引退表明から一夜明けて。

2012年12月29日 | 松井秀喜



潔く、プライド高き、引き際に、紳士な姿、目に焼き付ける。



え。うぅん。ん。

言葉を選び勘違いの無いよう、言葉が独り歩きせぬよう淡々と語っていた。

この日が来るのは彼だけではないが、本当にバットを置いたのだと実感した。

いろいろな思い出や怪我との葛藤、応援してくれた多くの方に敬意を表した立派な会見だった。

プロの選手には二つの引退がある。

一つはボロボロになるまでグランドに立ち続け退くこと。

もう一つは自分のスタイルが貫けなくなって退くこと。


松井は後者だろう。

これは長嶋さん、王さんにも値する辞め方だ。

どっちが良いかは自分で決めればよいことでどちらの辞め方でもいい。

ただ俺は松井という選手は丁度良い引き際だったと思う。

彼が日米の一流チームに在籍しそれらのチームは常に注目を浴びスターが居る。(居た)

その中で彼も第一線にいたからだ。伝統ある2チームで在籍して活躍出来た彼のプライドは先輩方への敬意にも感じた。

あのユニフォームに袖を通しボロボロになった選手がフィールドに居ても格好が悪い。

一流は一流のまま静かに去るのが格好良い。

夢を与えるスターはどんな時も格好良くならないといけないのが俺の持論だ。


球界から各界から彼への賛辞が寄せられていた。

その中でも二人のボス。長嶋茂雄氏とジョートーリ氏の言葉が印象的だった。

長嶋氏は、「現代で最高のホームランバッターだった」と言った。他にも偉大なホームランアーティストが居たのに

何故彼なのか?

それはまるで自分の子供に教えるようにマンツーマンでやっていた練習。それが松井の一番の野球人生の思い出にもなった。

自分で引き当て育てた子供が成長し放物線を描くより弾丸でスタンドに吸い込まれるかれの当りにミスターはきっと自分の教えに

即したアーティストになったと確信したに違いない。

またトーリ氏は「彼の監督だったことを誇りに思う」とまで言わせた。

マスコミを日米から引き連れても結果が出ない試合でも彼は渋い顔すらしない。

「利己を考えず常にチームのために」という言葉も印象的だった。

人間はどうしても利己的に自分さえ良ければと思ってしまうことがある。

経営の神様、稲盛氏も「利他の精神」を常日頃口にされている。

成功者だからそんなことが言える!?そう思いがちだが、大きな仕事や、大金とかでなく

小さいこと、日常の事に利他はあるのだと俺は思っている。


人は一人では生きていけない、生きているのではなく生かされている。


彼はそのことをあの若さで身体に沁みこんでいる。

歳は関係ないが、今こそ彼のようにリーダーとして上に立つ方、引っ張る方は

利己よりも利他の精神で臨んで欲しい。

人は死んでも生きざまは、後世に語り継がれる。

語れるなら良い話を語り継がれることがいいだろう。

丁度年の瀬。

新年に向けて格好良い人間がたくさん現れて欲しいものだ。

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ありがとう、秀さん!!

2012年12月28日 | 松井秀喜



辛いなー、悲しいなー、もう見れないのかー、楽しみがなくなった・・・・・・

なんて嘆くのは松井秀喜という男に対して失礼だ。と思った。


我が家はみんなG党だった。

多摩川のおでん屋「小池商店」で、おでんに焼きそば。練習終わりによく食べたな。

あの頃、巨人の選手も良く来ていた。大きい身体でちょっと一服という感じ。

でも最後に会ったのは宮本和と斎藤だったと記憶している。

それ以降の選手は川崎へと行った。

松井は星稜高校として怪物と言われたが、巨人と言うのは「巨人顔」って言うのがあった。

顔で野球はやらないが、それは定岡、原、辺りだろう。阪神ファンだった彼に興味を抱いたのは

長嶋さんが監督として帰ってきた頃。甲子園で活躍してもプロではどうか?

