ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

沢田泰司さん 公判について

2012-02-27 03:23:20 | Music
私がTAIJIさんについてtwitterで呟いたのは7月27日、「TAIJIさん(ベーシスト、元X)のご遺体がサイパンから帰って来ない。。。どうして?」・・・これが最初でした。お亡くなりになってから10日。10日も過ぎて尚、ご遺体がどうなっているのかを含めて報道が途切れた時期だったと思います。そして、既に千葉県で極秘裏に密葬されたというこの記事が出たのが7月30日でした。

そして、時を同じくして、実のお母様の名前を語った「本当の遺族メッセージです」とされるものが、不正アクセスを経て、ホームベージに突然アップされました。

上述の記事を含み、報道された一連のことが事実無根であり、名誉を毀損されたとして、サイパンまで同行していたTAIJIさんの元マネージャーが、芸能ジャーナリスト渡邉さんに対して起こした損害賠償等請求公判が昨年11月から始まっています。本日2月27日(月)が第三回目の公判になりますが、暫くの間は書類の内容事項の確認のみと思われます。証人尋問まで進むのはまだまだ先のことでしょう。


私は、ずっと真実が知りたいと思ってきました。
それは、TAIJIさんの死の事実に、何らかの手が付けられているように感じたからです。

まず、サイパン空港到着後に逮捕される最初のきっかけとなった、元マネージャーとの飛行機内での口論の内容。
サイパン地元紙の記事を含む海外メディアの報道でも、TAIJIさんの機内での行動については「何もそこまで」と思うくらい事細かく描写されていますが、口論の内容については一切伝えられていません。また、逮捕された後のTAIJIさんの様子については、

“He is not angry with anybody. He was upset with himself”

サイパンで付いた国選弁護士さんのコメント、これだけです。そして、これが最後です。

下記より抜粋。ちなみにこの一文は、下記地元紙だけでなく、報道記事の中でもよく見られた一文でした。
地元紙・Marianas Variety


「彼は誰に怒っている訳ではなかった。彼は自分自身に腹を立てていた」。

直訳するとこうなると思いますが、私はこの"upset"が今でも引っ掛かっています。これは以前の追悼文にも書いたかもしれません。
"upset with oneself"は、腹を立てる、動揺するという意味になるかもしれませんが、"upset"は、塞ぎ込む、不安に陥る、具合が悪い、というニュアンスで使われることもあります。私個人的には後者で使う頻度が高いので、この引っ掛かり感はそこから来ているのだと思わないでもありませんが。

そして、この「自分自身に腹を立てていた」は・・・これはほぼイコールで結んでも良いのではないかと思いますが・・・「自分で自分が嫌になり」自殺してしまいました、という、不正アクセスを経てアップされた上述の偽メッセージにそのまま使われています。第一、この時のTAIJIさんの気持ちを誰が分かるの?と思います。もし、知っている人物とすれば、逮捕後TAIJIさんに面会し、その様子を「自分自身に腹を立てていた」とコメントした、もしくはそのように調書に残した国選弁護士さんだけでしょう。

もし、その時にTAIJIさんが多くを語り、とても強い"upset with himself" を示していたのなら、でしょうが。しかし、実際は"He didn’t give reasons for his strange behaviour"「何故そのように機内で振舞ったのか、何も話さなかった」とされています。

下記より抜粋。この記事はもう一つの地元紙・Saipan Tribuneの記事も併せ、そしてそれを基に書かれたものです。Jame Worldへ確認し、そのようにご返答頂きました。
Jame World, In memory of Taiji Sawada


その他、TAIJIさんが既にICUに搬入され脳死状態だったときに、その元マネージャーが、TAIJIさんの携帯を使い「元気だ」『大丈夫だ」というメールを関係者に出していたこと(これが元で命に別状はないと日本では報道され、胸を撫で下ろしたファンの方々も沢山おられたと思います)も、何のために?と聞きたいことです。

自分がマネージをしていた人が亡くなったのです。
どうして、手厚く扱い、悲しみ、ご遺族や近しい方々、応援してきたファンへお渡しすることが出来なかったのでしょうか。まるで情報や日付を操作するようなことを、何故行わなければならなかったのでしょうか。どうして、TAIJIさんの死の事実、お亡くなりになったことがそのまま尊重されなかったのでしょうか。

