ことば に 注意シリーズ
雑学者(学者ではなく雑学もの、「我苦者」なら正しい!)の highdy はあらゆるものに興味を持ち、その分野を少しだけ研究して(ではなく「かじって」)みる悪い習性がある。
しかし、あくまで興味本位で、やりたいことが多いため深く探求することはなく放置してしまう。別に飽きっぽいわけではないが、単に忙しいだけである。
その一つがホームページの中にある「ことば に 注意シリーズ」で、継続更新を目指していたものの同じ理由でそのままになっている。
本シリーズは、それを発展的により詳しい解説記事にしただけで、highdy 自身は国学者でも文学者でもない。専門は技術系のプラントエンジニアであり、しかも機械系の技術開発を得意とする全く別分野の人間である。
そのような人間が「研究」などとは大変おこがましいが、何かのご参考になればと願うものである。
雑学者(学者ではなく雑学もの、「我苦者」なら正しい!)の highdy はあらゆるものに興味を持ち、その分野を少しだけ研究して(ではなく「かじって」)みる悪い習性がある。
しかし、あくまで興味本位で、やりたいことが多いため深く探求することはなく放置してしまう。別に飽きっぽいわけではないが、単に忙しいだけである。
その一つがホームページの中にある「ことば に 注意シリーズ」で、継続更新を目指していたものの同じ理由でそのままになっている。
本シリーズは、それを発展的により詳しい解説記事にしただけで、highdy 自身は国学者でも文学者でもない。専門は技術系のプラントエンジニアであり、しかも機械系の技術開発を得意とする全く別分野の人間である。
そのような人間が「研究」などとは大変おこがましいが、何かのご参考になればと願うものである。
「拝見なさいました」を変に思わない?
上記のシリーズにも書いたように、日常生活での言葉の誤用は実に多く見受けられる。とりわけ、公的文書の作成をされる公務員やメディアの方々は注意が必要である。
「拝見」とは、「見る」の謙譲語を使用しているので見るのは自分である。
目上の人に対し、自分が何かを見るという行為を丁寧に表現するときや、自分がへりくだるか、身内(自社の人間)をへりくだらせる場合に使う言葉である。
従い、「拝」がつく「拝見する」、「拝覧する」、「拝観する」、「拝謁する」・・・ の言葉は自分の行為であるということを認識すべきである。
よって、目上の人に「拝見してください」と使うことは、明らかに間違っている。他人であれば、「ご覧になる」とか「見られる」という尊敬語が存在する。
〇 ご覧ください X 拝見してください
X 社長があなたの履歴書を拝見なさいました(拝見は自分の行為)
〇 社長があなたの履歴書をご覧になりました
〇 メール拝見しました。明日中に返信いたします
(この場合の「いたします」は、「致します」では誤り、先日解説済み)
ビジネスシーンでの不適切
一般動詞の「する」を尊敬語で相手側を高めていう敬語表現には「なさる」という別の表現もあるが、自分の行為に対して「なさる」という尊敬語を使用することは、誰が考えてもおかしい(いや、不適切)と賢明な皆様は容易に気づかれるであろう。つまり、誤用である。
他人の「する」は「される」、「なさる」という尊敬語もよく使われる。
同時に、多くの方の悪い例として、状態を表す表現に「されている」、「なさっている」を会話的表現で「されてる」、「なさってる」と省略しているが、ビジネスシーンにおいてはNG! 不適切である。
X いつも言ってるように → 〇 いつも言っているように
会話で通じるからと表現のまま文章にすべきではない。個人の知識力や会社の品位が疑われる。
「拝見する」自体がすでに敬語なので、~いただくを付け加えると二重敬語となり、いかにも丁寧な表現だと思われるが、文法的にはより一層間違った使い方になってしまう。
X「拝見させていただく」、「拝見させていただきました」
オマケのひと言
一見公共放送だが、しっかり番組を視ていると御用放送局(?)の NHK で、「チコちゃんに叱られる」番組がある。
滅多に見ないが、たまに highdy も知らないことが出て驚くこともある。
正しい理由をおもしろ、おかしく解説しているだけのものだが、権威がある(筈の?)学者や研究員も、論文ならば正しく表現できても会話では司会者も含めて時折いい頃加減な日本語を使っている。
正しい理由をおもしろ、おかしく解説しているだけのものだが、権威がある(筈の?)学者や研究員も、論文ならば正しく表現できても会話では司会者も含めて時折いい頃加減な日本語を使っている。
現役時代の終わりに縁あってスーパーゼネコンの本社に勤務していたとき、同じ社員であっても上司や同僚から電話がかかったときは、「お疲れさま」と言う慣わしになっていた。「ご苦労さま」は「さま」がついていても使えない。後者は、目上の人が目下の者にかける言葉なので、伝統ある会社の良い習慣であると思った。
きっと、highdy もサポート依頼者から「この人偉そうなこと書いているけれど、「何よ! 自分の会話は!」と思っておられるに違いない。
他人のことはさておき、文字にすると永遠に記録として残るので、注意した方がいいと考える。
きっと、highdy もサポート依頼者から「この人偉そうなこと書いているけれど、「何よ! 自分の会話は!」と思っておられるに違いない。
他人のことはさておき、文字にすると永遠に記録として残るので、注意した方がいいと考える。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
「日本語を見直し研究してみるシリーズ」のようなことは私も常々思っていることですが、以前NHKに対する問い合わせ(抗議?)の件以後、かなり長期間NHK不信の状態が続きました。
時代の変化と共に言葉の使い方も変わる・・などという説もあり、一部ではやむを得ないこともあるのかもしれませんが、highdyさんがご指摘の問題(言葉の使い方)は社会人としてだけではなく、日本人としても忽せにはできないことだと思います。
若年層だけではなく、高齢者の中にも誤用する人が結構いますよね。
政治家の中にも酷い人がいますね。
テレビなどでも正しい日本語として紹介されるような機会(番組など)が多くなるといいのですが・・・
ここ10年で、日本は大きく世界に立ち遅れ「衰退途上国」になってしまいました。
やはり、政府がしっかりしていなかったため、文部科学省の弱貧化もその一つだと思います。誤った「ゆとり教育」の解釈により、不十分な国語教育がなされたためだと考えます。
国語である以上、文学を除くとしても公文書はもちろん、教科書・新聞・雑誌・メディアは統一した表現にした方が混乱がなくてよいのではないかというのが私の持論です。
それらを指導管轄する文部科学省がしっかりしないと、将来の日本語はますます混乱し難しくなってしまいます。
言葉は生きておりどんどん変化していきます。国の言語を簡素化することにより、外国人も覚えやすく国際的な交流も深まっていくと思います。