長野県飯田市には、飯田遊廓があった歴史があります

飯田遊郭は1882(明治15)年9月に開設されました。
1956(昭和31)年の売春防止法制定以後は、次々と建物が取り壊され、目印になっていた二本松も無くなってしまいました
そして、2002年9月に久保田楼、2004年春に深津楼が取り壊され、かつては小京都と呼ばれた飯田の町から、二本松遊廓の遺構が姿を消しました。
二本松があった付近
当時の面影は無くなっています
飯田遊廓があった付近
写真を撮っていましたら、近所の方が、飯田遊廓について説明をしてくれました
蔵の後あたりに、久保田楼があったそうです
是非、建物を見てみたかったです

細い路地に、小料理屋さんの面影があり、当時の賑やかな風景が浮かばれます

今はのどかに、ネコが寝ています
明治から昭和にかけての香りがします

崩壊してしまいそうな建物ですが、見てみますと、当時はここでお酒を交わし、
その後、飯田遊廓へ行かれた感じがしますね
青線付近
飯田の人は、飯田遊廓(赤線:合法)のことは知っている人は多くいますが、青線(違法)の事を知っている人は少ないです
その青線の場所を教えてもらいました
そこは、谷川線沿いです
建物は崩壊寸前ですが、まだあります
見に行く機会があれば行きたいですが
危険で立ち入り禁止のようです・・・


飯田遊郭は1882(明治15)年9月に開設されました。
1956(昭和31)年の売春防止法制定以後は、次々と建物が取り壊され、目印になっていた二本松も無くなってしまいました

そして、2002年9月に久保田楼、2004年春に深津楼が取り壊され、かつては小京都と呼ばれた飯田の町から、二本松遊廓の遺構が姿を消しました。



当時の面影は無くなっています



写真を撮っていましたら、近所の方が、飯田遊廓について説明をしてくれました




是非、建物を見てみたかったです


細い路地に、小料理屋さんの面影があり、当時の賑やかな風景が浮かばれます




明治から昭和にかけての香りがします



崩壊してしまいそうな建物ですが、見てみますと、当時はここでお酒を交わし、
その後、飯田遊廓へ行かれた感じがしますね



飯田の人は、飯田遊廓(赤線:合法)のことは知っている人は多くいますが、青線(違法)の事を知っている人は少ないです

その青線の場所を教えてもらいました

そこは、谷川線沿いです

建物は崩壊寸前ですが、まだあります

見に行く機会があれば行きたいですが

危険で立ち入り禁止のようです・・・
