「益城(ましき)」の地名が飛び込んできた。熊本大地震の最初の震源地である。
以前「掌説うためいろ」の一編として「望郷子守歌」書いた。その中で高倉健主演の東映任侠映画の主題歌「望郷子守歌」と、高群逸枝(たかむれ いつえ)の「望郷子守歌」を紹介した。
オロロンオロロン オロロンバイ
ねんねんねんねん ねんねんばい
おどまおっ母さんが あの山おらす
おらすと思えば行こごたる
高倉健の「望郷子守歌」は宮崎耿平(こうへい)の「島原の子守唄」と「五木の子守唄」の本歌取りであろう。その宮崎耿平の「島原の子守唄」は、「五木の子守唄」と山梨の「縁故節」の本歌取りであろう。
高群逸枝(たかむれ いつえ)の「望郷子守歌」の詩はこうであった。
おどま帰ろ帰ろ 熊本に帰ろ
恥も外聞もち忘れて
おどんが帰ったちゅて誰がきてくりゅか
益城木原山風ばかり
風でござらぬ汽車でござる
汽車なるなよ思い出す
おどま汽車よか山みてくらそ
山にゃ木もある花もある
高群逸枝の「望郷子守歌」は、東京暮らしで遠くなった故郷を想い、胸が張り裂けるような恋しさと切なさを詩った。逸枝の「望郷子守歌」は、幼い頃から耳に馴染んだ「五木の子守唄」の本歌取りであろう。
高群逸枝は1894年(明治27年)に熊本県の下益城郡豊川村(現宇城市)に、教育者の長女として生まれた。若き天才は詩や短歌でその名を知られ、上京し平塚らいてう等と無産婦人芸術連盟をつくり婦人運動の魁となった。婦人誌に執筆し活躍した。婦人運動から女性史の研究に入り、やがて民俗学と女性史の巨人となった。
その「益城」の大地が激しく揺れ、最初の震源地となった。布田川・日奈久断層帯がずれ動いたためという。それらの活断層帯に沿って震源域は広がり、大分の活断層も動いた。それらはさらに広がりつつある。阿蘇山も小噴火を起こした。
大地がかなりの頻度で大きく揺れ続ける。それは不安であろう。被災者には手厚い対策を施し助けてやってほしい。そして一日も早く鎮まってほしい。