富士松延千代のホームページ http://www8.ocn.ne.jp/~hirake58/
昔、祖母が日清戦争だか(?)の時に突撃ラッパを吹く人で、「死んでもラッパを放しませんでした」っていう修身のお話(?)を、してくれた。
幼い私は、責任感のお話だとは思わず、そんなにラッパが好きだったんだぁ・・・と思った。
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ちなみに、おばあちゃん子だった私は、毎晩「楠木正成の唄(?)」を子守唄に聞かされ、人参が嫌いだったら、「乃木将軍が小さい頃、人参が嫌いだったら、お母さんが毎日おかずに人参を出して、好き嫌いをなくした」という話とか、(幼心に、乃木将軍って何者???毎日、人参って・・・強引過ぎないか?? って思っていた。)そういう修身のお話を聞かされて育った。
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さて、今日、ご承知のとおり、神奈川の我が家にも地震が来て、揺れました。
怖かった・・・(><)マンションだから、よけい揺れる。
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少し、ゆれが収まって、テーブルの下から這い出した私は、自分が着物姿である事に気がつき、余震の続く中、あわてて、ジーパンに着替えた。
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まさか、被災して体育館に収容されたとき、この格好では・・・・
(まあ、大正時代の関東大震災と思えば・・・いいけど・・・)
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ジーパンに着替えた直後、突然インターフォンが・・・
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な、なんとお弟子さんが、余震の中、お稽古に見えたのだ(@@)
な、なんと熱心な!!(感激!!)
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よし!わかった。お稽古しましょう
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そんなお弟子となら、ご一緒に、沈み行くタイタニック号の最後まで演奏し続けた楽団の人達のように、三味線を弾こうではありませんか!
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そこで、私の頭の中に、冒頭の「死んでもラッパを放しませんでした」の一文がよぎったのです。
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死んでも三味線を放しませんでした。。。。。
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でも、いざとなると、逃げるけどね(^0^)