暗部から目を背けてはならないという義務感と習慣と共に生きてきたのかも。でも暗部は不幸ではない。暗部は暗部。暗部も照部も、どんな中間地点も、自在に行き来できる自分でいたい。そこに囚われを持たず、どんな自分にもなれる(どんな自分も受容できる)ということか。
身体でも、心でも、良くなる過程のときに、悪くなってるように感じることがある。実際に痛みがあったり。以前より悪くなったと思ったり。それらの経験は、良い、悪いではないという学びの場なのかもしれない。
その高次の意図は、自我を高揚させない、、自我に逃げることが出来ない環境を作ってくれてたのかもしれない。