◎イスラーム 5
★ムハンマド
●マッカとの対決
○バドルの戦い(624年)
・ムハンマドに率いられたムスリム勢約300名は先に現場に着き、マッカ勢約1000名を迎え撃ち、ムスリム側が勝利した
○ウフドの戦い(625年)
・マディーナ郊外のウフド山麓で行われた
・はじめはムスリム軍が勝ったが、山上に陣取った弓隊が自分たちの勝利と早合点し、戦利品獲得に遅れまいと持ち場をすてた。
そこでマッカ軍が反攻に出て、ムスリム軍は勝利をのがした
ムハンマド自身が負傷したという
○部族連合の戦い(ハンダクの戦い)(627年)
・マッカ側はアラビア半島全体から連合軍を結集した
ムスリム軍はマディーナの北側に20キロにも及ぶ塹壕を掘って、籠城した
部族連合軍は攻めあぐね、戦利品もなく、諸部族は次第に脱落し、包囲戦は失敗に終わった
・628年には、ムハンマドが約1500名の兵を率いてマッカに向かうが、対決をさけてマッカ側とフダイビアの和約を結び、10年間の休戦と翌年のマッカ巡礼を約束させた
○630年、ムハンマドは2万の軍勢を率い、マッカに無血入城した
カーバ神殿の偶像は「黒石」を除いて残らず破壊した
★カーバ聖殿
「カーバ」は立方体の意味で、もとは聖なる黒石(隕石?)の囲いであった
伝承によれば、アダムが最初に建立し、ノアの洪水で流されたのちにアブラハムがその子イシュマエルと共に再建したとされている
アブラハムは唯一神を拝せるよう、礼拝の方向を示す直方体の聖殿を建てたという
伝承によれば、黒石はアダムの時代に地上に送られ、始めは白かったが、人間の罪が増すに従って黒くなったという
その後、異教の神々の聖所となっていたのをムハンマドが今日のカーバにした
現在、黒石は東側の角の壁にはめこまれている
カーバ聖殿には神像があるわけではなく、中はがらんどうである
カーバは高さが約15m、側面が約10×12mの建物で、黒い布キスワでおおわれている
キスワにはクルアーンの言葉を金色の糸で刺繍した飾りがほどこされている
アッラーは方向を持たず、カーバ聖殿の中に住んでいるというわけではなく、人間が礼拝するのに方向を必要とするからカーバが建てられたのである
・カーバの周囲およびそれを囲む建物を「ハラーム・モスク」という
「ハラーム」とは、「禁じられた」という意味で、このモスクの中では、殺生や争いが禁じられる
○632年、ムハンマドはマッカ巡礼を行うが、それが最後の巡礼となった(「別れの巡礼」と呼ばれる)
「別れの巡礼」の数ヶ月後、高熱と激しい頭痛に悩まされたのち、632年6月8日、妻アーイシャ(アブー・バクルの娘)の膝を枕に息を引き取った(63歳)
○ムハンマドは明確な後継者を指名せずに亡くなった
★ムハンマド
●マッカとの対決
○バドルの戦い(624年)
・ムハンマドに率いられたムスリム勢約300名は先に現場に着き、マッカ勢約1000名を迎え撃ち、ムスリム側が勝利した
○ウフドの戦い(625年)
・マディーナ郊外のウフド山麓で行われた
・はじめはムスリム軍が勝ったが、山上に陣取った弓隊が自分たちの勝利と早合点し、戦利品獲得に遅れまいと持ち場をすてた。
そこでマッカ軍が反攻に出て、ムスリム軍は勝利をのがした
ムハンマド自身が負傷したという
○部族連合の戦い(ハンダクの戦い)(627年)
・マッカ側はアラビア半島全体から連合軍を結集した
ムスリム軍はマディーナの北側に20キロにも及ぶ塹壕を掘って、籠城した
部族連合軍は攻めあぐね、戦利品もなく、諸部族は次第に脱落し、包囲戦は失敗に終わった
・628年には、ムハンマドが約1500名の兵を率いてマッカに向かうが、対決をさけてマッカ側とフダイビアの和約を結び、10年間の休戦と翌年のマッカ巡礼を約束させた
○630年、ムハンマドは2万の軍勢を率い、マッカに無血入城した
カーバ神殿の偶像は「黒石」を除いて残らず破壊した
★カーバ聖殿
「カーバ」は立方体の意味で、もとは聖なる黒石(隕石?)の囲いであった
伝承によれば、アダムが最初に建立し、ノアの洪水で流されたのちにアブラハムがその子イシュマエルと共に再建したとされている
アブラハムは唯一神を拝せるよう、礼拝の方向を示す直方体の聖殿を建てたという
伝承によれば、黒石はアダムの時代に地上に送られ、始めは白かったが、人間の罪が増すに従って黒くなったという
その後、異教の神々の聖所となっていたのをムハンマドが今日のカーバにした
現在、黒石は東側の角の壁にはめこまれている
カーバ聖殿には神像があるわけではなく、中はがらんどうである
カーバは高さが約15m、側面が約10×12mの建物で、黒い布キスワでおおわれている
キスワにはクルアーンの言葉を金色の糸で刺繍した飾りがほどこされている
アッラーは方向を持たず、カーバ聖殿の中に住んでいるというわけではなく、人間が礼拝するのに方向を必要とするからカーバが建てられたのである
・カーバの周囲およびそれを囲む建物を「ハラーム・モスク」という
「ハラーム」とは、「禁じられた」という意味で、このモスクの中では、殺生や争いが禁じられる
○632年、ムハンマドはマッカ巡礼を行うが、それが最後の巡礼となった(「別れの巡礼」と呼ばれる)
「別れの巡礼」の数ヶ月後、高熱と激しい頭痛に悩まされたのち、632年6月8日、妻アーイシャ(アブー・バクルの娘)の膝を枕に息を引き取った(63歳)
○ムハンマドは明確な後継者を指名せずに亡くなった