でも長嶋さんは見事に松井という逸材を見抜き、ドラフトで引き当てた親指を立てる表情が今でも鮮明に覚えている。

松井?ジャイアンツ顔でもないしなーー。

でも見事にそんなことは払拭するドエライ男が巨人の顔になったのだ。

バッターズヘブンの東京ドームの大きさは彼には全く関係なかった。

海へ渡った活躍はもう言うまでもないが、一つだけ言いたいのは

彼の不動心は、敵も味方も関係なくチームからファンから本当に愛された男だったということだ。

古巣、ヤンキースタジアムで松井コールが起きた時、鳥肌が立った。

WS MVPは興奮して熱狂してファンとして歓喜した。怪我の時は、ただただ心配し「早く復活してくれ」と祈るばかりだった。

戻るまでの1日1日がとても長く感じたのは俺だけではないはずだ。

アナハイム、オークランド、タンパベイに行っても「俺が松井ファンである」ということに変わりなかった。

年々試合に出られずベンチウォーマーとなり歳も重ね、怪我の状態は良くなる気配がないこの3年間。

この日が来るのは覚悟が出来ていた。

年間半分も出られない、ましてそれが代打要員としたら彼の野球哲学書に現役続行は記載されていない。

ミスターと同じ歳での引退でいいじゃないか。

彼はたくさんの夢と希望と感動とブレない精神力を与えてくれたではないか!!

彼の第二の人生をどうか野球ファンは応援して頂きたい。

堂々と胸を張って帰国してきて下さい。




あなたに会えてよかった。

あなたのプレーを見られて良かった。

あなたの野球に対する姿勢が大好きだった。

あなたの野球以外の考え方が大好きだった。

あなたは多くのファンやチームメイトに愛された人だった。


そして俺は何よりあなたのプレーしている顔、笑顔が大好きだった。


私は多分生きている間、ずっとあなたのファンでいます!!

38歳、これからだよ!!

松井秀喜の野球人生に悔いなし、松井秀喜のファンとして悔いなし。

ありがとう秀さん!!

野球界で55番がとっても似合う最高の選手だった。

いつかまた何処かでお会いしましょう!!

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松井秀喜引退か!?の報道が・・・

2012年12月27日 | 松井秀喜
ついにこのような報道が。

ただ、まだ正式ではない。

2003年から海を超えたゴジラはロジャースセンターでロイハラディからレフト前に

放ったメジャー最初のヒットに心の中でガッツポーズをした。

星稜から巨人と王道の道を歩み成績を残した怪物はメジャーでもクラッチヒッターとして

「ここぞ」という時に常にファンの期待応えてくれた。

2003年リーグチャンピオンシップでのホームでのジャンプ。

アーロンブーンがウェイクフィルードの初球をレフトスタンドに叩き込んでリーグVを

手にした。

2004年、日本凱旋。レフトスタンドに陣取った俺は、改めて巨人時代より二回り位

大きくなった身体。特に太ももが凄く、2番バッターとして2ベースを放ってくれた。

雨の日だった。試合には負けたがあれだけの歓声に当時のトーリ監督やジーターも松井人気に

松井が母国に愛されている選手だと実感しただろう。

2005年の大怪我から両膝に爆弾を抱えた彼はいつヤンキースから戦力外になってもおかしくない状態だった。

しかし彼を解雇しないヤンキースに愛ではなく(厳しいチームなのに)松井の復活に期待を込めたのだろう。

2009年にその時は来た。世界一、そしてMVPと。かつてない偉業を成し遂げた。

しかし、その後はアナハイム、オークランドでも安定した活躍は出来ず、レイズでは2本のホームランで

「まだやれる」と思ったのも束の間だった。

まだ決まったわけではないが、星稜高校で5打席敬遠など甲子園でもみたことがない怪物対策から早、20年が経過した。

師匠でもあるスーパースター長嶋さんも38歳で引退した。

満身創痍の身体にオファーがなければ、例年の帰国の途にも着かずニューヨークの自宅の整理も入ったという噂。

いつもミニキャンプをする日本の地での場所は抑えていないと言う。

今季のイバニェスのように(打の松井として)期待しても良いが、彼の野球哲学にそれはないと思う。

フィールドで活躍してこそ野球人。

多くのスーパースターがいる中でも松井秀喜は俺にとってちょっと別次元の野球観を教えてくれた。

まだ彼のユニフォーム姿を見たいのは当然だが厳しく言えば、活躍できる場が無ければ彼自身が

一番苦しい思いをする。

そんな彼を見るのなら、本当に言いたくないが「お疲れ様」と言うしかない。

松井秀喜。

この名前をTVや新聞、インターネットで見られなれば松井ファンとしは寂しい。
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「とにかく野球が好きなんです」ただその言葉に尽きる。

