東京オリンピックは過去のものではなく、未来のことになるのか?
日本オリンピック委員会(JOC)は、2016年夏季五輪の国内立候補都市について東京に決定したということです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060830-00000068-mai-soci
東京都民としては、喜ぶべきなのか?
どう考えたらよいのか、恥ずかしながらよく分かっていません。
個人的には、かつての東京がそうであったように、オリンピックは先進国ではなく発展途上国が経済や文化の興隆のシンボルとして開催したほうが良いのではないかと考えています。開催によって世界の注目を集め、また多くの観光客やスポーツ選手、文化人までその都市を訪れることで、さらに発展のきっかけとなる・・・
そこでは、オリンピックを取り巻く多くの世界のトップ企業のスポンサーが経済効果を生み出すわけですし・・・
そういう風に考えていくと、ボクにはあまり好ましいとは思えません。
でも、東京での開催は「悪」だと言い切れるわけではないんですけどね。
もちろん、これで開催決定と言うわけではなく、あくまでも日本国内立候補都市が福岡ではなく東京に決まったというだけの話。これから世界各国の候補地と招致競争が始まるわけですけど、どうなることやら?
みなさん、ハローです。ホディです。
何となく気になったのが、国内の立候補都市を決めるのは、JOCなんですね。
しかも議論ではなく、投票での採決とは。
JOCのオリンピック招致へのビジョンとか、目的が明確でないまま、決まってしまったような印象を受けていますけど、どうなんでしょうね。
しかも採決の際に、ちょっとしたハプニングがあったようです。
もともとは自席で投票用紙を記載して、投票するというシステムだったようですけど、
「これでは隣の人がどこに投票したのか、分かってしまう。分からないように投票したい」と、委員の誰かの発言があって、
「見えないように書いてください」と、事務局の人に言われると、
「大人なんだからこそこそと隠して書きたくない」
と、こんな感じのやり取りがあったようです。
その結果、事務局がパーティションで仕切った投票用紙記入場所を作ったようです。
プライバシーの保たれた場所での記入は、さぞかし落ち着いたことでしょう。
みなさんはどう思われますか?
ボクの意見は・・・
委員という責任のある立場なんだから、それこそ、こそこそと投票用紙を記入するのではなく、自説を述べて候補地を選ぶべきではないかと思います。自分の投票内容を隠さなければいけないような人は、採決に加わることがふさわしいのか?疑問に感じます。
東京も次は世界の都市との競争です。
石原都知事はプレゼンテーションの際に、「東京の命を預けます」というような発言をされていましたけど、「世界を相手」ではシャレにならないかも知れませんね。
そもそも東京都政の運営は委任していますけど、東京都民のほとんどは命まで預けた気にはなっていないと思いますので。
気をつけてください。
最後に、もう少しだけ。山口の高専学生殺人事件・・・
逮捕状の出た容疑者、テレビもなんだかんだと頻繁に報道していますけど、こんなに精神的に追いつめて良いんですかね?
まだ容疑者です。
それに、“窮鼠猫をかむ”ような二次的な事件にならないとも限りませんし、
自分で自分を・・・なんてことにもなりかねませんよね。
顔写真を出して「全国指名手配」というならまだしも、中途半端な報道は精神的に追い込むことにしかならないと懸念しています。
これでいいのかな???
隠れて書きたくないのなら、堂々と自分の席で書いたらいいのに。
言ってること矛盾してるのわからないんでしょうかね。
投票権のある55人はJOC理事と各競技団体の代表であって、その委員があんな大人気ない発言をしたことにかなりガッカリ・・・でした。
ks+さんもご覧になりましたか。ビックリですよね。
「陰でこそこそ」と言うのは責任ある立場の人が、自分の主張を明確にしないで決めてしまうことのような気がします。実は裏で両者にいい顔して、何かもらっているんじゃないか・・・と考えるのは行き過ぎですね。