週末のニュースの話題は、厚生労働省の元局長の冤罪・・・
と思っていたら、扱いは元?芸能人の保護責任者遺棄致死の裁判のほうが大きかったり(苦笑)、、、
どうなんでしょうね。このマスコミの変わらぬ姿勢。
当然のことながら、犯罪は悪であり、その罪は裁かれ、その罪を犯した者には罰を与える、これが今の日本社会の常識です。
ただし、罪を裁き、罰を決めるのは裁判によってのみであり、ボクらではなく、ましてやマスコミでもなく、残念ながら被害者でもその家族でもない、これは日本の社会のルールだと思うんです。もちろん、ボクらが自分自身で、その罪を憎み、その犯罪者を軽蔑することは自由であることも当然のことです。
今日の新聞の社説では、検察捜査の杜撰さと、その捜査のあり方を問うような内容が多かったようですね。ボクが読んだ数社の社説は正論だと思いましたし(ほとんど同じような内容でしたが・苦笑)、特に補足する意見もなく、控訴よりも検証を急ぐべきであるという提言には全面的に賛成です。
一方で、マスコミの報道はどうだったんでしょうね?
検察捜査の杜撰さと同様に、マスコミの報道も杜撰であったとボクは感じます。
読売新聞の社説には、このような内容がありました。
事件捜査では、容疑事実を裏付けるため、関係者の証言や物的証拠を十分に集めた上で起訴するのが基本だ。
事件報道でも、容疑事実を裏付けるため、関係者の証言や物的証拠を十分に集めた上で報じるのが基本ではないでしょうか。
容疑事実は何で、それを裏付ける客観的な事実は何なのか?
事実として、逮捕や警察や検察の発表する容疑を報道することはやむを得ないとしても、少なくとも、報道する側の責任として、容疑事実を整理して、自ら裏付ける客観的な事実を掴むくらいはやってほしいですよね。難しいんでしょうが。。。
強制捜査、事情聴取、逮捕、起訴・・・
決して望ましいことではないと思いますが、無実の人にこうした容疑がかかることは、人がやることですから、ある程度は起こり得るとボクは思います。
しかしながら、日本の社会が、警察や検察の捜査方針に乗っかった一方的な想像を中心にしか事件を知ることができないのは不幸ですよね。
どうにかならないものでしょうか・・・
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