2012年07月26日 | 松井秀喜



この本をもう一度読み返した。

まあタイトル通り「ブレない気持ちが、パワーに変わる」


松井が戦力外になった理由はただ一つ「結果が出なかった」それだけだ。


俺は再三ブログでも野球好きの人と語る時にプロならスーパースターなら「心・技・体」の技。技術だと思っている。

心は大切だが自分でコントロール出来ないものがある。他人の指示で従う時もある。体力はいつか限界が来る。誰しもだ。

その二つ彼は今まで幾度も克服してきた。浪人からマイナースタート、左手首骨折、両膝手術。

でも復帰したヤンキースタジアムの歓喜、相手チームからのリスペクトも味わった。

それは技術でカバーしたと思っている。

よく外角の球を無理してセカンドゴロ、ヘッドアップしたポップフライ、カウントによってだがホームベース辺りで落ちる変化球に空を切る。

これを続けていたら打率は2割にも達しない。

素人の俺が言うのも失礼だが、彼を応援したいのは、逆境から這い上がる術をメジャーで学び、後世に

野球少年に伝えて行って欲しいからだ。伝えられる経験をしているからだ。そして散々ファン、チームメイト、球団関係者、恩人そして家族に支えられた

この男がそう易々とユニフォームを脱いではならない。「技術を磨く、とにかく技術を磨く、光り輝く程磨く」ただバットを振るだけではない。

彼の「心の構え」が「パワーに変わる」それを猛烈にアピールして欲しい!!

頼むぜ秀さん!!後ろは振り向いている暇はない。野球が好き、それだけで答えはきっと見つかるはずだ!!
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松井秀喜不振にこう思う。

2012年07月23日 | 松井秀喜


メジャーの嫌いな張本氏が松井の打法は基本安定していない。フォームが。と言っていた。

ワン(王)ちゃんを見てみなさい。いつも同じフォームでしょ?と言っていたことを思い出した。

ただ本人は王さんは「バッター(私も)はいつも試行錯誤です。打った時の喜びはそれで終わり。ベンチに戻ればすぐ次の対策を練る」

と言っていた。

長嶋さんもネクストに居る時「ワンちゃんのユニフォームのシワの状況で打てる、打てない」が分かるというまさに天才語録に凄さを感じた。

ただ今の松井はマスコミには「不動心」として焦っていない、凡退でもいいバッティングは出来ている。と前向きに発言していても結果が出ない。

結果が出なければダメなのは本人が痛いほど理解しているはずだ。

ベンチにいる表情、凡退の表情は、太陽の下を歩き続けていた男の顔ではない。

それは年齢や満身創痍を肉体もあるが、アナハイム、アスレティックスの起用のされ方は彼のリズムを大いに狂わせた。ゲレンからメルビンに変わった時

松井いいぞ!!と思った瞬間、「これを松井も望んでいた」と思った。

年が明けて浪人2カ月。孤独な一人練習は経験のない苦労な日々だった。

かつての師匠や最高のメイト達そして何よりもファンの励ましだけが支えだっただろ。

そして今やアリーグ東地区を脅かすTBへ決まった。いきなりの挨拶代わりの1発、2発にタンパの追い風が吹いた。

しかし低迷は一気に襲ってきた。

ヤンキース時代からタンパにファンも多い、マットン監督が使ってくれる「期待に応えたい、俺はこんなものじゃない」

という決定的な焦りだと思っている。「打たなきゃ、結果出さなきゃ」が素人から見て悪球に手を出している。

そして怪我人が帰ってきた時の居場所の心配もあるに違いない。

佳境に入りヤンキース以外はなんとかワイルドカードへ出なくてはならない。

もう一度原点に戻り、しっかり壁を作って「へそ」辺りまでボールを呼び込み、下からでなく上から叩くイメージを是非甦えさせて欲しい。

あの5/31に打った一発の完璧なフォーム。あれですよ!!秀さん。

ファン良しにつけ悪しきにつけ言うが、あれが出来れば問題ない!!

期待してる選手として人間性として秀さんに力、勇気、感動を貰った人達は多いんです。

俺は松井が今はスランプ、でも8月には必ずトレード(7/31期限)に関係ない、彼の火を噴くバッティングを大いに期待している。

35番なれた「5」師匠の「3」は俺の大好きな数字です。





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私は松井秀喜はこういう男だと思って見ている。

2012年06月06日 | 松井秀喜
私は、松井という男に関して勝手に多くを語ってきた。

自分も野球をしていた時期があった。

好きな選手?たくさんいる。多すぎてここに書ききれない。

なんだかんだ家に居ても野球は見るし、飲んでいても野球の話は大抵出る。

しかし、他の選手にあまり触れることはない。

松井に触れる理由は何だろう?いろんな本やネットから新聞から読んでも結局自分の言葉にしてみた。

無論彼のプレーを見たいしそのプレーの良し悪しにも呟くことも多々ある。

星稜で5打席連続敬遠は高校球児の晴れの舞台でどう思ったのか?

