老Jimnyの独り言

還暦…その日暮らしの呟き

知人の死について

2010-01-31 23:58:55 | 日記
2010年1月31日、日曜日。天気はのち

年が明けてから、一箇月が過ぎようとする夕刻。
私は、とあるセレモニーホールに居た。

久しぶりに礼服を着て、数珠を持ち、香典を携え。
遺影を見詰め手を合わせる。
短い焼香。

遺された奥さんと、子二人。
悲嘆に暮れていた。

ホール全体、悲嘆に暮れていた。



亡くなった方とは、同じ釜の飯を食った訳ではなかった。
歳を知っていた訳でもない。

私が入社した年。
メーデーで組合活動として大津へ行った際、初めて顔を合わせたと思う。

何せ、攻撃的オーラなど微塵もなく、温厚。
斜に構えることもなく、ただマッスグ優しく。

横断的に仕事を頼みに行くなら、最初は「この人」。
そんな、「いい人」を絵に書いたような人だった。

奥さんとは社内結婚された。
つまり、私は奥さんのことも知っている。


その人の死を知ったのは、昨日午後。
横断的な集まりで仕事をしてた時だ。
相方の携帯に、その連絡は入った。

顔を見合わせて、呆然とした。

確か二年前。
仕事場の人間関係で「鬱(うつ)」に陥り、病気休暇中。
噂では、その人の同期と同じ仕事場になったのだが、部下の件で意見が合わず。
その同期の方は攻撃的オーラバリバリ。
板挟みになって、精神的な攻撃を受けていたらしい。

単に「人間関係が原因」では言い表せない状態だったとも聞く。
出社できなくなり、休職。

昨年の年末、偶々奥さんと話す機会があった。
状態は良くなってはきているが、未だ仕事は…。
子どもさん二人は、父親のそんな病気を理解しフォロー。

これから、時間をかけてでも家族そろって、と聞いていた矢先。
悲報を聞くこととなった。



電話連絡でも、そして通夜の場でも死因について語られなかった。
断定はいけないことだが、あの遺族の哀しみ様。

自分としては、自ら生命を絶ったのではないか…。
そう思っている。



人間は、いとも簡単に壊れ、いとも簡単に死ぬのだ。
そう思う。

そんなことを、分からないにせよ、微塵も考えない人が存在する。

性分なのか、それとも意図したものなのか…。
いずれにせよ、崩壊へのスタートがそこにあったのかもしれない。

これは、悲劇としか言いようがない。
ご遺族からすれば、そんな言葉では済まされないだろうが。
「いとも簡単に」が、少しでも分かっていれば…。

避けられたかもしれない。
(仕事場の人権研修くそ食らえ、だ。)



人って奴は…。
ただただ遣る瀬無い週末だった。




(回顧)
今日は、この欄に書く言葉がない。
書く気になれない。

ご遺族の哀しみは、計り知れまい。
ただご冥福を祈るのみである。


少しでも早く、その哀しみが癒えますように。
コメント
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