そして「名誉毀損」だと訴えているのが、その御本人であることに、今回の一連の出来事の奇妙さ、不可解さがあります。今回の裁判の原告は、こちら側からすれば疑惑の人である元マネージャーなのです。これは、私は無いとは思いますが、もし万が一、原告から訴訟の取り下げがあった場合、そこで終わってしまう種類の裁判ということでもあると思っています。

私にとっては、TAIJIさんの死が、これはそのままTAIJIさんの生きて来られた45年間の人生が貶められたような、そんな思いがどうしても拭い去れません。私は、どうしても、それが嫌です。だから、これからも、この裁判について、静かにしっかりと見守っていきたいと思います。


しかし・・・隠されていることがあったとして、それによって守られていることも、又あるのではないかと思います。現実として、今がその状態ではないかと思うときがあります。真実とは、両刃の刃です。正しさは、正しさであっても、時に人を傷付けます。しかし、両刃の刃であるなら、その刃は一方で今まで悲しんできた人の涙を拭える光にもなります。ただ、私は、願わくばそのどちらに属する人たちも愛に帰結するような結果を望みたいと思います。

又、私は「真実」というものを考えた時、何事もまず目の前にあるものから捉えていくことを前提としています。
例え両刃の刃であっても、両刃を斬らない刃も必ず存在することを信じたいのは、現実にこの裁判が起こったからです。確かに一見不可解な形での開始ですが、しかし現実に、今日、第三回目の公判です。そこに必ず意味はあると信じています。


どうか、少しずつ、良い方向へ進んでいきますように。
そして、TAIJIさんを想う多くの方々の気持ちが、どうか届きますように。


「HERO」小田和正



この記事には、この曲がいいかなと思いました。



今日も最後まで読んで下さって本当に有難うございます。

今日も、皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。


Fantasista ~沢田泰司さん

2011-12-31 16:35:33 | Music



今日は2011年の大晦日です。

例年12月に入ると、そこからの一ヶ月があっと言う間です(苦笑)この時間の流れ方の習慣、何とかならないものでしょうかね^^;
先日も書きましたが、2011年は本当に沢山のことが起こった一年でした。多くの方々の心に、それぞれの思いが深く刻み付けられたことは間違いないと思います。私にとっては・・・まず悲しみ。そして、喜びと怒り、勇気と真実。そして未来への希望へと。そんな一年でした。そんな2011年最後の日。今日も皆さん一人ひとりが、良き一日を過ごされていることを強く願って止みません。


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2011年7月17日

ベーシスト沢田泰司(TAIJI)さんがサイパンで逝去されたこの日から、早5ヶ月以上が過ぎました。しかし、未だTAIJIさんを囲む会も、正式に献花し祈れる場所も私たちファンには示されていません。そして7月11日、成田からサイパンに向けてデルタ機に搭乗された後、何が起きて、何があって、結果的にTAIJIさんの人生が終わってしまったのか、その後新しい情報もありません。

祈りに場所は関係ない、という事。
これについても以前少し書きましたが、これは、酷と言うものです。私は、そう思います。大切な人を失った。その悲しみや憤り、悔恨の想い・・喪失の現実から引き起こされる感情は本当に個人的なものです。そこに勿論正解などありはしません。そして、本当に個人的な感情である一方で、一人ひとり、各人で消化していくのは非常に困難な事実であるとも私は思います。

10月5日、アップルを設立したスティーブ・ジョブズ氏が亡くなられました。そして、ジョブズ氏逝去を悼み捧げられた花束、氏への感謝の気持ちを綴ったメッセージが全世界のアップルストアの前に数え切れない程に置かれました。それは日本国内でも同じでした。

その光景を見たとき、私たちも同じような場所が欲しかった、と思いました。こう書くと、待ってるだけで動かなかったのではないか?どこかに献花することも出来たのではないか?と思われるかもしれません。ただ、TAIJIさん死去の報道から、何が何だか分からない(同行したマネージャーから何の報告もない、いつご遺体が帰国するのか、いつ告別式なのか)うちに・・・約10日も経たない内に、極秘裏のご遺体の帰国と密葬という報道で、全てが遮断されてしまいました・・・私にとっては、この不可解さが、TAIJIさんを知るきっかけとなったのでした。

