自分の力が充実すると その力が 私を世界に委ねようとする。 自分の存在が 力強くなると この世の運命の中で 明晰であり続けようとする。-魂のこよみ-
感情がそう表現したがっていることを、そのまま好きにさせてあげることが一番なのかもしれないですね。こんなこと、思っちゃいけないとか、こんな風に思うべきではない、とか、そんなことは絶対ないと思いますもの。
とても思う。先週から続く地震、海外の情況は、私たちに、一人ひとりの古い物語との決別と、次の舞台に立つ一歩を願っていると。
古い物語、、小さなこと、ささやかなこと。ただ、例えば見てみぬ振りをしてたこと。それは、物語。それだけが物語ではないけれど。自分が読みたくない物語には、心は揺り動かされない。
闘っては、相手の思うツボ。相手は、戦闘で負けてもいい、戦争で勝てばいいと思ってる。戦争をしかけてこられる正当性を作ってあげてるようなもんだ。これはいろんなことに言えると思う。
@PETIT1974 ありがとうございます(*^^*) いつかはラウドネス風もやってみたいです。ホントそうですね!ライブでの迫力とカッコ良さは特別&格別ですもの。ライブ、続くといいですよね。何も出来ないけれど、応援だけは!!
「私はなんてダメなんだ、なんて何もできないヤツなんだ」「ぜんぶ私が悪いんだ」という(おそらく子供の頃からの)思いがあったんだね。ふとしたことで思い出しました。
怒られる、注意される、反対される・・・これが、前述の「私はなんてダメ」「私がぜんぶ悪い」を呼び起こして、親からでも、上司でも、先輩でも、恋人でも、このシチュエーションになると、まるで攻撃されているような気持ちになったものだ。だから極力衝突を防ぎ、相手の言うままに動いていた。
相手の言うままに行動して、相手の希望を先読みして先回りに行動して。それは「私はダメ、私が悪い」を刺激したくなかったからだけじゃなく、誰かに「ダメじゃないんだよ、悪くないんだよ、そのままでキミが大好きなんだよ」と言ってもらいたかったからだ。愛されているという確認が欲しかった。
そんな自分の思いを、今、自由に、好きにさせてあげてる。そして、その思いが涙を拭いたなら、大人として、どうしよう?何がしたい?何が出来ると思う?と対話してみる。
でも~~~、ダメなのは、理由の一つとして、努力と勉強をしないからです(苦笑)何でもかんでも、過去になったことから派生している訳ではありません。私もプラクティカルな部分に比重を置くよう注意!!