九州電力のいわゆる「やらせメール」問題に続き、今度は福島・南相馬市のある農家による汚染牛出荷問題が話題になっています。
どちらも全く擁護する気にはなりませんが、「自分の職務に忠実」という点では日本人らしい?(もしかしたら人間らしい?)問題のようにも感じます。九電のケースで言えば、こういうときに会社のために泥をなめれるくらいのロイヤリティを持つ人材を育てるのが日本の会社の良さであるように言われていた時代もあったわけですし、農家のケースで言えば、牛も家族であり、せっかくここまで育てたわけですから、単に殺処分されてしまうのではなく、何とか肉牛として次の人の手に渡したいと思うのも分かる気がします。
でも、それぞれやってしまったことは、プロとしては最悪の行為で、九電は(自社だけではなく、東電なども含めて複合的に)安全で・安定的な電力供給の信頼を損ねてしまうことになり、某農家は和牛の誇りと信頼を揺るがせて、本当の風評を日本中に広めてしまう結果になっています。
実に残念。
でも、単純にはなかなか非難できないのも事実でしょう。
九電は九電としての企業活動があり、社員や取引先、そしてそれぞれの家族がいて、早急な業績回復(=電力供給量の回復=原発再稼動)が必要だと考えたわけでしょう。農家は農家として、当然のことながら牛一頭一頭に彼らの生活がかかっているわけです。
自分たちが同じ立場なら、そうしない決断ができたのか???
こうしてキーボードでは非難できますが、実に悲しく、辛い話ですよね。
これも震災ではないか、と私は感じています。
一方で・・・
こうした問題を九電のメールだけ、あるいは副社長、さらには課長級社員の個人の責任・問題とすることはできるか?
放射能で汚染された牛肉をこの農家だけ、あるいは原因と言われる飼料を使っていた農家だけ、さらにはその地域の牛肉だけの問題とすることはできるか?
実は多くの人が私と同じことを感じているのではないかと思います。
でも、政府もマスコミも何も言わない・・・きっとほとんどの人がそうは思っていないだろうと思い込んでいるのではないかと思うくらいの限定的な報道に終始していますよね。
これは九電や南相馬市の某農家以上に罪深いことのように感じます。なぜなら、彼らは「自分の職務に忠実」ですらないわけですから。
こうなると、私たちは「自分の職務」なんて小さなことは棚に上げて、日本という国の信頼・信用、誇り、国土を未来に残すという「日本人としての責任」、さらには元気な子孫による末永い発展に貢献するという「人間としての使命」に立ち返る必要があるように考える今日この頃です。
誉めていただき、ありがとうございます。
私たちは、日本の、あるいは地球の歴史からすれば、この一瞬でしか判断のできない、極めて限定的な好き嫌いの区別をするしかないんですよね。
moto金田浩さんの「古来からその字があるのだから」という納得は、う~んと深くうなずかされました。おっしゃる通りかもしれませんね。
そういうもののように、私も感じました。
そして、実は長い歴史の中で、私たちは納得したり、諦めたり、闘ったり、そういう無常の流れに任せるしかないようにも思えました。
私も善悪の区別は出来ませんが
各々その立場がありますし
なかなか難しいと思います。
昔、どうしてか世の中矛盾が多いの
はと考えたとき矛盾という字がある
なに古来からその字があるのだから
あるのだと変に納得した頃が、、(笑)