ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎ひとりカラオケとコンプレックス 4.18

2015-04-19 07:23:17 | カラオケ
◎ひとりカラオケとコンプレックス 4.18

○ひとりカラオケに

・私はインドア派なので、休日はあまり外出したくない

 さくちゃんの握手会やライブのときは別ですけど

 カラオケは部屋に入ってしまえば、インドアやから
 毎週行きたいとこやけど、のどを休めんとあかんから
 毎週はやめときますわ

・「背番号のないエース」95.211点
 今、一番好きな曲

・「トゥルー・ラブストーリー」94.925点
 仲間由紀恵さんが、歌手デビューしていたことは知られているのかな?
 仲間由紀恵さんのファンクラブに入っていました

・「花の首飾り」95.249点
 今まで何回歌ったかわからない

・「回遊魚のキャパシティ」93.561点
 お気に入りの曲だけど、なかなか点が伸びないな

・久しぶりにアグネス・チャンの曲を歌ったら、以前出なかった94点台が出てうれしかった
 「美しい朝がきます」94.088点
 「星に願いを」94.464点

・「彼女」93.866点
 さくちゃんのことを意識しすぎて、点が伸びません

○今回は38曲歌ってしまった
 4時間近く、あっという間やね
 私は、歌を歌うとき、緊張したことがありません
 楽しみがさきで

 なぜ、歌が好きなのか、その理由のひとつは、歌うときにはスラスラ言葉が出るからです

コンプレックスはカミングアウトしたら楽になるのだろうか?

 私のコンプレックスのひとつは、どもること、「吃音」です
 何が原因かわかりませんが、小学生のころから本を音読するとき、言葉がつかえて出ないことがよくありました
 会話するときはふつうなのですが、人前で話すときや、本を読むときは言葉がつまる
 人前で本を読むことは、恐怖すら感じるのです
 だから、国語の時間は大きらいで、苦痛でした
 現在はだいぶ治りましたが、本を音読することは苦手です

うまく言葉が出るのは、ひとつは法華経の経文を読んだとき
 不思議なことに、少しもどもらずにスラスラ言葉が出てくるのです
 ふつうの本はうまく読めないけど、法華経の経文を読んでいるときだけは治っている
 現証というか、仏法というのは不思議なものだ

・もうひとつは、歌を歌うときには、どもらない
 ゆえに歌うことが好き

明治座公演

・さくちゃんは主演の「阿国」なんやね

 宝塚のトップスターみたいな衣装のところもあるんやね

 少し夢がかなったんやね

 がんばってきてよかったね

 まだまだ成長するんやね
 

◎イスラーム 5

2015-04-15 00:08:42 | 宗教
イスラーム 5

★ムハンマド

マッカとの対決

○バドルの戦い(624年)
・ムハンマドに率いられたムスリム勢約300名は先に現場に着き、マッカ勢約1000名を迎え撃ち、ムスリム側が勝利した

○ウフドの戦い(625年)
・マディーナ郊外のウフド山麓で行われた
・はじめはムスリム軍が勝ったが、山上に陣取った弓隊が自分たちの勝利と早合点し、戦利品獲得に遅れまいと持ち場をすてた。
 そこでマッカ軍が反攻に出て、ムスリム軍は勝利をのがした
 ムハンマド自身が負傷したという

○部族連合の戦い(ハンダクの戦い)(627年)
・マッカ側はアラビア半島全体から連合軍を結集した
 ムスリム軍はマディーナの北側に20キロにも及ぶ塹壕を掘って、籠城した
 部族連合軍は攻めあぐね、戦利品もなく、諸部族は次第に脱落し、包囲戦は失敗に終わった

・628年には、ムハンマドが約1500名の兵を率いてマッカに向かうが、対決をさけてマッカ側とフダイビアの和約を結び、10年間の休戦と翌年のマッカ巡礼を約束させた

○630年、ムハンマドは2万の軍勢を率い、マッカに無血入城した

 カーバ神殿の偶像は「黒石」を除いて残らず破壊した


カーバ聖殿

 「カーバ」は立方体の意味で、もとは聖なる黒石(隕石?)の囲いであった

 伝承によれば、アダムが最初に建立し、ノアの洪水で流されたのちにアブラハムがその子イシュマエルと共に再建したとされている
 アブラハムは唯一神を拝せるよう、礼拝の方向を示す直方体の聖殿を建てたという
 伝承によれば、黒石はアダムの時代に地上に送られ、始めは白かったが、人間の罪が増すに従って黒くなったという
 その後、異教の神々の聖所となっていたのをムハンマドが今日のカーバにした
 
