今日は、ベタ打ち(頂いた紙片に書かれてある内容をそのまま転載)になりますが、是非当ブログでシェアしたく思いましたので、よろしければ引き続きお読み頂けたら幸いです。※ 私自身は無宗教です。特定の信仰や思想は持っておりません。
1月2日に京都・六波羅蜜寺に初詣に参拝してきました。
私は京都出身ですが、六波羅蜜寺にご参拝するのは初めてのことでした。
六波羅蜜寺HP
六波羅蜜寺 Wikpedia
2011年年末・・・恐らく12月29日か30日だったと思いますが、突然「赤龍」のヴィジョンが胸の辺りに浮かびました。宇宙空間ではありますが、雷、大雨が荒ぶるなかで、その長い身体をうねりながら何かを訴えているようでした。はっきり分かったのは、この赤龍は「女性」ということです。女の龍様でした。
そこから、何をどうして何故六波羅蜜寺に辿り着いたのか全く覚えていないのですが、抵抗なく自然に「お正月に行こう!」と思えました。また、1月8日から放映が始まった2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』にも縁が深いお寺様でもあります。
それでは、以下、お寺で頂戴したパンフレットの中に挟まれていた紙片に書かれてある内容を転載させて頂きます。
<1月26日追記いたしました。短歌より下が追記部分です。>
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
花山天皇が御落飾ののち、西国三十三所霊場を御巡錫になり、各霊場に下された御製が現在も御詠歌として奉詠されています。その意味は、例え五つの大罪(五逆罪=一つには父を殺し、二つには母を殺し、三つには聖を殺し、四つには平和を擾う(みだす、と読むそうです)、五つには仏の身より血を流す)を犯した者でも御観音様と御縁を結び、今後は六つの波羅蜜を日々実践することにより罪は消えて行くであろうという御心が当山の御詠歌として成っています。
開山空也上人は「彼を先とし、吾を後とする情(こころ)を情けとする」と説かれました。即ち、無限に変化していく過程の中で、瞬時のためらいも停止も許されない厳しさで六波羅蜜の行動を教えておられるのです。円満な人格となり、日々悔を残さず、幸せな充実した人生を送りたいものです。
六波羅蜜とは
あなたの座右のために
1)布施
見返りを求めない応分の施しをさせて頂くこと。
貪欲の気持ちを抑えて、完全なる恵みを施すことである。布施行は物質だけではない。
2)持戒
道徳・法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。
私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
3)忍耐
如何なる辱めを受けても耐え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現代社会に置いて、自らが他の存在に生かされていることが分かる。全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなる。
4)精進
不断の努力のことをいう。我々、人の生命には限りがある。
ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
5)禅定
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいう。
6)智慧
我々は、本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生を受けている。
しかし、貪りや怒り、愚痴によって、その大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
奇しくも今年は辰年。これも後から知ったことですが、辰年にだけ(12年に一度)御開帳される国宝・十一面観音立像も御拝顔することが叶いました。本当に勿体ないことでしたが・・十一面観音様、これこそ仏の御慈悲の体現・・・という御顔であり、立像の全身から漂う芳香の如しの佇まいでいらっしゃいました。
神道に於いても「罪を祓う」「怨霊神を篤くを祀る」ことが信仰の一部であり、もしかしたら核かもしれません。恨みを残し怨霊となった者を篤く祀り鎮魂することで、大いなる守護神となって頂く。これが(古)神道であると現在のところは理解をしています。またこの考え方は、実は日本古来のものだと感じています。内省し改悛する。そして「罪という罪は在らじ」と全てが許され、必ず愛に帰着していくということが。
このように、今回、六波羅蜜寺にご参拝が叶ったのは、
「貴方の罪は消えました」
これをお教えしようとして下さったのかもしれません。
ここでいう「罪」の概念をお伝えするのが難しいのですが、一言で言うならば「許し」だと思います。
もし続きが書ければ、もう少し詳細に続けてみたいと思いますので、宜しくお願いいたします^^
ここまで書いて初めて気が付きましたが、何故、この六波羅蜜寺についてシェアしたかったのか。それは、
「貴方も、貴女も、彼方(あなた)も、許されていますよ」
ということを出来る限りでお伝えしたかったのかもしれません。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も、皆さんの全てが慈しまれ、優しさに眠れる一日でありますように。