昔はバットを叩きつけたこともあった。ガッツポーズも出た。王さんやメジャーの選手は相手に失礼だとして(敬意も含めて)やらない選手は多い。

かつてヤンキースタジアムの子供は55番のシャツを来ている子供にシャイな子供が多いという。

派手な選手のシャツは着づらいのか?松井のようなしたたかさ、寡黙さ、でも「勝負強さ」を子供達はしっていたのだうか?

巨人時代には生涯巨人を貫けば歴史に名を残す55番が永久欠番になっていたかもしれない。

ただ彼は海を渡った。いきなり2003年に大活躍をしたものの左手骨折から両膝の爆弾とも付き合い続けている。

ベンチを暖めるなんて彼の野球人生になかっただろう。彼自身「歳もある」と言っていた。

でも気持ちがユニフォームを脱ぐ決意を許さなかった。

待ち続け、練習をし続け、心折れず「ただ野球がしたい」その心(気持ち)は誰のためなのか?何のためなのか?

最近、自分自身よりそれを超越しているかのように見える。

節目のメジャー10年は「ファンのために限界まで戦ってやる!!」と背中が言っている気がするんだ。

それを使ってくれるマットン監督に感謝しつつも、古巣にも行っても$紙幣は飛ばず拍手喝采だけがスタジアムに鳴り響く。

大活躍とクラッチヒッターとして2009年世界一に導いたPSのAVG.618はニューヨーカーも賛辞を送る。

それは彼のプレーの凄さ以上に「人柄」なのだろう。人柄でお金は稼げない。でもチームの輪の中や多くの友人が出来、恩師から人生を学び、リスペクト

されることはないだろう。  そういう選手は他に居るだろうか?ジーター?真っ先に彼しか浮かばない。でも彼は生え抜きだ。

ジータークラスならどこへ行っても人気者。でもニューヨークがそんな簡単に手放すわけがない世界まで彼は確立してしまった。

怪我人が戻ってこようが、彼が寡黙に、孤独に、這い上がってきたメジャーの世界に華咲かせる力はまだまだある。

野球というスポーツを通して彼の所作、言動ここに注目しているのだ。

これからも檜舞台ではスーパープレーを。

でもそのプレーを支えているのは彼が培った人柄がいずれユニフォームを脱ぐ時期が来ても生涯変わることない次の世代のプレーヤーに継承できる。

松井2世が出てくるのか?出てくればもっともっと野球はメジャーリーグに限らず最高のスポーツだと思っている。

こんなに楽しく、感動するスポーツと選手に出会て嬉しい。

俺への叱咤激励も込めて。

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松井君2号2ランの特大アーチ

2012年06月02日 | 松井秀喜


松井の第一打席。

ほぼ真ん中を見逃さなかった。特大だったね。

守備についてのルーティンがいい。マドン監督良く使ってくれています。

というより出来るから仕事を与える。さすがに彼の下でプレーをしたい選手が多いというのは頷ける。

万年最下位は昔の話。個々の選手が本当に成長しつつ出て行った選手は逆にパッとしない。クロフォード、カズミアなんかそういう感じだ。

デルモンヤングもレイズにいたほうが活き活きしていたように見えた。

まあ勝負、契約の世界だが移籍をマイナスに考えないメジャー選手で耐えて待ち続けた松井も今までは人事だったように思えたが

彼もこのよくあるメジャーの良い経験をしている。

日本人だけで考えると、野茂、斎藤隆は新天地でも実力は出せたが野手はどうだろう?

松井が今そこに居る。

2打席目の定位置ならセンター前、3打席目はモーニングトラックで飛んだ強い左への当り。

益々彼から目が離せない。

ようやくMLBが面白くなってきた。

ダル一色のメジャー開幕から2カ月。「本物」が目を覚ました。

今後にも大いに期待、お客様の多くのご観戦もお待ち致しております。
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35番復活の特大アーチ!!

2012年05月30日 | 松井秀喜

松井君やっちゃいましたね!!

