忘年会週間が終わりました。
今週はほとんど毎日遅かったですね。今日は終電ギリギリで危うくタクシー帰りになるところでした。気分良く飲んでいると、つい時間を油断してしまいます。
みなさん、ハローです。ホディです。
飲み会まで少し時間があったので、今日は銀座から大手町まで歩いてみました。いろいろな思いを巡らせながら、頭と足がバラバラに歩いた感じです。そのいろいろな思いは、明日にでも書きますか。
酔っ払っては書きたくない話です。
昨日と今日は友人と、前の会社の同期ですけど、飲んでました。昨日はランチも同期と食べていましたので、忘年会週間は同期週間でもありましたね。
同期と一口に言っても、よく話した時期はそれぞれ異なります。共通しているのは、同じ場所で同じ季節を過ごした仲間です。12年前は同じ会社の同じ新入社員として同じ場所にいたんですよね。だけど、いつの間にか人それぞれ、会社もいろいろ、人生もいろいろ。
でも、手はつないでいる。ボクの宝物ですね。
そして、最近のボクは夢を語りたい。誰かに聞いて欲しい。
ブログの効果か?自己陶酔か?それとも別の何か?なのは分かりませんけど、1年前のボクにはあまりない心境です。もちろん誰かに聞いてもらったからどうこうということはありませんけど・・・
今まではそんな意味も目的もないことは避けていましたけど、不思議な心境です。
昨日、ブログも読んでくれているHさんからルビコン川の話について、「本当に教祖になろうとしているのかと思った。」と言われ、アハ!体験。そうだね、半分当たっているなと自分でも思いました。ボクの話は、もちろん宗教のように形は整っていませんけど、信じるものは救われる、みんな仲間じゃないか的な話が多い?ですよね?どうでしょう。
この忘年会週間、昨日今日の同期に限らず、いろいろな人に夢を語り、いろいろな人の話を聞けました。
沢山教わり、良い刺激を受けました。
感謝しています。
今日はもう少し。
ブログでよく話題にする日経ビジネスの「敬天愛人」について。稲盛和夫さんの連載で、西郷南洲(隆盛)の遺訓について書かれている記事です。
今週は「立志」。
南洲翁遺訓
聖賢に成らんと欲する志なく、古人の事跡を見、とても企て及ばぬと云う様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶卑怯なり知徳に優れ、賢明な人物になろうとする志もなく、昔の人の偉業を見て、「自分にはとても真似ができない」と諦めてしまうような心であったら、敵を前にして逃げるよりも卑怯である。
少し引用させていただきました。
「卑怯」というコトバは最近はあまり聞かない気がします。
上手く言えませんけど、法に反するとか、契約に反するとか、もちろん大事ですけど、卑怯か否か、そんなもしかしたら誰にも理解されないかも知れないような価値観を持って生きてみたいです。
もう少し引用します。
道を行うということは、そもそも、苦しいものなのである。
だから、どんな難局においても、成功や失敗を気にせず、死をも厭わない覚悟で立ち向かわなければならない。
何事も上手下手があるし、物事によってはできる人とできない人があって、自信が揺らぐことある。
しかし、人が道を踏むということにおいては、上手下手はなく、できない人もいないのである。
困難を乗り越えようと思うのなら、道を踏む苦しさを楽しむぐらいの心構えが必要である。
道。
人の道、そしてボクの生きる道。
卑怯なことはしたくない(宣言)。
法律でも何でもないですけど、「卑怯」かどうかって判断基準として大切にしたいですよね。
藤原さんの本、読んでみたくなりました。
大勢で、弱いものに、「いじめ」をしてはいけない。それは卑怯だから
藤原正彦さんが、卑怯についてよくふれています。
自分でも時々hobbyってしてしまいます。
R25はボクも愛読しています。
小倉さんの話、面白かったですね。人の話は本当に勉強になります。
まだ、“果報は練って・・・”とまではいかないんですけど。
巻末の「結論はまた来週」というコラムもボクはとても楽しみにしています。こちらも今週は最高でしたネ。
“果報は寝て待て”ではなく
“果報は練って待て”と・・・
きっと、いろいろ考えて行動されているhobbyさんに
ぴったりだと思いながら読んでましたよ(アハハ)