言ってみれば、TAIJIさんの死が、私のTAIJIさんとの出会いです。

しかし、インディーズ時代、Xでのブレイク、ラウドネス、D.T.R. TSP, Could Nine, 音風、Heavens・・・これら在籍されていたバンドを通じて、TAIJIさんを、TAIJIの音を応援しファンだった方々にとっての7月17日というのは、私には想像を絶します。その当時を知らない私には絶対に分からない、絶叫とも呼んでいい、大きな大きな悲しみがあるのだと今も思います。しかも上記の経緯です。なのに「祈りは場所ではない」とは、私には思えません。同じ気持ちを抱いてる者同士が集まれる、心を寄せ合えることが、どれほどの救いになるか。今でもそういう場所を願い続けているのは、それも大きな一つの理由です。

私には幸いtwitterがありました。
私は生前からのファンではないので、最初はTAIJIさんに関することをツィートしていくのは余り良くないんじゃないかと思ってました。でも少しずつ発信していく中で、少しずつフォローして下さって、私もフォローさせて頂いて、TAIJIさんを喪ったに悲しい気持ちも、TAIJIさんの素晴らしさを語り合う嬉しさも日々シェアさせて頂いていて、私にはどれほどの救いとなっているか分かりません。この場所を借りて、あたらめて、皆さんには「有難う」って言いたいです。

ですから、この記事を読んでいらっしゃる方の中で、TAIJIさんのファンでいらっしゃって気持ちの行き場がない、という方がもしいらっしゃいましたら・・・よかったらtwitterに入って頂いて私をフォローして下さい。私だけでなく、TAIJIさんを愛し続けているファンの方々が沢山いらっしゃいます。私でなくとも、その方々をフォローなさってみて下さい。左サイドバーのプロフィール欄の下に、水色の「FOLLOW」をクリックして頂けるとtwitterに簡単に入れます。twitterにアカウントをお持ちでない方は、画面上で、順次登録の案内も出てきますのでそれに沿ってお進み下さい^^

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上記の太陽の写真は、11月24日、TAIJIさんに関する東京地裁第一回目の公判の日の後、午後1時前後の太陽です。こんな美しい太陽は、今まで見たことがなかった。。。きっと、いろんなことが少しずつ進んで行くと、私は更に固く信じました。この公判は、TAIJIさんの元マネージャー(上述の同行されていた方です)が、芸能ジャーナリストW氏に対して起こされた、ご自身が名誉毀損されたとするW氏への損害賠償請求ですので、厳密に言うと「TAIJIさんの名誉」に関する公判とは違うと私は理解しています。しかし、

何故、TAIJIさんがFBIに拘束され留置されたあと、マネージャーであるにも関わらず知らぬ存ぜぬ、無関係を通したのか。

何故、TAIJIさんが実際には脳死状態だったときに、「元気だ」「大丈夫」だという偽の状態を知人、関係者へメールしたのか。しかもTAIJIさんの携帯から。

HPに不正アクセスし、ご遺族の名を語り、これもまた偽のメッセージを載せたのは誰だったのか。その偽メッセージの中で、念押しするかのように、TAIJIさんの自殺を繰り返し肯定する内容に徹したのは何故なのか。


現在の状況が、ご遺族や関係者(全ての方ではないと思いますが)皆様の総意のもとに沈黙という現実があるのなら、それは尊重すべきだと思います。しかし、非常に個人的な思いとして今日は書かせて頂きました。上記のこと、私は知りたいと思います。現在のままでは、TAIJIさんは、TAIJIさんを想い、守ろうとする人以外の何者かの思惑によって、橋の向こう側のままのように感ぜずにおれないのです。

また、Fantagista・・・一般的にはヨーロッパのサッカー選手を称える際に良く使われる言葉です。圧倒的で独創的なプレーで観る者の心を奪い、魅了するプレイヤーをこう呼びます。私は、この単語をふと思い出したとき、「あぁ、TAIJIさんのことだ」と思いました。フェニックス、そしてファンタジスタ。私にとっては、沢田泰司さんのシンボルが一つ増えました。永遠の命を生きる不死鳥、フェニックス。何度でも蘇る不屈の魂。そして観る者を魅了してやまない、またそれは時を隔てて永遠に。それがファンタジスタ。

泰司さん、
あちらでは、今夜はカウントダウンライブでしょうか。
やっぱり貴方のベースの音、聴きたいですよ。

泰司さん、良いお年を!

