日経新聞朝刊、一面の連載特集「人口減と生きる」。今日から第五部が始まっています。「危機感をバネに」・・・
生まれる子どもの数が減る、医療や年金などの社会保障の不安定さが増す、マーケットが変わる、、、世界にも類がない「少子高齢化」という構造変化は本当にボクらが望まぬ結果しか生まないのか?
政治家や、マスコミは珍しく足並みをそろえて危機感を煽っています。
量より質、規模より効率。
企業経営では当然のように語られますけど、国となるとそうもいかないものでしょうか。やはりこの問題はよく分かりません。
だけど、政治家にもマスコミにも結果が見えているようで・・・
今日のこの特集の最後に「人口減シミュレーション特集を8月2日に掲載します」と書いてありました。楽しみにしたいと思います。
みなさん、ハローです。ホディです。
ボクが気になっているのは、人口の減少よりも、家族の孤立。
核家族化は今や当然の家族の姿となり、家族の中の「核個人化」とも言うべき更なる孤立が次の流れになっているんでしょう。父親のジャイアンツ戦の居間から離れて、鍵のかかる部屋でテレビはもちろんパソコン、ケータイ、、、ないものは家族の影だけの部屋へ。。。
自由や自己責任、そんなことはボクも分かっていますけど・・・
ところで、金曜日は久しぶりの飲み会でした。
夏のビアガーデンは毎年恒例(?)。長梅雨の今年は趣向を変えて屋内で。
ひとりの女性は新婚でした。
「結婚」には整列乗車のルールはないようで。
気を悪くしたらゴメンナサイ。
帰りの電車でひとり酔っ払いながら、以前、日経ビジネスに出ていた小さな記事を思い出していました。かなり曖昧な記憶なうえに、無意識の脚色があるかもしれませんけど、こんな内容の記事でした。
スウェーデンだったか?どこかの国の学校で「親が決める結婚」についてみんなで話をした。生徒は当然のように「子どもの自由がない」「そんな結婚は悪夢だ」というような反応・・・
そこで、「親が決める結婚」が当たり前のインド(?記憶が曖昧です)の女性がこういう話をした。
「親が決めて当然だ。子どもの恋愛で一生のパートナーを決めてもいいのか。われわれは親としての責任があるから、子どもの結婚を決めるんだ。」
「親が決める結婚」の是非を議論したいわけでもないんですけど、
ふと感じていたのが、「自分の意思で決める結婚」が常識となったのは日本の歴史上、現在以外にあるんでしょうかね?
欧米のことはもちろん分かりませんけど、堺屋さんのテムジンはいわゆる政略結婚でしょうし、日本の歴史上の人物もほとんどそんな感じのような気がします。(無知でスイマセン。詳しい方、教えてください。)
いずれにしても、自由や自己責任だけでは、大勢いる人の中からパートナーを選ぶことはなかなか難しいんじゃないかな。
なんて。
地域が家族だったり、会社が家族だった頃のように、コミュニティの中の人が密だった時代とは違うんですよね。きっと。
だからと言って、「見合い万歳」ということでもないですよ。(念のため)
今日も答えはありませんけど。
最後に冒頭の日経新聞の特集から最後の部分を少し引用します。
ゆとりのある豊かさにはあこがれる。
ただ、待ち受ける未来は甘くない。
無責任な楽観を排し、縮む社会をどう乗り切るのか、自覚して、考えるときだ。
ボクは「縮む社会」よりも、「疎遠な社会」のほうが怖い。
「縮む社会」に身を寄せ合って生きましょうよ。
そうすれば、子も自然に生まれるでしょう。
は権力者でないと意味がないので、むしろ日本の庶民はずっと性に関しては、ゆるゆるだったでしょうね。キリスト教のような厳格なものがないし。
今は十代の性の乱れが問題になってたりするけど、昔はごく普通のこと。時代によって道徳は変わりますよね。ただ病気や妊娠には気をつけるようにと言いたい。
ところで、レヴィ=ストロースによれば家族制度とは、ただただ「近親相姦」の禁止によって生まれた制度ということになるらしいんだけどhoddyさんはどう思われます?
帰省してましたので、返事が遅れました。
>日本の庶民は・・・
そうなんですか。そう言われてみれば、そんな気もしますね。庶民に政略があったとはボクも思いませんけど、自分の意思で結婚もできていたんでしょうかね?それとも、そもそも結婚という約束自体もゆるゆるだったんでしょうかね?
また、「家族制度」について・・・
“「近親相姦」の禁止”とは、知らないことによって結果的に「近親相姦となることを防止する」という意味でしょうか?つまり「家族」として身近に置くことで、生殖の対象ではないとヒトらしい知能の高さで認識するということ?
恥ずかしながら、レヴィ=ストロースという名前もはじめて聞きましたけど、とても興味のある話です。
ただ、どちらかと言うと、道徳が時代によって変わるように、家族や地域社会のあり方などボクらを取り巻くコミュニティの形や機能、目的も変わりますよね。そういう意味でコミュニティが今後、どのような姿になるのか?、どうあるべきなのか?そういう話が頭の中でこんがらがっているんですよね。
家族制度はあたりまえのようで、考えてみるとふしぎな制度ではないでしょうか。(私もまだ深く考えてはいないのですが)
江戸時代に儒教が入ってきてから、だんだん窮屈なものになっていったと思いますが、それ以前の庶民はわりと適当にやっていたのでは?
レヴィ=ストロースは70年代に世界中でブレイクした文化人類学者で「野性の思考」「悲しき南回帰線」「悲しき熱帯」などの著書で、すべての思想家に影響を与えたといっても過言ではないでしょう。文章もおもしろく今読んでみても新鮮ではないでしょうか。(本棚を探すが発見できず・・)
簡単に言うと西欧中心の歴史観や基準とする見方を粉砕した人です。
家族制度は「贈与システム」の結果であり、「血統を存続させたいという欲望ではなく女の譲渡によって成り立つコミュニケーションの一つである。・・・うーむ
ホント、暑いですね。
家族もどういう姿が良いのか・・・
ボクは疎らであるよりは、少々窮屈なくらいでちょうど良いような気もしますけど。。。抽象的な表現にしかならないですね。
レヴィ=ストロース、面白そうですね。
今度、読んでみます。