今年5月に鬼籍に入られた吉田ルイ子さんは留学生として60年代後半のNY.ハーレムに住み黒人(呼び名は彼女に著書に基づく)の生活を写真に撮ったり体験談を「ハーレムの熱い日々」という本にまとめ一躍、時代の寵児となった方だ。
当時のハーレムという場所はアメリカ人でも足を踏み入れたがらず、まして日本ではブラック・ボックス化していた場所だと思う。
そんな彼女は女性写真家としてもジャーナリストとしても先陣を切った方だろう。
その後もメディアで活躍されていた。
著書を読むと、この頃はニガーという言葉がアメリカ人の中で使われていたり、そのうちキング牧師やマルコムXが出て来て「ブラック・イズ・ビューティフル」という言葉が出現し公民権運動が盛り上がってくる様子が書かれている。
自分は小学生か中学生だったが、兄のお下がりの週間プレイボーイでメキシコオリンピック表彰台で黒いグローブをはめて右拳を掲げる写真を見たのを今でも覚えている。
この時代、ビートルズから始まったロックミュージックもジミヘンが登場したりフラワームーブメントという動きと連動して大きく変化していく。
そんな時代の熱波は田舎の丸刈り中学生だった自分にも及び、今でも身体の奥に残っている。
そんな吉田ルイ子さんの写真展は晩年に撮られていた愛猫の写真と昔のハーレムの写真とが展示してあったが、すべてモノクロの作品たちは貴重な場面のショットというだけでなく、トーンのコントラストと切り取られたアングルもアーティスティックで被写体に迫る距離感はエルスケンを彷彿させる。
さて、張り切って会場の立川のギャラリー「Artistic Studio LaLaLa」へ出かけてルイ子さんと旧くからの友人である写真展主催者に挨拶すると「吉田ルイ子は西村ヒロさんのライブに二度伺っています」と言われた。
ガーン!まったく覚えていない自分。
来られていたのなら紹介されている筈だが......昔のずいぶんとトンガッていた頃だろうか?失礼をしたのではないか?と考えてしまった。
気持ちを切り替えてハーレムの写真を眺めると、その時代の空気というか熱気が蘇り演奏本番ではずいぶんと喋ってハーモニカをブロウし途中でクラリネット奏者:橋爪恵一氏の独奏とOn the sunny side of the streetのバス・ハーモニカとのデュオを 挟んでもらった。
終演後はプロジェクターでの写真投影に合わせてSam CookのYou send me から始まりMarvin Gaye など時代にピッタリとリンクしたBGM。思わず胸がキュンとしてしまった。
追記
東京都あきる野市で地中海料理店メルダを営む主人に昔話を聞く機会があったが、若い頃世界各地を渡り歩いていて60年代後半の画家時代はニューヨークに滞在しウッドストック・コンサートのステージ作りをしたり(ステージ横でアホそうな長髪上半身裸の男性が革命と書いた布を掲げている写真が掲載されている雑誌を見せていただいた)、武闘政治組織ブラックパンサーのサブリーダーの彼女と付き合っていた縁でサブリーダー本人と親密になり格闘技を教えたりしていたという話を聞いていたが、ブラックパンサーの構成員全員が空手着を着て稽古している写真がプロジェクターで映された時には笑ってしまった。
写真:えるぱいん