ベーシスト・沢田泰司さんがお亡くなりになってから、1年と半年目を迎えます。
今年初めのこの記事を最後に、以降はTAIJIさんのことは書いてきませんでした。書くことがなかった訳ではなく、書けなかった・・という方が正しいです。2012年に入っても様々なことがありました。
・TAIJIさんが最後に率いたバンド、TSP( TAIJI & SHU PROJECT)の活動再開。(実際は、2011年11月から)
・元マネージャーが起こした、芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さんに対する名誉毀損損害賠償請求裁判、原告(元マネージャー)からの訴訟取り下げ。
・TSPのワンマンライブ敢行。
・Be free代表KAIKOさん主催で行われた TAIJI’s Night。
・そして一周忌。2012年7月17日。
・一周忌の日の、実妹のSister MAYOさんと、かつてリーダーとして率いたバンドD.T.R.主催の追悼ライブ。
・TSPファーストアルバム『Last resistance of the the Firebird』発売。
・TAIJIさんの婚約者、赤塚さんが取材に答えた週刊文春の記事。
近しい方々、関係者の方々、ファンの皆さん・・・TAIJIさんを大切に思う多くの方々が、それぞれに想いを馳せた、それぞれの出来事だったと思います。
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私にとっては、昨年のこの時期がとても辛い日々で・・・決して「最も」とは言いませんが、日々寒さが増すように、心は悲しみで浸されてゆくような日々でした。それは上述した裁判の第一回目の公判がまもなく、という時でもあったことと、まだTSPの活動についても発表されてなかった時だったこともあると思います。このまま、こんな理不尽な状況のまま、TAIJIさんの死が埋もれていってしまうのか。。。という想いに打ちひしがれてしまいそうな日々だったと覚えています。公判が始まるという事実も、すがるような思いが強かったためか、溢れるような希望を感じることは出来なかった。。ただ、祈りしかなかったように思います。
それぞれに書いておきたいことも、勿論あります。
ただ、今日、久しぶりにTAIJIさんについて書こうと思ったのは、ふと一年前の状況を思い出したのか何なのか、最近、TAIJIさんを思い出す回数が戻ってきたからでした。厳密に言うと、一周忌を過ぎて、より一層思い出すようになりました。私自身、一周忌の日をまともに過ごせるかどうか自信がなかったので、敢えて考えないようにしていた節があります。そして、緊張していたのだと思います。その日が過ぎて・・・49日から一年、100箇日から一年・・・と、節目節目を通り過ぎることで緊張が取れ始めたのかもしれません。
ただただTAIJIさんの喪失を嘆くだけの心情ではなくて、愛しさと裏表の悲しさというものが未だ私の心の中にはありますし、それは決して消えるものではないと思っています。多くの方々にとってもそうではないのかな・・と察するのですが、TAIJIさんは、今も私の心の中に生きています。
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けれども、今、あの日から一年以上が過ぎて思ったことは、
「前を向かなければならない」「悲しんでばかりではいけない」「TAIJIさんは決してそれを望んでいない筈だ」という、いわゆる「禁止令」を自分に強いていたのではないか?ということでした。
ここ1、2週間ばかり、物凄い勢いで悲しみの波が私を襲い、まるで一年前と同じ気持ちを抱くようになりました。そのときに、自分に強いていた禁止令を認めることになったのです。
私は、自分で分かっていた以上に、もっと、もっと悲しかったんだ。
TAIJIさんの死が、本当に、自分で分かっている以上に、辛く感じていたんだ。
自分の心に素直になって、誰がどう思おうとも、もっと、悲しんでよかったんだ。
そう思いました。そう思わせて貰ったのかもしれません。
そして、その日、久しぶりに泣きました。
何だか、湿っぽい内容になってしまってごめんなさい。。
PS;この時期になると、サンタクロース姿のTAIJIさんを思い出しますね^^
そして、今回思ったのですが、こうして、気付いたときに、自分の思いに添って、その都度解放できればいいんじゃないかと思うのです。仮にそこにあるのが、正誤や善悪が勝った考えに基づいた気付きであっても。どんな思いも、今の最大限であり、自分の最善最適なのだから。
Cybernetic Crime - D.T.R. (Live)
TSP「ASH&RAIN」
今日も最後まで読んで下さって、本当に有り難うございました。
今日も皆さんの愉しく健やかな一日でありますように。