 現在、黒石は東側の角の壁にはめこまれている
 カーバ聖殿には神像があるわけではなく、中はがらんどうである

 カーバは高さが約15m、側面が約10×12mの建物で、黒い布キスワでおおわれている
 キスワにはクルアーンの言葉を金色の糸で刺繍した飾りがほどこされている

 アッラーは方向を持たず、カーバ聖殿の中に住んでいるというわけではなく、人間が礼拝するのに方向を必要とするからカーバが建てられたのである

・カーバの周囲およびそれを囲む建物を「ハラーム・モスク」という
 「ハラーム」とは、「禁じられた」という意味で、このモスクの中では、殺生や争いが禁じられる

○632年、ムハンマドはマッカ巡礼を行うが、それが最後の巡礼となった(「別れの巡礼」と呼ばれる)
 「別れの巡礼」の数ヶ月後、高熱と激しい頭痛に悩まされたのち、632年6月8日、妻アーイシャ(アブー・バクルの娘)の膝を枕に息を引き取った(63歳)

ムハンマドは明確な後継者を指名せずに亡くなった

◎イスラーム 4

2015-04-08 23:36:04 | 宗教
イスラーム 4

★ムハンマド

ヒジュラ(622年)

・ムハンマドは新天地を求めて、マッカの東方約60キロのターイフの町で布教を試みるが失敗した


・マッカの北方約350キロのところにヤスリブという町があった

・7世紀の初めには、土地をめぐって8つのアラブ氏族の間で争いがたえず、アウス族とハズラジュ族が対立していた

・620年、ヤスリブからの巡礼者6名がムハンマドの教えに感服し、ムハンマドがヤスリブの混乱を鎮めることができると確信する
 621年、これら6名のうち5名が別の7名を連れて、再びヤスリブにやってきてムハンマドに会い、ムハンマドを預言者と認め、ムハンマドに服従し、罪をさけることを誓う(「第一のアカバの誓い」)
 622年、マッカ巡礼にきた75名は、ムハンマドを預言者と認め、罪をさけるだけではなく、神と預言者のために身命を賭して戦うことを誓った(「第二のアカバの誓い」)

○部族間の対立の調停者として、ムハンマドにヤスリブへ移住して問題を裁いてほしいと申し出があった
 ムハンマドは、次の条件などが満たされればそうしようと約束した
1 ムハンマドの家族と信奉者が共に移住できること
2 彼らがそこで生活手段を見つけるまで支援されるべきこと
3 彼らはヤスリブの1人前の市民として考慮されるべきこと
 もしマッカ住民とその同盟者が攻撃してきた場合には、ヤスリブのすべての者はムスリムの側に立って戦うべきこと

 ヤスリブから来た代表団は、この条件に同意し、こうしてマッカからヤスリブへの密かな移住が始まった
 まず70名の信徒が出発し、最後にムハンマドとアブー・バクルがヤスリブに「移住」した

○この移住は「ヒジュラ(偉大な移住)」と呼ばれ、通例「聖遷」と訳されている

ヒジュラ暦

・ムハンマドの死後、第2代カリフ、ウマルの時代に、ヒジュラを起点とする暦、ヒジュラ暦を採用した
 622年7月16日をヒジュラ暦元年1月1日とする

・ヒジュラ暦は1カ月を29日か30日とする太陰暦で、1年は354日または355日であるため毎年、各月と季節はずれていく

 第9月の月の名がラマダーン(「暑い月」)である

 ラマダーンには「断食」の意味はない

 ラマダーンには、病人、旅行者などを除くすべてのムスリムは、夜明前の祈りから日没まで飲食を断ち、夫婦の交わりを慎むなどの禁欲が義務とされる

 礼拝は夜明前(ファジュル)、正午を少し過ぎた頃(ズフル)、午後(アスル)、日没後(マグリブ)、夜(イシャー)の5回行われる

・「日の出から日没まで断食が行われる」とよく説明されるが、「日の出から」というのは間違いである

 東の地平線から太陽の光が差し込む時間をファジュルといい、ファジュルのアザーン(礼拝の呼びかけ)を聞いた段階で断食(サウム)が始まる
 ファジュルの時にはまだ太陽は地平線の下にあり、見えない位置にある
 地平線に太陽が現れる、日の出の時間(シュルーク)はファジュルの後であり、日の出の時には、もうとっくに断食は始まっている

