「民主主義は最悪の政治形態であるらしい、これまでに試された全ての形態を別にすればだが」「悲観論者はチャンスの中に困難を見、楽観論者は困難の中にチャンスを見出す」…ウィンストン・チャーチルには名言が多い。
彼は競馬が大好きだった。自ら競走馬を所有し、あまりにも有名な言葉を残した。「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相となるよりも難しい」
しかしダービー馬のオーナーに複数回なった人は結構いる。古くはインドの王族の出で、インド・イスラム界のリーダーだったアガ・カーン三世、アリ・カーン親子や、近年のアラブ首長国連邦のオイルダラーを手にしたオーナーたちが、世界的な超良血馬を買い漁り、各国のダービーを何度も制覇している。
アガ・カーン三世は、三冠馬バーラムを筆頭に、五頭のイギリスダービー馬のオーナーとなった。チャーチルは悔しかったに違いない。
日本ではタニノハローモア、タニノムーティエの谷水信夫氏のカントリー牧場と、その後を継いだ谷水雄三氏がタニノギムレットで制覇している。(※)
焼き肉レストランのモランボンやパチンコ店を経営していた全演植氏が、サクラショウリとサクラチヨノオーで二度制覇した。また「ミスター大盤振る舞い」関口房朗氏が、日本ダービーをフサイチコンコルドで勝ち、アメリカのケンタッキーダービーをフサイチペガサスで勝ったのも記憶に新しい。さらにコンピューターソフト会社を経営するIT長者・金子真人氏が、一昨年のキングカメハメハ、昨年のディープインパクトと、二年連続でダービーを制覇している。
関口氏と金子氏は、豊富な資金量にモノを言わせて、内外の超良血馬を購入している。関口氏は一頭で四億九千万円という国内のセリの新記録を作り、アメリカでも九億円の馬を筆頭に、高額の馬を買い漁っている。彼や金子氏の血統を重視した高額馬の購入は、一昔前の馬主たちとは随分異なるようである。
チャーチルが所有していた馬にヴィエナという馬がいた。決して悪い馬ではなかったが、一流馬でもなかった。ヴィエナの父はオリオールと云った。競走成績も種牡馬としても超一流馬で、エリザベス女王の所有馬だった。オリオールの父はハイペリオンという競馬史に燦然と輝く超一流馬である。ハイペリオンの所有者はダービー卿であった。彼は無論、三百年前に英ダービーを創設したダービー卿の嫡流である。
さてチャーチルの馬ヴィエナは日本に来た。底力のある晩成型のステイヤーだったが、成功しなかった。彼は欧州に残っていれば数多くの名馬を出した可能性が高い。彼が欧州に残してきた産駒から、名馬ヴェイグリノーブルが出た。
ヴェイグリノーブルはイギリスダービー馬エンペリー、世界的名牝ダーリア、大レースを勝ちまくったエクセラー、ノビリアリー等、数多の名馬を輩出した。
ハイペリオン、オリオール、ヴィエナ、ヴェイグリノーブルは、底力とスタミナと根性を伝えるクラシック血統なのである。この手のタイプは日本の競馬に合わず、ほとんど成功しないか、その父系が続かない。
オリオールの産駒セントクレスピンは一流馬で、四白流星の貴公子タイテイムと天才馬エリモジョージ(福永洋一が騎乗した時だけ天才馬の能力を発揮した)、名牝アイノクレスピン等の一流馬を出した。しかしタイテイムとエリモジョージが種牡馬になっても、日本の生産界は流行・最新の舶来種牡馬にしか興味を抱かなかった。そして新馬の短距離戦から金を稼ぐ、軽いスピードのマイラータイプを好んだのである。晩成型のステイヤーで、一頭の超大物と九十九頭の屑馬を出す傾向がある底力・クラシック血統は、日本の多くの馬主たちにとって不経済だったのだ。
ちなみにオリオールの仔オーロイから、伝説のカブトシローが生まれた。オーロイもエリザベス女王の所有馬だった。カブトシローとその仔ゴールドイーグルの晩年は、既に書いた通りである。またハイペリオン系のロックフェラの仔チャイナロックは日本に来て、タケシバオー、メジロタイヨウ、アカネテンリュウ、ハイセイコーを輩出した。
タケシバオーはハツシバオー(大井競馬の馬だったが本当に強かった)という怪物二世を出したが、そこから続かなかった。ハイセイコーはダービー馬カツラノハイセイコや皐月賞馬ハクタイセイを出したが、カツラノハイセイコやハクタイセイは種牡馬として恵まれず、その後が続かなかった。時代はノーザンダンサー系、そしてトニービン、サンデーサイレンス、さらに規制緩和によって超一流血統で高額の外国産馬の輸入全盛期に入ったからである。
話をチャーチルの名言に戻す。彼はダービー馬のオーナーになれなかったが、アガ・カーン三世が如何に金を積もうとも、決してイギリスの宰相にはなれなかったと思うべきだろう。
(この一文は2006年7月9日に書かれたものです。)
(※)2007年、タニノギムレットの娘ウォッカがダービーを制覇した。牝馬によるダービー優勝は六十四年ぶりの快挙である。カントリー牧場先代の谷水信夫氏から当代の雄三氏まで、四頭目のダービー馬である。
そして、カントリー牧場はすでにない。