1月2日に京都・六波羅蜜寺に初詣に参拝してきました。
私は京都出身ですが、六波羅蜜寺にご参拝するのは初めてのことでした。
六波羅蜜寺HP
六波羅蜜寺 Wikpedia
2011年年末・・・恐らく12月29日か30日だったと思いますが、突然「赤龍」のヴィジョンが胸の辺りに浮かびました。宇宙空間ではありますが、雷、大雨が荒ぶるなかで、その長い身体をうねりながら何かを訴えているようでした。はっきり分かったのは、この赤龍は「女性」ということです。女の龍様でした。
そこから、何をどうして何故六波羅蜜寺に辿り着いたのか全く覚えていないのですが、抵抗なく自然に「お正月に行こう!」と思えました。また、1月8日から放映が始まった2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』にも縁が深いお寺様でもあります。
それでは、以下、お寺で頂戴したパンフレットの中に挟まれていた紙片に書かれてある内容を転載させて頂きます。
<1月26日追記いたしました。短歌より下が追記部分です。>
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重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
花山天皇が御落飾ののち、西国三十三所霊場を御巡錫になり、各霊場に下された御製が現在も御詠歌として奉詠されています。その意味は、例え五つの大罪(五逆罪=一つには父を殺し、二つには母を殺し、三つには聖を殺し、四つには平和を擾う(みだす、と読むそうです)、五つには仏の身より血を流す)を犯した者でも御観音様と御縁を結び、今後は六つの波羅蜜を日々実践することにより罪は消えて行くであろうという御心が当山の御詠歌として成っています。
開山空也上人は「彼を先とし、吾を後とする情(こころ)を情けとする」と説かれました。即ち、無限に変化していく過程の中で、瞬時のためらいも停止も許されない厳しさで六波羅蜜の行動を教えておられるのです。円満な人格となり、日々悔を残さず、幸せな充実した人生を送りたいものです。
六波羅蜜とは
あなたの座右のために
1)布施
見返りを求めない応分の施しをさせて頂くこと。
貪欲の気持ちを抑えて、完全なる恵みを施すことである。布施行は物質だけではない。
2)持戒
道徳・法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。
私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
3)忍耐
如何なる辱めを受けても耐え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現代社会に置いて、自らが他の存在に生かされていることが分かる。全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなる。
4)精進
不断の努力のことをいう。我々、人の生命には限りがある。
ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
5)禅定
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいう。
6)智慧
我々は、本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生を受けている。
しかし、貪りや怒り、愚痴によって、その大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
奇しくも今年は辰年。これも後から知ったことですが、辰年にだけ(12年に一度)御開帳される国宝・十一面観音立像も御拝顔することが叶いました。本当に勿体ないことでしたが・・十一面観音様、これこそ仏の御慈悲の体現・・・という御顔であり、立像の全身から漂う芳香の如しの佇まいでいらっしゃいました。
神道に於いても「罪を祓う」「怨霊神を篤くを祀る」ことが信仰の一部であり、もしかしたら核かもしれません。恨みを残し怨霊となった者を篤く祀り鎮魂することで、大いなる守護神となって頂く。これが(古)神道であると現在のところは理解をしています。またこの考え方は、実は日本古来のものだと感じています。内省し改悛する。そして「罪という罪は在らじ」と全てが許され、必ず愛に帰着していくということが。
このように、今回、六波羅蜜寺にご参拝が叶ったのは、
「貴方の罪は消えました」
これをお教えしようとして下さったのかもしれません。
ここでいう「罪」の概念をお伝えするのが難しいのですが、一言で言うならば「許し」だと思います。
もし続きが書ければ、もう少し詳細に続けてみたいと思いますので、宜しくお願いいたします^^
ここまで書いて初めて気が付きましたが、何故、この六波羅蜜寺についてシェアしたかったのか。それは、
「貴方も、貴女も、彼方(あなた)も、許されていますよ」
ということを出来る限りでお伝えしたかったのかもしれません。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も、皆さんの全てが慈しまれ、優しさに眠れる一日でありますように。
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