そして、泰司さんを想う皆の願いが、いつか、届きますように。



今日も最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。

この暮れ行く2011年大晦日の刻が、皆さんのもとに穏やかに過ぎていきますように。


沢田泰司さん 100か日

2011-10-24 21:02:27 | Music




本日10月24日は、去る7月17日にサイパンでお亡くなりなりになったベーシスト沢田泰司さんの100か日にあたります。夏から秋という2つの季節をまたいで、あれから100という日が過ぎたのかと思うと、普段はさほど気に留めることのない時の流れと重みを感じました。

時というものは目に見えなくとも、しかし、まるで目に見えるものかのように。
確実に存在し、流れ、過ぎ行く(もしくは循環する)というリアルさを感じたこの100日だったと思います。


100か日(法要)とは調べてみますと、下記のようにありました。

「百か日法要のことを「出苦忌(しゅっくき)」または「卒哭忌(そつこくき)」とも言います。百か日法要は故人を失ったことから、悲しみ泣き明かした日々に一度気持ちの整理をし悲しみから卒業するための法要でもあります」

一度気持ちの整理をし、悲しみからの卒業。


どうなんでしょうか。

私にとっては、この度の大震災の悲劇に際しても一度書かせて頂きましたように、急ぐ必要はないように思います。正直、100日では早過ぎると感じます。今、上手く言えませんが・・・悲しみは消えないと、私は思うのです。薄れていくことはあっても、そしてその喪失を感じない日が来ても、それでも「消えはしない」。そのように思います。

その人の喪失を、立ち上がれなくなる程に嘆いた。いつ尽きるとも分からないほどに涙した。
その時の気持ち。愛しいと、大切だと、かけがえがなかった、と思った気持ちは決して消えるものではないでしょう。

だから、先ほど消えない、と書いた=「悲しみ」は、湧き出るような、振り絞るような「想い」となって、ずっと大切に残るものじゃないかな・・・と私は思うのです。


私は、生前のTAIJIさんを知りません。お名前は知っていたものの、お亡くなりになってからTAIJIさんの存在を知り、ファンになったも同じです。ですから、このように自分の思いを書かせて頂くときに、すごく偏った内容になってしまうような危惧を常に感じていて、なかなか筆が進みませんでした。

何が偏よるというのか・・・
それは、お亡くなりになってしまった、それも異国の地で一人、あのような形で・・・という「悲しみ」の部分だけにフォーカスし過ぎて、余りにウェットな気持ちになってしまっているのではないか、という思いでした。でも、実際は、TAIJIさんが音楽、そしてベースとギターの演奏を通じて、喜びや情熱、平和や安寧を感じた瞬間は、きっと、きっと沢山あったのではと思うのです。

その部分をもっと書くことが叶ったなら、私にもっと書けたなら、もっと良かったのにな・・・と今も思います。


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さて今日は、TAIJIさんの100か日に際して、私なりに作った祈りの言葉をここに置かせて頂きたいと思います。

100という数字には「満ち足りた」「完全」「美意識」など、足すものもなく引くものもない、本当の完全。紛れもない美しさ。そのような意味があります。そういうこともあって感じるのかもしれませんが、TAIJIさんは思いを残していらっしゃるというより、反対に私たちを心配されている(もしくは叱咤激励したい?)ように私は感じます。でもこれは、TAIJIさんへ、泰司さんへ、多くの方々の気持ちが届いたからだと確信しています。この地に残った私たちと、TAIJIさん、泰司さんの気持ちが一つになり包まれたことの、紛れもない現れです。

