市民参加型ニュースサイト「オーマイニュース(日本版)」が“創刊”されました。
http://www.ohmynews.co.jp/
インターネットのサイトで“創刊”という言葉を使うか、と変なところが気になりましたけど、“市民が自由に参加できるプラットフォーム”、新しいメディアとして日本ではどういう成長を見せるのか?、外から期待しています。
オーマイニュースに関して、ボクが気になっているのは「実名報道」。
「オーマイニュース」の売りのひとつですよね。
gooニュースにもオーマイニュースに関しての記事があり、編集長に就任された鳥越俊太郎さんはこういう発言をされています。
「実名で発言する文化を日本に定着させるために寄与したい」
実名ってそんなに尊いものなのか?
ボクにはよく理解できません。
確かに「オーマイニュース」を見ると、記事の最後に“誰々”と名前が記載されています。これは、市民記者本人からすれば重みのあるモノかもしれませんけど、閲覧者からすればニックネームも実名も大きな違いはありません。
ボクが思うのは、どういう背景の誰がこういう記事を書いているのか?と言うことが実はニュースに価値と重みを加えるのであって、実名を載せるだけでは「記者への牽制」という、言い方は悪いかもしれませんけど「オーマイニュース」の都合だけじゃないか、という気がします。
しつこく書けば、“孫正義”と名前が載っていれば、何となく今までの経歴や発言が分かるので、今回の記事の考えも理解しやすいでしょうけど、見知らぬ誰かの名前が載っていてもその記事の奥にある考えは伝わりにくい・・・
そういう点では、ボクはブログのほうが自分の背景を伝えやすいと考えています。ボクは実名ではなく、ブログネームで書いていますけど、ある意味、実名のボクよりも多くを語っているという気もしています。
みなさん、ハローです。ホディです。
ボクがブログを選んだ理由もそんなところにあります。ブログを始めた当初に書いた「ブログの集合体は新しいマスコミのサポート媒体となる」という記事に詳しく書いていますので、よろしければ見てください。
http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/fc5a16f7d32d02e311d6759d43827b92
さて、話はしつこいですけど、実名は責任があって、匿名(実名以外?)は責任がないと取れる鳥越さんの発言には、やはり違和感があります。
芸能人で考えると、実名で出ている人は責任があって、芸名の人は責任がないのか?
芸能人は名前は隠しているけど、顔を出している?
テレビの芸能人は顔を出して本音を隠し、ブログのボクらは顔を隠して本音を出しているのだとしたら・・・
責任は人それぞれ。
実名で本音を隠すほうが、匿名で本音を出すよりもボクは無責任のような気もします。
そこで、ぜひ全国のどこかにいるであろう同姓同名の鳥越俊太郎さんに市民記者としてがんばって欲しい。そのときに「オーマイニュース」ではどんな対応に出るのか?
「鳥越俊太郎(編集長)」と所属や肩書きで市民記者を区別するか?
それとも「鳥越俊太郎1」とオーマイニュースネームを使うか?
勇気を持って、「鳥越俊太郎」の並存を許すか?
そのときに「オーマイニュース」の実名固執への真価が問われるとボクは思います。
また、にわかに話題となった坂東眞砂子さんの日経のエッセイ「プロムナード」。
先週の金曜日(2006/8/25)は「名前はまだない」という題でした。
「もし人が、時と場に応じて、自由に好きな名を選ぶことができたなら、日本人の独創性も想像力ももっと羽ばたいていくのではないだろうか。」
と、名前に縛られない生き方は可能性を広げるという内容の話を書かれています。
朝のテムジンはチンギス・ハンとなり、夕の日吉は木下藤吉郎となった。
彼らの実名は何なのか???
名は体を表すか?、とボクに聞かれたら・・・
「隣のポチに聞いてくれ」と答えたい。
(追記)
ネットをいろいろ見ていると、「ガ島通信」さんのところに「ブロガー×オーマイのシンポジウムを行います」という記事がありました。有意義な議論となるように願っています。
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060824/1156435646
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