 日没を告げるアザーンが聞こえたら、断食は一時的に解禁となり、翌日の断食が始まるまで、大量の食事をとる

 ゆえに、ラマダーンの1か月で裕福なムスリムは夜中にごちそうを食べるから、さぞ太ることだろう

○ヒジュラはまた、社会的宗教としてのイスラームの開始も表している

マディーナ

・ヤスリブはマディーナ・アン=ナビー(預言者の町)、略してマディーナ(町)と呼ばれることになった
 メディナはマディーナのなまり

◎イスラーム 3

2015-04-06 23:48:29 | 宗教
イスラーム 3

★ムハンマド

マッカ期

・ムハンマドが布教をはじめるのは、613年ごろからで、亡くなったのは632年6月8日(63歳)である

・マッカでの布教は13年に及ぶ。マッカ期と呼ばれる

マディーナ(メディナはマディーナのなまり)に移住してからの10年間の布教はマディーナ期と呼ばれる

・クルアーンの啓示も2期にわけてマッカ啓示、マディーナ啓示と呼ばれる

・クルアーンはほぼ長い章から順に配列されている

クルアーンはほぼ年代順と逆に配列されている
 したがって、クルアーンのはじめのほうにはマディーナ啓示、終わりのほうにはマッカ啓示が多く配列されている

・啓示は23年にわたって、徐々になされて、当時は最後まで全体像は見えなかった
 ムハンマドは啓示のたびに、章句の順番の位置を指定したという

 章の順番について、1つの説では、ムハンマドがすべて指定したとする
 もう1つの説では、おおむねの指示はあったが、最終的な形はムハンマドの死後確定されたとする

・マッカ期のころは、まだ日に5回の礼拝は定められていない

・はじめはムハンマドの近親者、友人などを対象に布教が行われた
 最初に入信したのは妻のハディージャである
 次に入信したのは、富裕な商人であったアブー・バクルであるという
 アブー・バクルはムハンマドの死後、最初の後継者(ハリーファ、なまってカリフ)となった

・マッカのカーバ神殿にはそれぞれの部族が信奉する偶像を祀っていた
 ムハンマドの興した新宗教は、先祖伝来の多神崇拝を否定し、唯一神の信仰を提唱するものだった

 弱い人、貧しい人を助け、慈善をすすめるものであったから、初期の信者の大半は女性や奴隷や貧乏人であった

 貧しい者が守られない現状に批判的であったから、クライシュ族の富裕な有力者たちから迫害や妨害が行われるようになった
 やがてクライシュ族によるハーシム家一族のボイコットにいたる

 619年に妻ハディージャとムハンマドを庇護してきた伯父のアブー・ターリブが亡くなった

 ムハンマドのマッカでの布教は危機におちいった

◎ひとりカラオケ 4.4

2015-04-05 21:49:14 | カラオケ
ひとりカラオケ 4.4

★「背番号のないエース」が歌いたくて、カラオケに

・「背番号のないエース」94.560点
 まだメロディを完全に覚えていないので、音程がおかしいところがある
 いい曲なので、歌っていて気持ちいい
 この曲はもとのキーのままではとても歌えないので、キーをかなりさげて

・「彼女」93.866点
 さくちゃんの曲で、りきみすぎて、歌うたびに点がさがってしまった
 ちゃんと歌えるようになりたいな

あと、練習してるのは
・「悲しみは雪のように」92.324点
 いい曲やね

あと、「回遊魚のキャパシティ」とか「花の首飾り」とか、今の平均点は93点台
自分で言うのも何やけど、去年より少し上達したみたい

次の目標は、ふつうに95点台が出せるようにすること
音程正確率では98%とか出ますけど、熱唱度などがあまり出ない
やはり、練習量がいるんやね

11歳の女子小学生のチャンピオンが100点にちかい99点台を出していて、末おそろしい
すごく素直な歌い方だが、子どもの歌い方とは思えないすばらしいものやね

今の子どもはどんどん進化してるんだ