外に構えたボールが、ほぼど真ん中に入った球は一瞬にしてライトスタンド上段に吸い込まれた。

とにかくヘッドスピードも速く、完璧なホームランとはこのことか!?と思うぐらいの当りだった。

トロピカーナフィールドの人工芝だけが気にはなっていたが、ホームの試合はざっと半分だし、それより暑さ、雨での待機を

考えたら長いシーズン慣れたキャンプ地のタンパは悪くない。

2カ月遅れは感じさせない調整だった。

それより良く地道に練習してきたのが上ですぐ実になるのは異例と言えよう。DLで上がってきたのとは訳が違う。

良く言う「野球をしたい」という不動な心はプレていなかった。

レイズは若いチームと良く言われるが、育てるべき選手は30球団どこにもいる。ただベテランがどうチームを変えるか?

また監督の起用によってその仲間同士の歯車を合わせるのマドン監督に任せよう。

優秀監督を獲ったことのあるソーシア、メルビンでのそれは、ほぼ遠かった(ゲレンは問題外)

ダルビッシュが注目される2012年。イチローは淡々と変わらない年。

ちょっと俺にとってはしらけムードだったがこの日にまた松井の試合が見えて雄姿を見れる機会が増えそうだ。

長嶋さんの「3」本人の慣れ親しんだ「5」で「35」空いていた番号とは言え悪くないバックナンバーだ。

熾烈を極めるア・リーグ東地区でも良い位置に居る。

ただ故障者が帰ってきたらウカウカはしてられせない。

そんなことは百も承知だろうが、とにんく松井が帰ってきたことは嬉しいことだ。

素晴らしいホームランで眠っていた男を起こしてしまったことは間違えないだろう。

行け!!35番!!
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まだマイナー、その先へ。

2012年05月01日 | 松井秀喜
ようこそタンパへ!!

キャンプ地で土地勘も有り、気候も良く、他球団に比べれば追い風だろう。

しかし、マイナー契約に松井ファンが納得するわけもなく、本人も。

2002年「死ぬ気でやる」と言った記者会見。翌年ハラディからレフト前に初ヒット。

解説は恩師、長嶋さんだった。同年、WSに進出もベケットにやられた。

2004年、日本に凱旋帰国。俺はレフトスタンド最前列でじっと彼を見ていた。

その相手が当時のデビルレイズ。ジオンビーのHR、松井の2ベースもあったがムースがピリッとせず試合には敗れた。

怪我、怪我そして克服し2009年はワールドシリーズMVPに輝いたのは記憶に新しい。

その後は毎回苦戦していた。

でも、メジャーの監督、選手からは彼の能力、性格を常に賞賛してくれていた。

ホームランバッターからクラッチヒッターとして新天地での活躍を5月中に必ず見せて頂きたい。


「彼のプレースタイル、姿勢が好き」という名将で俺には、なんかイタリアの映画監督のようなマットン監督をWSに是非連れて行って欲しい。

頼むぞ松井!!栄冠は君に輝くさ。

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ジーターの言葉に泣いてしまった、55番よ絶対に羽ばたいてくれ!!

2012年04月24日 | 松井秀喜
最近、言葉を読んで泣いたことなんてなかった。

松井はこれから。マイナー契約であれなんであれ上に行くこと、そして活躍することが何よりもプロの仕事場だ。

破格の契約で活躍していない(出来ない)選手がいる。上への重圧は容易ではない。



本人もそして何よりもファンが「ヤキモキ」していたがホッとしているはず。

タンパは暖かいしドームと言ってもそれはホームゲームで今年38歳の彼には良いと思う。

若いチームを引っ張るのは5月中頃からで充分だ。ゲームを知り、大舞台を知り、とにかく「不動心」で相手を叩き、でもリスペクトして。

シェフィールドや敵の監督、絶好調のワシントン監督、かつての恩師トーリ氏からも松井の移籍先が見つからないことに疑問を感じていた。

シーズンが始まり、他人より自分、チームのチャンピオンリングのゲットの為に戦いはスタートしている。

そのなかでもかつての同僚、最高の友人、ニューヨークの貴公子こと、ジーターが松井に仕事与えられぬのはMLBの恥

と言わせた。

彼だから知ってる、彼なら出来る、彼は皆から愛されている、ここぞという時にやってくれる。

ジーターはそんなことを知っているからこんなに泣ける言葉が言えるに違いない。

これからの活躍と特にジーターの前で活躍するのも恩返しだろう。

この言葉。

俺以上に松井君は感動しているに違いない。

そしてファンはこれからの55番の活躍に感動を期待したいものだ!!

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