内閣不信任案の嵐の後に成立した復興基本法。その復興基本法を背景にした復興担当大臣に就任した松本龍氏。
色つき眼鏡での会見もかなり刺激的でしたけど、復興担当大臣になって以降の発言は眼鏡以上に刺激的。各方面で話題になっているようです。
原発事故と同様に大事なことはできるだけ話さない作戦で、最近はすっかりだんまり?の菅首相は、意図せぬ防波堤の出現をどう感じているのか。
毎日新聞 7月4日(月)21時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110704-00000089-mai-pol
東日本大震災の復興を担う松本龍復興担当相が4日、被災地の岩手、宮城両県知事に対する乱暴な発言で陳謝に追い込まれた。6月28日の就任会見で「民主党も自民党も公明党も嫌い」と発言し、1日に陳謝したばかり。防災担当相として震災の政府対応を担ってきた強い自負が、被災県の知事や国会に対する不満につながったとみられるが、発言は知事を通り越し、被災者自身に不快感を与えてしまった。松本氏は菅直人首相の「延命」にも批判的で、周辺は「本音は復興相をやりたくないのでは」と、松本氏が投げやりになり、不満の矛先を菅首相に向けている可能性を指摘する。
今朝は私のtwitterのTLでも、村井嘉浩宮城県知事と松本大臣との会談の様子はかなり話題になっていました。たしかに、私も松本大臣は何を言いたかったのか?さっぱり分かりませんでした。
村井知事の政策に対して具体的な意見を述べるわけでもなく、「ちゃんとしろ」とか、「長幼の序」なんて“指導”は知事の父親じゃないんですから(苦笑)。
言葉遣いについては、本旨ではないので、あまりコメントはしたくないのですが、「国と地方自治体は主従関係ではなく対等なパートナー」という村井宮城県知事に私も一票です。
私的な茶飲み話ならまだしも、公の場では宮城県の老若男女を代表する村井知事も、日本の復興を使命とする松本大臣も、それぞれが大事な役回りを担っているわけで、「長」も「幼」もそこにはなく、そこにあるのは、相互の意見・価値観をどのように調整して、どのように発展させていくか、という本当の政治問題なんですよね。
たしかに、ビジネスの場などでも松本大臣のような感覚・態度で、部下や周囲や取引先に接する人も多いのですが、サラリーマンならまだしも、政治家ですから・・・長幼の序なども含め価値観、意見の異なる人たちをどう意見調整するか、腕を見せてほしかったです。
また、今回の「ドラゴンの恫喝」事故よりも少し前で、すっかり忘れられそうですが、“「民主党も自民党も公明党も嫌い」発言”もなかなかのものです。「長幼の序」の価値観で許される発言なのかは、ぜひご本人から聞きたいものですが。
この発言について、竹中平蔵さんはtwitterで以下のようにコメントされています。
松本復興相が、「民主も自民も公明もきらい」と言って批判を受け、謝罪したらしい。この発言をした際、ある民放のキャスターが「久しぶりに政治家らしい発言を聞いた」と言っていた。政党政治、議院内閣制の本質を全く理解していない。こんなメディアが日本をダメにしている。是非謝罪してもらいたい。
http://twitter.com/#!/HeizoTakenaka/status/87534254816374784
ここは私は竹中さんには不同意です。
そもそも行政の一角である復興相は、立法府である国会からは独立した存在であることは言うまでもありません。
それ以上に、政党がどうとか、そういう感覚が強すぎませんかね?
今や選挙のときのマニュフェストを実質的に下ろしてしまっている民主党には実際に民意の信任があるか?という点では大いに疑問がありますし、「復興」なんていう、まさにローカルな議論に際しては党という枠組みよりも、地域という枠組みで民意を代表するほうが適切であるようにも私は感じています。
閑話休題。
こうした竹中さんの発言の裏にも大臣(国会議員)は、民意の代表というよりもいわゆる「党」の一員で、さらにそこには主従の価値観が見え隠れしています。
その主従の価値観を否定するものでは決してないのですが・・・
松本大臣も、村井知事も、さらには菅首相も、その他の政治に携わるみなさんも、決して自分自身に権力があるわけではない、自分への信任と周囲の賛成により自分の役割に責任と一定の裁量があるわけです。
きっと誰もが理解していること。でも、実際に目の前にある権力の前では、力が入ってしまうものなんですよね。初心を忘れてほしくないと思います。
復興に向かって、長幼・政党・地域の枠を超えて、力を合わせられる日本になってほしいです。
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