昨日、人事部の仕事の話について書きましたが、やや書き足りない感じが残りましたので、今日は続きを。少し前に読んだ本ですが、書評を兼ねて書き残しておきます。
深田和範著「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」
(以前の日本企業は)“綿密な経営戦略やシステム・制度は存在しなかった。経営者や社員の「作りたい」「売りたい」「みんなで満足したい」という純粋な気持ちがあって、それを実践してきただけ。つまり、「どのようにマネジメントするのか」という小難しい話ではなく、「何のビジネスをするのか」という至極単純な話だった。
マネジメントには付加価値を生み出す力はない。付加価値を生み出すのは、あくまでもビジネスである。”
本書、このような手厳しい「マネジメント」否定の話が続く。
刺激的な本書の題名はともかく、内容については多くのビジネスマンが感じていることではないか。
“真似ジメント”“消去法思考”“意見はあっても意志はなし”という著者の言葉にも、現実感と納得感がある。
要するに、形式、型にこだわった(だけの?)、ためにするマネジメントが多すぎるのだ。残念ながら行き過ぎた「目標管理制度」などが日本人の勤勉な(!?)精神性と結びつき、生産性の低い、本来は必要のないであろう仕事を創出してきた結果である。
実際、自分たちはどうしたいのか?という“意志”、本質・欲求から離れ、まさに「マネジメント信仰」に憑かれたような生産性の乏しい社内の儀式、上司の洗礼を受けなければならない現状には、私も徒労感と同時に窮屈さも感じる。
ただし、これを本当の「マネジメント」(著者の言う“真似ジメント”などではなく)かというと、違う気がする。
Mr.マネジメントともよぶべき、ドラッカー氏は「マネジメントが分かっていない」と嘆くのではないか。
ドラッカー氏がマネジメントを日本に持ち込んだ後、明確な定義もないまま、マネジメントはいろいろな人に都合の良いように解釈されてきたと考えられる。日本語としてのマネジメントは、実に幅広い。
多くの人は他人の管理、他人の業務の管理という意味で利用していると思うが、そもそもは著者の言う「ビジネス」に近い、一連の組織としての行動のことだと私は解釈している。
つまり「管理」でも、「ルール」でもなく、まさに本書で言う「ビジネス」・・・Do、実行とその前後の思考・流れをまとめて称したものではないか。
その点では、他人の管理、他人の業務の管理は著者の述べるとおり大概にしたほうが良い。会社、業務は極力、シンプルにすべきだし、余計な管理・手続きからは狭い範囲の自己満足しか得られない。
内需拡大は今後の日本の生命線になると思うが、会社の内部拡大、管理部門・管理職の肥大は日本の致命傷になりかねない。「会社を滅ぼす」信仰への警鐘を鳴らす本書は多くの日本のビジネスマンにとって耳が痛くなるに違いないが、自分や自分の仕事を振り返るための一助となるであろう。
大会社の管理部門の方、管理職の方には、ぜひ、目次だけでも一読をお薦めしたい。
<目次>
序章 マネジメントがビジネスをダメにする
第1章 症状1 意見はあっても意志はなし
第2章 症状2 都合のよいことばかりを考える
第3章 症状3 管理はするけど無責任
第4章 症状4 顧客よりも組織を重視する
第5章 日本企業の危機的状況
第6章 経験と勘と度胸を重視せよ
第7章 他人を変えるより自分が変われ
あとがき
マネジメント信仰が会社を滅ぼす (新潮新書) | |
深田 和範 | |
新潮社 |
ほんと、こういうことがあるんですね~。
嬉しいことです。
moto金田浩さんのコメント&応援も、いつもありがとうございます。
すごいと言えます。
こういうことってあるんですね。
嬉しく読ませて貰いました。
陰ながら応援させてください。
コメントありがとうございます。
わざわざ、ご本人にコメントいただくとは・・・
失礼な言葉もあったかと思いますが、お許しください。
本の内容的には今の日本には非常に大切な話だと思いました。
がんばってください。
拙著をとりあげていただき、ありがとうございます。
当方も「マネジメント信仰~」の出版を機に会社を退職し、今も失業中の身です。
(表面上はコンサルタントとして独立したことになっております。)
ゼロからの再出発をする中で、少しずつ「ビジネス」というものが見えてきてような気もします。
ご興味があれば、ブログも見てください。
http://ameblo.jp/kmsh114/