今朝の日経新聞の最終面で堺屋太一さんが『チンギス・ハン』を振り返りながら、今日の日本について書かれていました。
チンギス・ハンの世界の大半を征服するという偉業は、もちろんチンギス・ハン一人の力では出来ない、チンギスハンの許に集まった様々な人の総力によるものだ、という内容。
ある時期に有才の士が多く生れ、他の時期にはそれが生まれないとは、生物学的にも考え難い。要は時代の流れや世の中の雰囲気、つまり社会の主流勢力の発想と受け入れ体制によって、個性的な人材が発掘されることもあれば、埋め込まれることもあるのだ。
一部を引用させていただきましたが、
その通りだと思いますね。
ボクの思いを少し別の言い方で書きますと、人は遺伝子だけで勝手に育つのではなく、様々な環境・周囲の支援により、いわば「導かれる」という考え方にボクは近いです。
最後に堺屋さんは、
振り返って日本の現状を見ると、各分野とも突出した個性が少ない。(中略)
今日の日本は、あらゆる既成概念に捕われずに斬新な個性に大胆な実行を委せたチンギス・ハンの時代とは正反対である。
と結ばれています。
「東京生れの東京育ちの二世三世のお坊ちゃま方と、霞ヶ関の仲間内評価だけを気にする官僚」のみなさんは、どのようにこの文章を読まれるでしょうか?
そうは言いながらも、その人たちも「導かれて」そのように育ったわけですから、何とも責めようがない気もしますが、日本が個性を生かす社会に育つにはどうしたら良いのか???
やはり彼ら「主流勢力の発想」に期待するしかないのでしょう。
また、話は大きく変わりますが、今日の気になるニュースは・・・
最終面の前頁の社会面には、橋本徹弁護士の懲戒処分請求への呼びかけ発言を巡る騒動に関しての記事が掲載されていました。
この記事からボクらは何を読み取れば良いのか???
今ひとつ、ボクには考える方向が分からないんですよね。
橋本氏が呼びかけた→懲戒請求が殺到した→懲戒請求された側が訴えた・・・
テレビという公共の場での発言の責任を考える?
弁護士の懲戒請求のあり方を考える?
一つの事件への注目の偏重を考える?
更に言えば、「弁護」とは?、「裁判」とは何か?
橋本氏の発言に関わらず、渦中の事件そのものの裁判、そして懲戒請求された側の弁護士・・・
全体を通して、難しい問題ですね。
一言、書くとしたら、“市民感情”がこれだけ「裁判所」に押し寄せる世の中は、本当に望ましいのか?
懲戒処分、裁判そのもの・・・
容疑者、そして弁護士の罪と罰、
何を基準に誰が裁くのか???
みなさん、ハローです。ホディです。
台風一過で、真夏に逆戻り。
暑いですね。
最後にスポーツについて、少し。
相変わらずプロ野球が熱い。
伝統の一戦、ジャイアンツ対タイガースも連日の熱戦。
1位となるのは???
ドラゴンズも含め、まだまだ分かりませんね。
奇しくもプレーオフ元年のペナントレースの混戦。
10月中旬にピークを迎えられるような勝負が大切だということを忘れてはいけません。
そして、密かに?ラグビーのワールドカップが開幕しましたね。
悲しいことに注目度は低いですけど。。。
日本は強豪・オーストラリアに完敗のスタート。
http://www.sanspo.com/rugby/top/rg200709/rg2007090900.html
サッカーと違い番狂わせの少ないラグビーですから、
これは仕方がないところでしょう。
とにかく2勝、がんばってほしいものです。
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