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随分前に出版されたが「えんぴつで奥の細道」という本がベストセラーになっている。芭蕉の素晴らしい俳句にえんぴつで美しい字を写しなぞっていく。今後は万葉集や徒然草も出版予定と聞いた。最近は殆どがPCや携帯メールとえんぴつやペンを持つ人が少なくなったのではないだろうか?簡単な漢字が出て来ない、書けない、諺、四字熟語に至ってはまず思い出せない。そんな俺は日報、お世話になった方への礼状は今でも手書きにしている。またこのブログとは違い小さなメモ帳(ネタ帳)で何か興味、感心、ひらめきがあればその場で書いてしまう。「文字」というのはその人の性格を映し出す。文字から荒々しさ、几帳面さ、今日は落ち着いているとか、右上がり(下がり)左上がり(下がり)で何か性格が読み取れてしまう気がする。字は綺麗だけれど語彙力がなく乏しい文章や同じ接続詞や語句の反復で読みにくく相手に何を伝えたいのか意味不明なものがある。これはまさに現代病の一つと思われる。TVでもクイズ漢字王とかネプリーグがゴールデンに来る意味も頷ける。脳トレが流行り大人が車内で旅先でやっている光景はいかがなものなのか?便利なものが不便になったり忘れ去られてしまうことは別段、日本語の漢字や文章能力だけではないし俺も人のことは言えないが、人生の先輩から筆書きの達筆のお手紙を頂戴すると背筋がピンとしてしまう。「パソコンも使えない無能な上司」とあるOLが飛んだ発言をしていたが昔の偉大な文豪や映画監督、脚本家はひらめきと訂正はすぐにペンを使うし、そんな時代にPCなんか存在しない。(タイプライター)はあっただろうが)学校で習った、習わないでなくこういうのは自身で決定し、やるかやらないかは本人次第である。ただ薄れ行く日本語離れはどんどんとしかも加速度的に進んで行っているような気がする。
先日、母がこの本を買って来てました。
そして嬉しそうに「書き方用鉛筆」まで。
懐かしい~。
字を書くよりPCで打った方が早いし綺麗だし。
ポンと変換を押せば幾つもの漢字が出てきて選択。
「読めるんだけど書けない」現象の原動力になっています(笑)
スピードを求められパソコンに埋もれている毎日の中で、書く事を忘れつつありますが、それでも直筆の手紙等に感動するのは、機械の手を通さない温かみが今の世の中に足りないのかもしれませんね。