千代の日記

鬱病を抱えたお師匠さんの奮闘記 (千代の会のHPはhttp://www.chiyonokai.com//)

花魁の写真

2010年05月02日 | アート・文化

富士松延千代のホームページ http://www8.ocn.ne.jp/~hirake58/

今日は、mixiの「吉原遊郭」のコミュニティーがあり、そこの管理人さんが主催する、幕末から明治大正にかけての遊女の写真上映会がありました。浅草のリバーサイドホール内ミニシアターで。

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新内を愛するものとして、吉原のウンチクは、少々本を読み漁り身につけたつもりの私でしたが、浮世絵だけでなく、「本物の遊女の写真」(幕末、明治大正にかけて)には、理屈を抜きにしたあった圧倒的な「目で見る情報」がありました。当時の本物の遊女の意外と地味で、生活観があるような雰囲気にはびっくりしました。

Pict0050

吉原病院(梅毒の病院)の様子など、本では知っていても、実際の病院の映像にとても心が打たれました。時間が無くて、その後の浄閑寺のお参りコースには参加できませんでしたが華やかな影で、物として扱われた当時の遊女の悲しみも伝わってきました。

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4 コメント

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吉原・花魁というと江戸のことで、絵でしか見られ... (雪世)
2010-05-03 07:58:14
吉原・花魁というと江戸のことで、絵でしか見られないと思いがちだけど、戦後までは存在してたんですよね。
だから写真も残ってるんだ・・・新内の資料としてだけでなく、日本人として知っておくべきモノを見ましたね。
今後の糧になるでしょう。
うらやましいではないかいな~。
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雪世さま>カラー写真じゃないからかも知れません... (延千代)
2010-05-04 17:12:58
雪世さま>カラー写真じゃないからかも知れませんが、思ったほど(映画や、お話で見るより)豪華絢爛な感じでは無かったです。吉原が、文化サロン、社交の場として全盛だったのはやはり江戸だったようです。写真からは、花魁と言う「華」より、春をひさがされていた「悲」をおおく感じました。
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写真に残っている時代の花魁は、もう江戸の頃の「... (雪世)
2010-05-05 09:04:39
写真に残っている時代の花魁は、もう江戸の頃の「ファッションリーダー」「ハイソサエティー相手の高級娼婦」的存在感もなくなって、ただの遊女であったのかもしれませんね。だから、悲哀を感じる写真しか残ってないのかも。
花魁が、心意気を失ったら、悲哀しか残らないのか。その辺も想像すると、江戸時代の花魁を唄っていても、感じ方が変わりますね。
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雪世さま>そうそう、そういった感じはありました... (延千代)
2010-05-05 09:55:06
雪世さま>そうそう、そういった感じはありましたね。江戸中期以降、手軽な岡場所に押されて、どんどん値段がダンピングしてゆき、花魁も文化人の一員としての教養や、意地でなく、売春婦としてのテクニックの方に重点がおかれるようになってゆくのが、非常に残念な感じがしています。世の中、何事も安易な方向に流れやすいのでしょうか・・・・(;;)
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