今日(2010.5.25)の日経朝刊、一面のコラム「春秋」より。
マックス・ウェーバーの「職業としての政治」もそんな古典である。この91年前の講演録を読みながら、同じ個所で鉛筆を手にする人が多いのではないか。例えば、「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」(脇圭平訳)というところ。
きのうの本紙に参議院選の立候補予定者348人の一覧が載っている。スポーツや芸能界の名がやけに目につく。選挙だから当選せねば始まらないにせよ、党が彼らに求めるのはただ票を集めることで、堅い板に穴をくり貫く作業ではない。そう毒づいてしかり飛ばされるようなら、かえってうれしいくらいである。
朝からこのような内容を目にして、実に気分が悪くなりました。
立候補者も有権者も、双方を実に馬鹿にした話です。
「スポーツや芸能界の名」だと、政党はただ票を集めることを求めるのか?
そもそも票を集めることを求めない立候補者がいるのか分かりませんが、
親が政治家や、学者、弁護士、それこそテレビで顔を売る現役政治家ならそうじゃないのか・・・
こういうことを言うのなら、現役の政治家で、票だけ集めた後、「堅い板に穴をくり貫く作業」をしていない人を具体的に責めるべきですよね。
これから立候補する(つまりこれから内容を問われる)人を、前職を理由に否定するのは、被選挙権を限定することにつながりかねないと思います。
ボクらが、柔や悪太郎や絶好調男やベンチがバカだと思っている人・・・そのほかにも・・・確かに多い(苦笑)・・・を好き嫌いでつぶやくのとは違うんですから。
「職業としての報道」はどうなっているのか?
週刊ポストでは、官房機密費による新聞社やテレビ局の報道関係者の贈賄について、切り込んでいますよね。
個人的には、その勇気?に敬意を表して、2週連続で購入しちゃいましたけど。
政治家だけではなく、ボクらは職業の本質を見つめなおすタイミングなのかもしれませんね。
がんばりましょう。
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