ですからこの祈りは「ありがとう」「がんばるね」という思いを込めて作ってみました。


また私は、49日を前にしたときは、とにかく見送ることが大切だとばかり思っていました。
私たちは私たちで、しっかり生きることが第一なんだと。それが残された者の義務だと。悲しみに止まっていては、そのように生きられないじゃないかと。

けれども今は、「共に」という気持ちが強いです。まだまだ「逝去」「享年」という言葉を目にし、耳にする度に、胸が掴まれそうな日があっても。

やっぱりTAIJIさんはフェニックスなんですね。
誰もがそうである、永遠の命の、目に見える体現者でした。



貴方の生きた歴史、残してくれた音楽。
貴方の優しさ、そして苦悩、貴方の魂の輝き。
未だ、私たちの心に住まうと喪失と悲しみ。終わらない涙。

それらは今、天上あり、この地にあります。

争い、諍い、攻撃、憎しみ。
例えそれらの存在に、耐え難く打ちのめされても、

受け容れ、許すことで、与えられ、受け取れる光があることを、
閉じられた善なるものが開き、明るくなっていくことを、

私はこれからも信じ続けます。


貴方が全うした人生に送る、そしてその人生を全うした貴方へ送る、
私たちからの心からの感謝と喝采をどうか受け取って下さい。
そして私は、貴方の幸福を祈り続けます。

そしてどうかこれからも、力を貸して下さい。
そしてどうかこれからも、愛して下さい。
私たちが喜びと共に在ることができますように。
私たちが貴方と共に在ることができますように。
私たちが天と地を繋ぐ橋となれますように。

おかえりなさい。フェニックス。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます。

今日も皆さんの全てが優しさに抱かれ、慈しまれる一日でありますように。

Graceful sky 彼方の貴方へ

2011-10-05 01:24:04 | Music


この写真は、今まで撮った空の写真の中で2番目に好きな写真です(笑)
じゃ、1番目は?というのは・・・また次の機会に^^ まぁ旧ブログにはアップしております。
なんかですね、旧ブログは2年半前に始めたのですが、今読み返すと自分でも思うのが、

感受性は、あの頃が圧倒的にみずみずしいですね(汗)

負けとれん!と思いました(笑)
半分、冗談で。

あの頃はあの頃で、今は今で、
長点、欠点含めてそれぞれに個性があるとは思うのです。だから、今この時に書き得れるものを残していければと思います。


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

ベーシスト沢田泰司さん死去の件、時間だけが過ぎてゆき、泰司さんの死が不可解なまま人々の記憶に埋もれていく。悲観的な見方をすればそうなります。しかし、それでも謎が多すぎるという思いが、どうしても払拭できません。

これはTAIJIさんの辿った波乱万丈で数奇な人生によるものなのでしょうか。
未だ整理が出来ていないにせよ・・・
「いろんなことが分からない」という気持ちにさせられてしまうのです。

伝えられている彼の人生の軌跡も、サイパンへ向う機上で、そしてサイパンでの報道された一連の出来事も、
私からすると沢山の糸が絡まっていて、それがいつの間にか注意力を散漫とさせ、このことに目を向けようとする人々を混乱に陥し入れるような・・・結果として「いろんなことが分からない」という気持ちにだけに到達させられるような、本当に形容し難い思いを、今でも整理できずにいます。

うーん。
今日はこの辺りで。。。


さて最後に、今日は本の一節を引用して、このテーマについて少し書き添えたいと思います。
まだ最後まで読み終えていませんが。。。『死について』ルドルフ・シュタイナー 、つい勢いで購入した本ですが、亡くなった方、特に若くして亡くなった方の死後の魂やエーテル体(生命を維持する、身体のすぐ外側にあるエネルギー体)について多くのページが割かれてあります。

死後の世界や、死後辿るべき霊界。
そこで見るもの。果たして、そして死者は何を感じているのか。

勿論そういった内容も書かれてありますが、私が驚いたのは(まだ丁度、半分読み終えたばかりですが)、繰り返しますが「若くして」この世の去った人たちについて書かれてあることです。背景には、ときは第一次世界大戦、若者が戦争で次々と亡くなっていった時代だったということもあると思います。


