今、目の前に映る世界がどうであれ、それは最善、自ら然るの秩序の元に在る世界。そこに向き合い、思い、考えることにより、エッセンスが加わり、また新たに最善の姿に変わる。
お金の動きに何を乗せているか。結果として、何が巡り、何が自分に帰ってくるのか。恐怖、強迫、罪悪、義務感の代替えとして払い、受け取るのか。豊か、寛容、利他、美しさを乗せて払い、受け取るのか。
分かってても、出来ないことって沢山ある。でも、出来ないこと..自分にはそれは出来ない、出来てない。そう認識できてることが、それがもうとてもブラボーなこと。
現実では何の面識もない人。でもその人とは知人という前提で何かを話してる。うつらうつらとしてるときによくある。誰と話していたんだろう。何より全然知らない人に間違いないのに、話しているとき、その人とは確かに知人の関係だ。そして何を話していたか全く覚えていない。