私は3年前にタバコをやめました。私がタバコをやめたのは、いくつかのきっかけがあったからです。伯母の肺がんがきっかけのひとつです。私がバリバリのスモーカーだった頃、伯母は乳がんを患っていました。年に数回、熊本市内の病院まで通院しなければならず、私が運転手として1泊2日の日程で行っていました。
その後、癌は肺へ転移し、伯母は大学病院で肺の手術をして、肺胞のひとつを切除しました。それから後は、乳がんの病院と肺がんの大学病院の2ヶ所を回らなければなりませんでした。
片道3時間の車中、いつも私は普通にタバコを吸っていました。一応、伯母に「タバコ吸ってもよかですか?」と了解をもらっていました。
ところが、肺がんを患った後、伯母は私の「よかですか?」の問いかけに返事をしなくなってしまいました。往路、どうしても我慢できなくて、車中で1本だけ了解なしに吸ってしまいました。すると伯母は以降、車中での会話に応じませんでした。
私はそれがひとつの負い目になり、何とかタバコをやめられないかと模索するようになりました。また、親交のある先輩が昔ヘビースモーカーで、今は肺気腫を患っていて、二人で出掛けるときは非喫煙になっていました。先輩からは「ひろじい、タバコ美味いだろ。吸える今のうちに吸っとけ」と言われていました。さらに、私自身も人間ドックで肺活量が少ないことが分かり、このままでいると肺機能が落ちてしまうと言われ、大きなきっかけになりました。それが3年前の初夏でした。
タバコを吸いたい気持ちは分かります。私はタバコの匂いは嫌いではないのです。パチンコ屋さんで隣の席の人がタバコを吸っても気になりません。「なつかしい」と感じてしまいます。
一方、タバコをやめた後に気付いたこともあります。やればできるものだと思いました。そして、吸う人と吸わない人の違いが分かるようになりました。
喫煙と非喫煙について、どちらが良いかと問われれば、非喫煙が望ましいと思います。私は当時、KOOL言う銘柄を吸っていました。1日20本程度でした。
何度も禁煙にチャレンジした経験を持っていました。電子タバコも吸いました。ニコレットガムも噛みました。ニコチンパッチもつけました。で、意志薄弱の私は禁煙への強い意志を持ち続けることは難しいと言うことが分かりました。
そして、医者のチカラを貸りて楽にやめようと思い、島内の病院を探して1ヶ所だけあった薬を使う治療を受けることにしました。その医院の初診のときの院長の言葉は今でも印象深く残っています。「世の中にはタバコを吸う人間とタバコを吸わない人間しかいない」という、タバコを基準にした人間の分別でした。
私は「吸わない人間」になるために、チャンピックスというファイザー製薬の薬を使いました。ほぼプログラムどおりに事は進み、9月初旬、吸わない側になりました。タバコはニコチン依存で害悪の典型だと教えられ、私は「そうなのかなぁ、吸う側の気持ちも察して欲しい」と思っていました。が、やめてみたいという願望が勝り、治療のための指示には従いました。非喫煙になって一番喜んだのは母でした。そして伯母も、弟妹甥姪も、友達もみんな喜んでくれました。
「絶対やめてやる」という気負いではなく、「やめてみようかな」という気分で取り組みました。タバコは百害あって一利なしと言われますが、私は三利ぐらいはあると思います。決して喫煙を勧めるものではありませんが、吸い始めた人たちを責める気持ちにはなりません。私は若い頃真面目だったので、20歳になってからタバコを吸い始めました。そして30年、ずっと吸い続けてきました。
もちろん、人間ドックや健診など、検査前の食事や喫煙を禁じられているときでも、タバコだけは我慢せずに吸っていました。当然、禁煙トイレでも、歩きタバコもやりました。我慢できないからです。周囲に迷惑をかけるかどうかまでは気が回らないこともあります。喫煙は究極のワガママでもあり、自己責任だと思います。吸いたいなら吸う、吸いたくないなら吸わない。ただし、吸うときはマナーをわきまえることです。可能なら、非喫煙をオススメします。
