「サザエさん症候群」とは、ご存知の方も多いと思いますが、サラリーマンなどが日曜日の夜になって憂鬱になる現象のこと。これを日曜夜の定番・サザエさんにちなんで、サザエさん症候群と呼ばれるようになったわけです。
実際に、人事の仕事で目にすることになるメンタル疾患の多くは日曜から月曜日にかけての不調が前兆だったりするんです。一様にサザエさん症候群なんて言いますが、単にサボりたいなどの笑い話で済むような症状であることもあれば、深刻なケースの可能性もあります。5月は特に、以前から「5月病」と呼ばれるような精神的な不調が起きやすい時季でもあります。日曜の夜や月曜の朝が、かなりつらいと思うようであれば(不眠などの症状に顕れているのであれば特に)、一度、専門の医者にかかることも必要ですので、「サザエさん症候群」という、ある意味、暢気な名前に惑わされずにしてほしいです。もちろん、大事なのは症状で、サザエさんを見ているか否かということではないですから。
そういう意味では、サザエさん症候群は、なぜ「サザエさん」なのか?
当然のことながら、全員が全員、サザエさんを見ているわけではないと思うのですが。やっぱりこの手の話は、日曜の夜の数々の定番・・・ちびまる子ちゃんでも、鉄腕DASHでも、笑点でも、からくりTV等などでもなく、サザエさんなんでしょうね。
自分自身も子どもを授かって、仕事も変わって週末、家にいる時間が多くなってからは、サザエさん一家が妙に受け入れ易いものに変わった気がしました。子どもの頃も見ていましたが、大きくなるに従い、いつの間にかサザエさんはイライラする番組の一つになっていたんですが。私の場合には、意識するのもカツオくんから、いきなりお父さん・波平さんに変化しているわけですけど。(マスオさんやノリスケさんではなく・笑)
まさに家族という、生き物としてのヒトの本質から「変化することが必然の、流動的な枠組み」という題材を、変化することなく、固定的に取り扱ってるという「サザエさん」という番組自体が、否が応でも私たちの変化を浮かびださせることになるわけです。
それは翌日からの会社という意味での短期のことでもあり、自分の年齢や立場などの長期のことでもあります。そうした「変化」は、多くの人にとってはやはり避けたいものであり、潜在意識的には怖いものではないかと思うんですよね。「日曜の夜は憂鬱」などという感情論・症状だけではなく、実に的を射た名前だと思います。
話の趣旨は、ここで大きく変わりますが・・・
「家族」は、3.11を経て、見直し・再評価されていく方向もあるんでしょうか。(期待をこめて)
こうした未曾有の災害、経験したことのないような混乱の中、最後はやっぱり家族という認識を改めて持ったのは私だけではないのではないでしょうか。
今日は内田樹先生がこんなtweetをされていました。
http://twitter.com/#!/levinassien/status/69587682027773952
わあ、またまた結婚のご報告が来ました。この2ヶ月で6人目です。震災と原発で、みんな「家庭を持つ」ことの大切さを痛感したんでしょうか。分析しがいのある現象ですね。再来週あたりAERA が特集しますね、きっと。みんな、おめでとう!(^_^)/
内田先生の周囲だけの限定的な現象なのかは分かりませんが、生命の危機を感じることで、このような種の保存・安全確保の行動に向かっていくことは、素人的な考えかもしれませんが理解できるように思いました。
さらには、今読んでいる宮城谷昌光「新三河物語」によって、“家”という価値観を再認識しているところだったりします。
“家”だとか、大家族だとか、そんな話をすると封建的という張り紙をされそうですが・・・核家族よりも、こうした大家族や“家”の歴史のほうが長いわけですから、3.11後の日本のあり方を考えるうえでは一考の価値がありそうです。
↑ 応援のクリックをしていただけると嬉しいです。
嬉しいです。
核家族といわれ、核個人(笑)に
なりつつあったと思っていましたが
嬉しいですよ。
一時的かもしれませんが、生命の危機がヒトとしての本能を呼び覚ますような流れがあるのかもしれません。
少し長い期間をみないと分かりませんが。
家族が見直されるような大きな動きになると良いと私も思いました。