佐久市巨石探訪のラストは、佐久の開拓神“興波岐命(おぎはぎのみこと)”を祀り、映画「君の名は。」で登場する神社のモデルと噂になった一社の紹介です。
境内はかなり広大で国指定重文の三重塔を始め見どころ満載の神社です。
我々は、車で参拝しましたが大鳥居は拝殿よりずっと手前になります。
ここは、参拝順路に習い大鳥居からご紹介して参ります。
大鳥居 木製の両部鳥居です。特徴的な掛け方の注連縄に圧倒されます。この独特の掛け方は初めて見ました。車はこちらから上がれます。
稚児柱の造りもちょっと変わっています。
参道 杉の木立を抜けていきます。車はここで左側へ抜けると駐車場です。
杉の木立がまさしく神門のごとくより深い神域へと誘う雰囲気を漂わせています。
狛犬一対 前足が可愛らしくなかなか威厳のある狛犬です。
拝殿
東本社(国指定重文) 祭祀:興波岐命(オキハギノミコト)
興波岐命(おきはぎのみこと)出雲の大国主大神の孫神で、佐久の開拓神です。興波岐命の父神は諏訪の建御名方命で、母神は上野貫前女神(荒船大明神)
荒船山に降り立った女神の一人がここに祀られていました!なかなか興味深いです。
(右)中本社 (左)西本社
祭祀:
中本社 建御名方命
西本社 事代主命、誉田別命
由緒:
🔳創立建御名方命の御子興波岐命は新開(ニイサクノ)神・大県神・八県宿禰(ヤノアガタスクネ)神とも称され、田口に本拠を構えて千曲川等の河川の氾濫原や平地を開拓した集団の長であり、佐久地方開拓の祖神として古墳時代にこの地に祀られました。八県宿禰神は貞観十年(868)正五位下を授けられています。🔳佐久郡三庄三十六郷の総社建御名方命と事代主命は国土経営に大功をたてられ、興波岐命の御父神、御伯父神であらせられるので、ともに斎祀して新海三社神社と称するに至りました。佐久郡の人々は興波岐命の神恩に感謝し、祭典も盛大に行われ、佐久郡の社家は佐久郡三庄三十六郷の総社である当神社の祭典に出仕しました。
御神幸は往時、岩村田・春日・志賀・上平尾・余地等に出掛け、古くは東御市本海野への御神幸がありました。神主が御霊代(ミタマシロ)を奉じて騎馬にて御神幸(巡行)し、御神幸先には御仮屋を建て神事を行いました。
(新海三社神社HPより転載)
あまり大きく知られていませんがここには、2つの巨石が祀られています。
御魂代石(市指定有形文化財) 中本社と西本社の間の柵の中にあります。少々見えにくい位置にありますが、背後より失礼して撮影させて頂きました。
幢身に左右相称の神代動物が彫られておりその間に延文三年戌三月十二日(1358)の刻記があります。
この石に耳を当てると諏訪湖の波音が聞こえると伝えらています。
もうひとつの巨石は、東本社から下がったところにあります。
御休石 秋の例祭に、ここから1キロほどの山腹に鎮座する御射山社までの御神幸の際ここでまず神事が執り行われるそうです。
興味深い石質です。方形状に切離している箇所があります。
祭礼は、中本社よりご神体を一度この巨石の前で休ませ御射山社へと御神幸します。
※興味深い写真がこちらのサイトに掲載されていました。なんと中本社(祭祀:タケミナカタ)の御神体はどうやら麻の十二単を纏った三本の薙鎌なのだそうです。「薙鎌」は、開拓のシンボルですが佐久の開拓神を祀る東本社ならいざしも中本社の御神体というのは意味があるのでしょうか?
舞殿 「君の名は。」で、三葉と四葉が巫女姿で舞ったシーンが印象的でした。
天神社 祭祀:菅原道真公
東十二社
三重の塔(国指定重文)嘉祥2年(849)ごろ室町時代のものだそうです。
全高約20m 東隣にあった神宮寺の塔として建立されたものだそうです。
初段目~三段目で、棰木の組み方が互い違いに入っていて、和様を主としながらも随所に唐様(禅宗様)の工法が混在した造りで一目置かれているそうです。
絹笠社 三重の塔から神橋を渡って更に奥に鎮座しています。
祭祀:絹笠大神 「絹笠」と言えば養蚕神です。境内の最奥に位置しているのも意味深で興味深いですね。
(撮影日:2024-6)
【マップ】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます