考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

円周率のゆとり

2007-09-11 23:36:58 | 徒然なるままに

今日の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で作家の柴田翔さんが「円周率を3.14ではなく3として教えることにする」ことを例に挙げて、『ゆとり教育』への批判を書かれていました。

教育とは何か、<ゆとり>とは何かについて、ゆとり教育推進派の人たちは一度も真剣に考えなかったのではあるまいか。

柴田さんは、こういう風に書かれていますが、どう思いますか?

円周率は、柴田さんも書かれているように「3.141592・・・・・」と数字で表すことはできず、数学的には「π(パイ)」として表すことが一般的だと思います。それを便宜的にボクらの頃は確かに「3.14」と教えられたんですが、ゆとり教育下では「3」と教えられているのだとか。

実はボクには、「3.14」と「3」にそれほど大きな意味があるとは思えないんです。

つまり、「正確ではない」という点では、どちらも同じであり、
「π(パイ)」として教えるべきだという議論であれば、大きな違いがあると思いますが、
まさに五十歩百歩、数学的にはそんなに違わないですよね。

円周率を「3.14」と覚える記憶力、
あるいは円周の長さ(2πr)を計算する際に、小数点以下2桁の数字である「3.14」を使うことのできる計算力、
そのような力がつかないという意味なんでしょうか???

ただ、後半では「超越数」であること、3あるいは3.14のあとに「無限に数字が続く奇妙な数が自然に存在することの不思議さ」を教えることが大切だという趣旨の話をされています。
このあたりの話は、ボクも同感なんですが、「3」で計算させているからと言って、この「不思議さ」を教えていないと決め付けて、ゆとり教育の批判とするのは少し論理が飛躍しすぎではないか?
ボクはそう感じています。

円周や円の面積の計算のために、小数点以下2桁の数字が最適なのか?
あるいは小数点以下5桁なのか?あるいは整数なのか?
ここで求められているのは、おそらく柴田さんも感じているとおり、
記憶力のためだけの勉強ではない気がしますし、
計算力のためだけの勉強でもない気がします。

円周率は何のために教えるのか?
円周や円の面積の計算は何のために教えるのか?

「ゆとり教育」の批判の前に、ボクらはまだ考えるべきことがある気がします。

同じ新聞の社会面では、東京都足立区の教育委員会が学力テストの問題用紙を1ヶ月前に配っていたという記事が載っていました。

学力テスト 足立区教委が問題配布 校長会で1カ月前
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070911-00000015-maip-soci

ここの教育長をはじめ、関係した多くのお偉いさんは、少なくとも悪名高き「ゆとり教育」の教え子ではないでしょう?
そして、「教育とは何か、<ゆとり>とは何か一度も真剣に考えなかった」(@柴田翔さん)人たちも、ゆとり教育を実行している人たちも同様でしょう。

教育とは何だろう?と考えさせられます。

みなさん、ハローです。ホディです。

秋雨前線だとか・・・

止んでいた雨が、突然、極端に強く降ったりする天気は、夏の夕立のようですよね。
そういう意味では、「夏雨前線」のほうが相応しい気もします。
まだまだ夏の余韻が残るのでしょうか?

そうは言いながら、聞こえてくるのは、セミの声からムシの声に変わっていますよね。
夜、街路樹から大きな鳴き声が聞こえてくるのに気付いていますか?

以前にも日記に書きましたが、アオマツムシという外来種の虫の声だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/063c1265baffae87e0922194e08edcfb

年々増えている気がしますね。
今日の夜は、新宿御苑の脇を歩いていたんですが、とても大きな声にビックリしましたヨ。
近い将来、虫による「騒音被害」なんて声も大きくなりそうな気がします。

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2 コメント

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ゆとり教育 (ks+)
2007-09-12 01:40:14
ボクも読みました。「円周率の不思議」。
「円周率は3と教える」ということ自体事実ではないようなので、それを元に論理を展開してもなぁ・・・というのが感想でした。
(wikipedia 「円周率は3」あたりご参照)

ボクは「ゆとり教育」は反対なんですけどね。
詰め込み教育の反省からか、ゆとり=学習内容の削減 が目的になっているような気がしてなりません。

詰め込みも悪平等・均一化教育も肯定するつもりはないですが、文部科学省やら教育関係者さんはゆとり教育にして、どんな人間を育てようとしているのか、どんな社会にするのかというビジョンをもっと明確にしないとダメなんだと思います。
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re:ゆとり教育 (hoddy)
2007-09-12 09:17:37
ks+さん、コメントありがとうございます。

「円周率は3と教える」ということ自体事実ではない・・・

そうだったんですね~
ボクはすっかり大前提として書いていました。
しっかり調べないといけませんね。。。

ボクも「ゆとり=学習内容の削減」、教員や子どもの週休二日を前提としたカリキュラム変更等と考えれば、反対です。
でも、そもそも「ゆとり教育」の本質は違ったものではないか?という気がするんですよね。
具体的な政策に落とし込まれるにつれ、「学習内容の削減」が主旨になってしまったのではないか???と。

ks+さんのおっしゃるように「どんな人間を育てようとしているのか、どんな社会にするのかというビジョン」がどこかで抜け落ちている、
いわゆる「詰め込み教育」の反省点は何なのか?
ずっぽりと抜け落ちている気がボクもします。
でも、足立区のニュースを見ると、詰め込み教育・受験競争主義の悪い面が見事に現れている気がするんですよね。
あの人たちを見ると、「ゆとり教育」(そもそも名前が悪いですよね。誤解の基です。)を求める気持ちも分からなくもないというのが、ボクの考えです。

結果的に、「ゆとり教育」を企画・展開・修正できるだけの人材(国にも自治体にも学校にも)が少ないことだけは分かったわけですから、
もう少し違った教育政策が必要でしょうね。

ホント、どんな人間に育てたいのか?
どんな社会にするのか???
「ゆとり教育」を語る前に、本来すべき議論がないんですよね。。。
「教育」に関しては誰もが有識者ですから(笑)、まだまだ迷走は続きそうな気がします。

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