原子力は、安全だという人が実施すると危険ですが、危険だという人がやると、かろうじて安全だということです。
彼はこうも言った。
今、原子力には秘密が多すぎる。日本では秘密のない線で行かなくてはダメだ。
彼は湯川秀樹、坂田昌一の共同研究者として、原子核、素粒子論を研究した。哲学者の久野収や中井正一らと共に反ファシズムの雑誌「世界文化」に参加し、二度投獄された。
戦時中は理化学研究所で原子爆弾の開発に携わり、戦後、鶴見俊輔らと「思想の科学」を創刊した。
原子力安全問題研究会を立ち上げ、その後に原子力資料情報局の代表を務めて、日本の原子力平和利用の三原則「民主・自主・公開」を主張したのである。
「新しい技術、経験のないスケールアップなど、衆知を集めて慎重な計画の下に一歩一歩実施すべきものであり、あわてたり、反対を封じたりして実施すると、必ずひどいことになるのです。」
とも言った。