富士松延千代のホームページ
新内の物語で、一番の有名どころといえば「蘭蝶」「明け烏」「伊太八」と言ったところだろうか?どちらも、お客と遊女とのままならぬ恋を描いており、最後には、心中事件を引き起こす。当時は道ならぬ恋と言っても、独身者どうしでも、義理のある人や親が許さなければ、道ならぬ恋になってしまう。そのかわり、既婚者でも、経済力があれば、遊郭に遊びに行ったり、囲い者を作るのが、即、家庭内の騒ぎに結びつくとは限らない。
「蘭蝶」というのは、声色師の男性の芸名で、「この糸」さんという遊女に入れあげて、家庭内の経済破綻を引き起こしている。遊女のほうも、「蘭蝶」を恋するあまり、借金まみれ。。。すごいのは、蘭蝶は、結婚して間もない芸者さんの奥さんがいる。その奥さんが生活を立て直すために、芸者として働きに出ることによって工面した借金まで、この糸につぎ込んでしまう。
三者三様に進退きわまる状態の中、蘭蝶と、この糸は、心中してしまうという物語である。二人は、二人なりに、恋を成就させたであろうが、残った奥さんは、踏んだりけったりである。これが、実話を物語にしたものであるから、驚き。
つい、私なんかは、奥さんの気持ちになって、蘭蝶って、ひど~い!!って思ってしまう。若いとはいえ、蘭蝶は、そこまでハチャメチャに恋に猛進していかなくても、
奥さんも「粋筋」の人、しっかり働いて、お金に余裕が出来たときに、この糸さんのところに遊びに行けば、なにも怒ったりしないであろう。この糸さんも苦界10年と言われるけれど、その美貌でお大尽からお金を巻き上げ、早く年季が明けたら、廓を出て、三味線の師匠でもしながら、蘭蝶と逢えばいいじゃないか?・・・って思うのだけれど。。。
結局、それじゃ、伝説にならないんだよね(笑)
物語になるくらいだから、えーーーっ、すごーーーい。って思うくらい分別なく、恋に猛進するお話だから、受けたのでしょう。と、いうことは、江戸の昔も、やっぱりみんな、たとえ恋をしても、そこそこ、ぼちぼち、やっていたのでしょう。
分別な恋なんて、ありふれていたってことかな?
新内の物語で、一番の有名どころといえば「蘭蝶」「明け烏」「伊太八」と言ったところだろうか?どちらも、お客と遊女とのままならぬ恋を描いており、最後には、心中事件を引き起こす。当時は道ならぬ恋と言っても、独身者どうしでも、義理のある人や親が許さなければ、道ならぬ恋になってしまう。そのかわり、既婚者でも、経済力があれば、遊郭に遊びに行ったり、囲い者を作るのが、即、家庭内の騒ぎに結びつくとは限らない。
「蘭蝶」というのは、声色師の男性の芸名で、「この糸」さんという遊女に入れあげて、家庭内の経済破綻を引き起こしている。遊女のほうも、「蘭蝶」を恋するあまり、借金まみれ。。。すごいのは、蘭蝶は、結婚して間もない芸者さんの奥さんがいる。その奥さんが生活を立て直すために、芸者として働きに出ることによって工面した借金まで、この糸につぎ込んでしまう。
三者三様に進退きわまる状態の中、蘭蝶と、この糸は、心中してしまうという物語である。二人は、二人なりに、恋を成就させたであろうが、残った奥さんは、踏んだりけったりである。これが、実話を物語にしたものであるから、驚き。
つい、私なんかは、奥さんの気持ちになって、蘭蝶って、ひど~い!!って思ってしまう。若いとはいえ、蘭蝶は、そこまでハチャメチャに恋に猛進していかなくても、
奥さんも「粋筋」の人、しっかり働いて、お金に余裕が出来たときに、この糸さんのところに遊びに行けば、なにも怒ったりしないであろう。この糸さんも苦界10年と言われるけれど、その美貌でお大尽からお金を巻き上げ、早く年季が明けたら、廓を出て、三味線の師匠でもしながら、蘭蝶と逢えばいいじゃないか?・・・って思うのだけれど。。。
結局、それじゃ、伝説にならないんだよね(笑)
物語になるくらいだから、えーーーっ、すごーーーい。って思うくらい分別なく、恋に猛進するお話だから、受けたのでしょう。と、いうことは、江戸の昔も、やっぱりみんな、たとえ恋をしても、そこそこ、ぼちぼち、やっていたのでしょう。
分別な恋なんて、ありふれていたってことかな?