その後、癌は肺へ転移し、伯母は大学病院で肺の手術をして、肺胞のひとつを切除しました。それから後は、乳がんの病院と肺がんの大学病院の2ヶ所を回らなければなりませんでした。
片道3時間の車中、いつも私は普通にタバコを吸っていました。一応、伯母に「タバコ吸ってもよかですか?」と了解をもらっていました。
ところが、肺がんを患った後、伯母は私の「よかですか?」の問いかけに返事をしなくなってしまいました。往路、どうしても我慢できなくて、車中で1本だけ了解なしに吸ってしまいました。すると伯母は以降、車中での会話に応じませんでした。
私はそれがひとつの負い目になり、何とかタバコをやめられないかと模索するようになりました。また、親交のある先輩が昔ヘビースモーカーで、今は肺気腫を患っていて、二人で出掛けるときは非喫煙になっていました。先輩からは「ひろじい、タバコ美味いだろ。吸える今のうちに吸っとけ」と言われていました。さらに、私自身も人間ドックで肺活量が少ないことが分かり、このままでいると肺機能が落ちてしまうと言われ、大きなきっかけになりました。それが3年前の初夏でした。
タバコを吸いたい気持ちは分かります。私はタバコの匂いは嫌いではないのです。パチンコ屋さんで隣の席の人がタバコを吸っても気になりません。「なつかしい」と感じてしまいます。
一方、タバコをやめた後に気付いたこともあります。やればできるものだと思いました。そして、吸う人と吸わない人の違いが分かるようになりました。
喫煙と非喫煙について、どちらが良いかと問われれば、非喫煙が望ましいと思います。私は当時、KOOL言う銘柄を吸っていました。1日20本程度でした。
何度も禁煙にチャレンジした経験を持っていました。電子タバコも吸いました。ニコレットガムも噛みました。ニコチンパッチもつけました。で、意志薄弱の私は禁煙への強い意志を持ち続けることは難しいと言うことが分かりました。
そして、医者のチカラを貸りて楽にやめようと思い、島内の病院を探して1ヶ所だけあった薬を使う治療を受けることにしました。その医院の初診のときの院長の言葉は今でも印象深く残っています。「世の中にはタバコを吸う人間とタバコを吸わない人間しかいない」という、タバコを基準にした人間の分別でした。
私は「吸わない人間」になるために、チャンピックスというファイザー製薬の薬を使いました。ほぼプログラムどおりに事は進み、9月初旬、吸わない側になりました。タバコはニコチン依存で害悪の典型だと教えられ、私は「そうなのかなぁ、吸う側の気持ちも察して欲しい」と思っていました。が、やめてみたいという願望が勝り、治療のための指示には従いました。非喫煙になって一番喜んだのは母でした。そして伯母も、弟妹甥姪も、友達もみんな喜んでくれました。
「絶対やめてやる」という気負いではなく、「やめてみようかな」という気分で取り組みました。タバコは百害あって一利なしと言われますが、私は三利ぐらいはあると思います。決して喫煙を勧めるものではありませんが、吸い始めた人たちを責める気持ちにはなりません。私は若い頃真面目だったので、20歳になってからタバコを吸い始めました。そして30年、ずっと吸い続けてきました。
もちろん、人間ドックや健診など、検査前の食事や喫煙を禁じられているときでも、タバコだけは我慢せずに吸っていました。当然、禁煙トイレでも、歩きタバコもやりました。我慢できないからです。周囲に迷惑をかけるかどうかまでは気が回らないこともあります。喫煙は究極のワガママでもあり、自己責任だと思います。吸いたいなら吸う、吸いたくないなら吸わない。ただし、吸うときはマナーをわきまえることです。可能なら、非喫煙をオススメします。