスの皆にも、それが心の支えになっています。
私も涙が枯れるほど泣きましたが、
ヒロヨちゃんは「脳死になったら臓器を寄付します」と
生前書類にサインしていたので、
脳死の直後からバタバタと忙しくなりました。
長男ケンとフィアンセのアンナは月曜日からサンフランシスコへと
予定通り旅立ってしまったので、ヒロヨに最後の挨拶はできず…。
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ジュニア・ファンクラブメンバーの佐々木さんご夫妻も
病院までいらしてくださいました。
今朝はオフィスに着いたら、
ドアノブにヒロヨちゃんへの素敵なレイが届いていました。
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岸和田オハナのとっちぃさんからでした。
ありがとうございました。
トシエちゃんはチューリップの花を持って来てくれたので
ヒロヨちゃんのデスクの横に、祭壇を作りました。
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ヒロヨちゃんに会った人は
みんなヒロヨちゃんが大好きになってしまうほど、
ヒロヨちゃんは本当に良い人でした。
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今日は臓器提供のための手術に入る前のヒロヨに会い、
たくさんお礼を言って、たくさん涙を流しました。
ヒロヨちゃん、ありがとう。
皆さん、ひさびさのジュニマネ日記を読んでくださって
どうもありがとうございました。
ここ数日間私にはブログを書く時間がなかったので
「ものすごく落ち込んでいませんか?」と
ご心配してくださる方々からメールをいただきました。
感謝しています。
オフィスのみんな、深い深い悲しみの中にいますが、
それでもヒロヨちゃんの思い出笑い話をしたり、
励まし合いながらヒロヨちゃんのしていた仕事を分業したりと、
変わらないチームワークと笑顔でがんばっています。
ヒロヨちゃんのお葬式は、
2月19日(火)の、午後4時から、
ヌウアヌ・メモリアルパーク&モーチュアリーで行います。
ヒロヨちゃんの好きだった音楽に溢れた、
素敵なお葬式にしたいなあと思います。
ハワイにいらっしゃる方、どうぞお越しください。
応援クリックもよろしくお願いします。
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アロハ!
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