木曜の夜のニュースや、金曜の朝刊で、
自殺を図り意識不明状態が続いた長男を母親が刺殺した事件の判決のことを目にしました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100423-00000053-yom-soci
報道によると、昨年7月、亡くなられた長男が、勤務先で自殺を図ったが、病院に運ばれ一命はとりとめた。ただし、医師からは意識回復の見込みはほとんどなかったと言われ、健康保険組合からは自殺の場合は保険の対象外になると告げられていた(同月末までの医療費は約500万円に上るのだとか)。
しかもその長男の妻が医師に「私が呼吸器を外します」と言って泣き崩れていた状況の中、自殺未遂から10日後、母親が長男の左胸を出刃包丁で刺し、殺害した。
そんな事件なのだそうです。
いたたまれないというか、何というか・・・
この事件がまた、裁判員裁判だったそうなんですが、
裁判員云々を抜きに、殺人という罪を裁くことはできても、本当の意味で、この事件を裁くことはできないんじゃないか、そんなことを感じています。
裁判長は「犯行は短絡的だが、同情の余地が多々ある。実刑にはちゅうちょを覚える」とおっしゃったらしいですね。
殺人という人として本来、許されざる行為に及んだことは『短絡的』であると、
そんな解釈なんでしょうが、ボクはそんな風には言えません。
自殺という行為に及んだ我が子、回復の望みはほとんどなく、
治療費は日に日にかさみ、その子の妻も悩んでいる、
そんな10日がどんな10日だったのか・・・
自分にはとても、短絡的な思考が許されるような状態とは思えなんですよ。
まぁ、そうとでもしておかないと実刑としない理由にならないのかも知れませんが。
宮部みゆきの『楽園』の世界観を思い出させられました。
わが子を殺害した両親、“出来損ない”の子を守る家族と周囲・・・
「人びとが求める楽園は常にあらかじめ失われている」のだ。
クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』の世界にも通じていますよね。
そこには、正義も正論も、正解も正気もないんではないか、
ボクらは事実・現実を嘆くこと、
そして、大切な人を失った被害者でもある人たちを温かく迎えてあげること、
そんなことくらいしかできないんでしょうね。きっと。
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さて、今日は昨日の雨があがって、いい天気。日差しは暖かいけれど、空気は昨日までと同じで、まだ冷たくて、夜は肌寒い感じです。
それでも、ソメイヨシノの桜並木はすっかり葉桜で、緑が清々しい感じになって、
ハナミズキの並木通りは、満開の花できれいでしたよ。
一番派手に咲いていたのは、やっぱり八重桜でしょうか。ちょうど見ごろです。
ベランダの花も咲きそろってきた感じです。
春ですね。
頭の回転が素晴らしいと思います。
このケースは同情の余地が多く判断不能です
が裁く立場の人も大変でしょう。
世の中には特殊なケースがあると言うことで
私は納得していますが。
特殊なケース・・・いろいろとありますよね~
罪である以上は、誰かが裁かざるを得ず、
ボクらにはどうにも、、、
難しいことだらけです。