「彼岸と此岸の断絶は、先ず神秘学の分野で橋渡しされなければなりません。ですから繰り返して、次のように訴えかけざるを得ないのです。----私たちは、大切な時を共に過ごしてきたという意識を、この世の時とまったく同じように、死者に対しても保ち続けようと。」

「人間のエーテル体は、どんなに長生きしても、人々に生命力を供給し続けることができます。人間が若くして死の門を通ると、高齢になるまでこの世で提供できた筈のエーテル体の力は、使われずに残っています。」

「しかしこのエーテル体は、存在し続けて、神秘学を学ぶ人々が、この未使用のエーテル体の存在しているところへ憧れの眼を向けるとき、人々に協力することのできる力となって返ってくるのです。」

「その時、私たちがその人の役に立てるのは、その人が生前、私たちにとってどんな人だったのかを考えるときなのです。その人自身の性格を特徴づけるような思いをその人に送るのです。この世を去った人たちに、いわばその人たちの本性についての私たちのイメージを送るのです。」



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりが、優しさと暖かさに包まれる一日でありますように。


49日が過ぎて、9月4日になって

2011-09-15 19:28:16 | Music
9月3日、TAIJIさんの49日が過ぎて、明けたのが9月4日。

ゴロ合わせに過ぎないかもしれませんが、何事も偶然はないのです^^
これからは「真実=94」が明るみになってゆく。私はそう思わずにはおれませんでした。

早いものであれから10日が過ぎましたが、
不思議なことに、その一日を境に私の気持ちも大きく変わりました。

『Voiceless screaming 沢田泰司さん 49日を前に』

という4回に渡ったTAIJIさんへの追悼文、私が思うこと。その4回目を書き上げたのが9月3日の午前3時前。

1週間の間にこれだけ精力的に記事をアップし続けたのは旧ブログを通じても初めてのことでしたので、すっかり脱力し、またタイトル通り、49日前に書き上げられたという安堵感もあったのだと思います。

しかし「気持ちが大きく変化した」とは、一旦終了したとか気持ちが薄れていったではありません。TAIJIさんは確かに旅立って行ったんだな、という空気感と、私もしっかりしなきゃな(苦笑)という気持ちが混じってそう思ったのでした。「今」をより意識するようになりましたし、今に留まり、今から逃げないことも学び始めました。TAIJIさんから頂いたものは、計り知れないです。


又、この記事をきっかけに声を掛けて下さった方々との交流も、私の心を温めてくれています。
こちらはTAIJIさんのファンでいらっしゃるBUGGY.emiさんのブログです。

My First Small Siong’s

TAIJIさんを想われる、素のお持ちにすごく共感してます。ストレートでナチュラルで。
9月4日のオフ会についての記事と写真もとても素敵です。


そして最後にもう少し、私のことも書かせて頂くと、
前回の記事 の最後、
「さようなら、フェニックス」という一行も、

これ、ものすごく笑われると思いますが・・・
ものすごく練習したんです。
何度も何度も口にし、胸の中で何度も呟いて。

あの頃「さようなら」にものすごい抵抗があったんですね。
ゾっとしましたし、絶対イヤだとさえ思いました。本当に不思議でした。でも見送らないといけないから・・・だから、何度も何度も練習しました。不思議でした。

そして9月3日が過ぎ、
それでもその後、色々な思いが次々と溢れて、やはり謎に包まれている部分に少しでも光を当てたいという気持ちは消えません。私がただ、そうしたいだけです。でも、単に私的な推理に過ぎないとしても、誰が見ていて下さるか分からないし、何がどう繋がっていくか分かりませんから。

『Voiceless screaming』は
歌も勿論いいんですけど、私はインストゥルメンタルで聴くのが好きです。

動画はTAIJIさんのトリビュートで、以前の動画と同じ映像も出てきますが、この音楽がバックだと個人的にはまた違うんですよね。
今週の土曜日17日が、2回目の月命日です。


R.I.P. TAIJI





今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます。

今日も皆さんの笑顔が確かに誰かに届いてる、そんな一日でありますように。