あの震災から早くも3ヶ月以上が経ちました。
大規模な余震は3ヶ月後に来るとか、そんな話もありますが、どうなんでしょう。最近は震災直後のように頻繁に余震が来るわけではなく、すっかり頭から離れたところで、今日のように思い出さされて・・・
何となく、頻繁に小さな余震があるほうがエネルギー放出(プレートの位置の修正)が小出しにあるほうが、しばらく蓄積されて爆発的に大規模余震につながるよリは素人感覚的には良い気もしますが、どうなんでしょうか。いずれにしても、当面は大きな地震への警戒は怠ってはならないことは言うまでもありませんが。
そんな小康状態?にある余震と比較し、福島原発のほうはどうなんでしょうか?
いわゆる「メルトダウン」の発表・報道に代表されるように、「後出し、不毛な定義論、検証なし」(あったとしても、あまり目にすることができない)という実に見事な本質外しの展開で、私もそうですが、多くの人が狐につままれているような状態になっているんではないでしょうか。
でも、一方でネット上では安全説と危険説の結構両極端な話が、両者とも互いの主張をあまり尊重する雰囲気はないまま、すれ違っていっています。最近、私の情報収集の主流はtwitterになってきていて、私はそれぞれの意見を主張されている著名人や、かなり信頼のできそうな中立的な立場の専門家的な人もフォローするようにしていますが・・・
何だか良く分からない・・・
実は、この「何だか良く分からない」が、現時点では正しい科学的推論なのではないか、とも感じています。
そうなると、(ここは極めて個人的な意見なのですが)全く新しい事・事態には、とりあえず恐れを持って注意深く眺めて、出来るだけ避けられるものは避けておくことが賢い対処なのではないかと考えています。そういう意味では、程度問題は別として放射能・原発の安全論には、あまり同意できないのが今の私の立場・意見です。
チェルノブイリとか、スリーマイルとか、あるいはレントゲンやタバコまで、いろいろな比較を目にすることもありますが、そんなの意味あるんですかね?
日本という水をはじめとした自然の恵みを基盤に発展してきた文明・文化に、放射線物質という、私たち日本人はヒロシマなどの例で恐怖を感じても、少なくとも親しみのあるもではない、未知であり、見えないモノがその基盤である水などの自然に浸透していくという、本当に未曾有の事態に遭遇しているわけです。
私はそんな何となくの比較よりも、水俣病や薬害エイズ問題などでの、当事者たち、国や自治体、マスコミ、そして私たち一般の人などが、どんな風に対応してきたのかを、もっと勉強していったほうが良いと考えています。
水俣病や薬害エイズ問題でも、科学者や専門家がそれなりの分析・リスク判断をしたうえで、結果的に何十年も、当事者からすれば未だ終わらない禍根を残してしまったわけですよね。結果論で、賠償を求めることはもちろん、それこそ薬害エイズのように刑事責任を問うこともできたわけですが、でも、当時、その不始末を正面から糺せる人はいなかったという現実は二度と取り返しがつきません。
もしかしたら、2000年問題のように今となれば笑い話の過剰反応になるのか、あるいは不幸な話になってしまうのか・・・現時点では誰にも分からないのではないでしょうか。笑い話は笑い話で、未だ見ぬ孫への昔話として取って置けるわけですし。
だからこそ、
何だか良く分からない・・・
と、恐れておこう、という今日この頃です。
いますもので、参っていますよ。(笑)
いや~本当に訳が分からないですよね。
自分はともかく、子どもはどうなのか???
等々・・・
答えは数年後にしかないのでしょうが。